第15話 おじさんの甘い夜

【前話ダイジェスト】

あるんだよ…神様にだって

「燃えてきたぜぇ~!!」

ってテンションを返してほしい瞬間


【本編】

 基本的な作りはやはり私の部屋と変わらないのでしょう。ですがここには温かみがありました。部屋を彩る小物や家具などの調度品の有無なのでしょうか。

 そして花の……茉莉花の香りのように感じる空気は、香水的なものなのか、はたまた彼女のものなのか。


「まさか、今日再びここに来るとは思いませんでしたね、あ、いえ、嫌だったわけではありませんよ?」

「す、すみません……」

「いやいや!謝らないでください。こうも度々女性の部屋に出入りするとは、思いもしなかったものですから。なにせおじさんですからね、私」


 インターフォンを鳴らした主が、ティーポットからお茶を注ぎます。辺りには、花の香りに溶け込むように、紅茶の香りが加わり、もう私、頭がクラクラしてきた気がします。

 私こと一本木和成は、楓さんのお部屋にお邪魔しておりました。今日のゲストは一本木和成さんです。そしてまもなく退場しそうです。決まり手は眩暈──って、意外と余裕あります、私?


「あ、あの、粗茶ですが」

「最高の香りではないですか、ご謙遜を」

「そ、そんな高い紅茶じゃないんです」

「最高の香りではないですか」


 あ、今の台詞、変態臭くなかったでしょうか。って、それより──


「おそらく、調理器具の話……なんですよね?」


 ぴくん──と楓さんが身構えました。それにしても彼女、モデルのようだったり勇ましかったり妹のようだったり、そして今度は小動物的ですか? 何属性お持ちなのでしょう。もう属性が渋滞しております。

 そんな属性てんこ盛りの楓さんは目を伏せ、小さく囁きました。


「あの……うちの調理器具を使ってほしいんです」


 ふむふむ、なるほど……えっ?


「楓さん、ひょっとして引っ越されたりするのでしょうか?」

「いえいえ、違います!」

「ですが、無いと困りますよね?」

「そ、それが、その、困りようがないんです」

「ですが昨日、お弁当持参されてましたよね? 美味しそうに卵焼きを頬張るお姿が愛らしくて、覚えているんです、私」

「あ、愛らしい!?」


 あっ……口が滑りました。これは気持ち悪がられても当然です。あぁ、顔が真っ赤に!


「すみません、気持ち悪いことを!」

「実は私、卵焼きしか作れないんです!」


 ──あぁ、どうしてこう私は間が悪いのでしょう。楓さんと被ってしま──えっ?






 鍋の底が焦げ付かないよう、木べらで混ぜ続けること30分。辺りにはトマトが煮詰められた芳しい香りが広がっていました。本当はもっと煮込んだだけ深みが生まれるのですが、それでは遅くなってしまいますので、この辺りで妥協です。


「さて、では、いつもの卵焼きとはちょっと異なりますけど、頑張ってみましょうか」

「ほ、本当にやるんですか?」

「勿論ですよ? 楓さんの腕前を見せてください」

「絶対主任が作ったほうが美味しいですって。もうこのお鍋で決まりじゃないですか」

「勝負ではありませんからね。さぁ、卵はもう割っていただいたみたいなので、生クリームを加えてもらいますか。フライパンにはバターを気持ち多めに入れますよ」

「もうこれ、私の知ってる卵焼きじゃないよぉ」


 小動物VER楓さんが私の顔色を窺ってきましたが、きっと私が引かないことを察したのですね。絶望の表情を浮かべて卵を混ぜ始めました。

 おや……卵の解き方、上手ですね。卵白を切るように菜箸を前後させて。


「楓さん、本当にお料理ができないのですか? その手際はお見事だと思うのですが」

「卵焼きだけは、頑張ったので……」


 落ち込みながらも手を止めない楓さん──なんだか、料理ができない人とは、どうしても思えません。





 ちょっと時間はかかりましたが、完成です。楓さんをダイニングテーブルに座らせ、彼女の前に今日の一皿をサーブします。


「さぁどうぞ。ハヤシライスです」


 ですが、彼女の目に力はありません。それもその筈。彼女が頑張った卵は、どこにも見当たらないのですから。

 それでも彼女は、ハヤシライスを食べ始めます。小さめに盛られたそれは、あっという間に彼女の口へ消えていきました。


「美味しかったです、主任」

「本当に?」

「本当ですよ?」


「そうですか……私的にはもの足らないんですけど。なので、次はこちらを食べてもらえますか?」

「えっ……それ、駄目だったのでは……」


 黙って彼女の前にサーブしたそれは、オムハヤシ。お米の上を彩る黄色は、紛れもなく楓さんの手掛けたオムレツです。


 動けない彼女を、じっと見詰めます。何も言いません。でも、必ず食べてもらえるよう見詰め続けます。

 楓さんは目を伏せ、絶望に等しき表情でライスを、オムレツを、褐色のシチューと一緒に掬い……。


「あ、甘い……おいし、い」






 もう、いいですかね。黙々と食べ続ける楓さんに、私はここでようやく話し掛けることにしました。


「玉子料理って、実はすごく難しいんですよ? 火加減、匙加減、ちょっとした違いで一気に味も姿も変えるのが玉子料理なんです」


 気付けば、食べ終えた楓さんは、姿勢を正して私を見詰めていました。


「おそらくですけど、楓さんが苦手なのは『味付け』なんだと思います。そして味付けは、経験にともなう感が必要です。私なんかは、時間をかけたくないときは出来合いの調味料ミックスを使っちゃいます。今日のハヤシライスも、実は市販のルーです」


 楓さんが目を見開きました。


「それだけでも美味しいと楓さんはおっしゃって下さいました。でも、食べ方を見ていればわかります。2皿目なのにオムハヤシの方が美味しかったですよね?」


 楓さんが、その手を口に重ねました。


「楓さんのオムレツが美味しかったからです。貴女の頑張りが美味しさになっているんです。だから──」


 彼女の肩に、優しく手を下ろしました。

 願いが伝わりように、ゆっくりと。


「お料理やめるのを……やめませんか?」





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