第87話 やさしい手

 鍛冶小屋を出て少し歩いた先にある巨大な水車。

 水源から水を引いているらしく、水車を通過してエセルの高炉まで続いているという。

 その水路まで降りると、フィオンは手にしたタオルを水に浸して絞ると、身体を拭き清めた。

 

 「・・・こんな場所、あるんですね」

 水面に手を浸し、水温が思いのほか冷たいのに驚く。

 「山岳兵団の女性陣が、上流で野菜洗ったり洗濯しているんだ。夏とか水が冷たくて気持ちいいんだよ」

 作業着とインナーを躊躇なく脱ぎ、上半身を晒しながらフィオンは答えた。


 うわ・・・すごい筋肉


 筋肉フェチのジェマに見せてやりたいな、とビビはほうっ、とため息をついた。

 

 記憶の中で、フィオンとビビは幼馴染みだったが、男女の関係になったのは成人を過ぎてずいぶんたった後だった。

 婚約してそれなりに肌も重ね・・・でもどちらかと言えば、久々会えてもお互い討伐で疲れ切っていて、勢いでベットへ・・・なシュチエーションが多く、行為自体あまり覚えていなかった。言葉を交わし、愛を確かめ合った甘い記憶もない。

 何度も情を交わした仲だから、フィオンの裸体は見慣れていると思っていたけれど。陽の下でこんなにまじまじと見たことはなかった。


 「鍛えてますね」

 まるで違う男の人の身体を見ているみたいだ。

 思わず感嘆のため息をもらすビビに、フィオンは振り返る。


 「まぁ、武術団の中では肉体派だからね。元が巨人族の血統だし」

 俺なんか、まだまだ、と笑いながら

 「オスカー兵団顧問なんか、すごいよ?御年60過ぎだけど、手合わせしてもらっても未だに一振りも返せない」

 確かに・・・あの厚い胸板を思い浮かべ、ビビは納得する。

 

 「オスカー兵団顧問もそうだけど、ハーキュレーズ王宮騎士団のイヴァーノ総長とか、加えて視線で人殺せるんじゃって感じで」

 彼らは別次元の生物に違いないと言うビビに、フィオンも同感と頷く。

 「イヴァーノ総長はね、確かに。そう考えたら、カイザルック魔術師団のリュデイガー師団長は穏やかでいいね」

 「いや、あれはあれで怒るとすごく怖い・・・」

 二人で思わず吹き出した。

 不思議だな、と思う。

 フィオンって、こんなに屈託なく笑うタイプだっけ?


 ふと、ビビはフィオンの傍らの岩にたてかけている手斧に視線を向ける。

 「フィオン君は、自分の武器は自分で鍛えるんだね」

 「まあね。普通は家長を譲り受ける時に、武器も引き継がれるんだけど。母親と俺は基本戦い方も違うし、属性も違うから」

 言って、フィオンは片手で軽々と手斧を振って見せる。

 

 「これは、俺が成人した時に父が俺用に鍛えてくれたやつなんだけど、年齢重ねていくうちに使い勝手も変わってきて。都度父に鍛えなおしてもらっていたんだけど、あまりに俺の注文がうるさいから自分でやれって、20歳過ぎた頃に鍛冶小屋へ修業で放り込まれた」

 「ええ?」

 「父が従事していた、軍人貴族バルベルデ家のダット師匠に鍛冶スキルを叩き込まれてさ。やっているうちに面白くなって・・・」

 言いかけ、フィオンはビビを見下ろす。

 

 「あ、ごめん。こんな話、退屈?」

 「ううん。なんで?すごく面白いよ」

 ビビは目を輝かせながらフィオンを見上げる。

 

 「カイザルック魔術師団は魔術専門だから、山岳兵団の鍛冶の匠の技術とかすごく興味深い。スキルの付与の仕方も違うしね」

 見せてもらっても?とフィオンに両手を差し出すと、フィオンは少し驚いたような表情で、手斧の柄の部分をビビに向ける。

 「はい、どうそ」

 「ありがと・・・うわっ!」


 両手で柄を掴み、フィオンが手を離した瞬間、ズシリと手斧の全重量がかかり、その重さに持ち切れずビビはバランスを崩した。

 「あぶない!」

 あわててフィオンは両手を伸ばし、手斧を取り上げると地面に投げ捨て、倒れこむビビの身体を支える。


 ドスン、と重い音をたてて手斧の刃が地面にめり込む。

 「ご、ごめんなさい!」

 ビビはフィオンの腕の中で飛び上がった。

 「怪我はない?こっちこそ、ごめん」


 うわ・・・っ、


 護るように抱え込まれる体勢に、ビビは赤面した。

 鍛えられた胸板が頬に触れる。水で清めたあとのせいか、触れる素肌は冷たくてしっとりしていた。


 「ごめん、こんなの簡単に手渡すのが間違っている。ビビは普通の女の子なのに・・・」

 頭上で聞こえる、ため息まじりの声。

 「いえ・・・わたしも、軽率でした。ごめんなさい」

 しゅん、として顔をあげると心配そうに見下ろしてくる、青い目と合う。思いのほか顔の距離が近いのにドキリ、とした。

 

 少し吊り上がり気味の目が、申し訳なさそうにさらに細まり、身体にまわされた片手が離れて、武骨な指先がゆっくりと髪を撫でる。

 「あの・・・」

 「・・・怪我、なくてよかった」

 ほっとしたような表情を浮かべ、見せたやわらかい笑みに、心臓がどくん、と大きく跳ねた。

 あわてて目を逸らし、うつむく。顔が熱い。どきどきして、フィオンの顔が直視できない。


 フィオンはビビを解放すると、地面に埋まった手斧を片手で引き抜く。

 「俺、こんなだから全然他人に対して無頓着というか・・・だからカルメンに脳筋って言われるんだよなぁ」

 「脳筋・・・」

 「ビビが興味もってくれたから、つい舞い上がっちゃった。カルメンのような長子ならともかく、普通の兵団の女子は鍛冶なんて興味ないからね」

 「わたし、こういう武器って錬成でしか扱ったことないから」

 「うん。魔術師の魔法陣とか、すごいよね。俺は全然だけど・・・」

 「わたしにしてみたら、フィオン君の方がすごいよ。武器を鍛えている時って、なんか武器と会話しているみたいで」

 ビビの言葉にフィオンは目を丸くする。ビビはそっと手斧の柄を握ったフィオンの手に、自分の手を重ねる。


 ごつごつした大きな手、だった。

 でも、触れているとすごく安心するのが不思議で。

 「この手が・・・唯一無二のフィオン君だけの武器を鍛えているんだね。この子、すごく大事にされてるのわかるよ・・・なんか、いいなぁ」

 ふふふっ、と笑いを漏らし、ビビはフィオンを見上げる。フィオンは目を細め照れくさそうな笑みを浮かべた。

 「ありがとう。そんなふうに言われるの、はじめてだ」


 そろそろ行く?と聞かれうなずくビビ。

 差し伸べられた手に、戸惑いながらも手を伸ばすと、ぎゅ、と握りしめられた。

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