第19話 身体づくり
「ええっと……なんで起きたら僕の頭が爆発してるんですか? それになんだか体の節々が痛いような……?」
「ふははっ、気にしたら負けだ。いいからさっさと外へ行くぞ。今度は肉体の鍛錬だ!」
なぜか冷や汗を流しながら次の修練を促してくるエスに違和感を抱きつつ、ラストは背を押されるがままに転移魔法陣に足を踏み入れた。
彼の後ろでは、エスは見えないようにひっそりと胸を撫でおろしていた。
そうして中庭に出たラストは、普段行っているのと同様に剣を持って彼女に向き合った。
「次は剣の訓練ですか? 一応木剣は持ってきましたけど」
「いや違う。今はいったんそいつはお預けだ」
ひょいと彼の手から剣を取りあげ、エスは自分のものと比べて小さなそれを手の中で器用に弄ぶ。
そこそこの重量があるはずの模擬剣がくるりくるりと踊るように回転させられている様子に、ラストは思わず「おおー……」と小さく拍手した。
「ラスト君、余に見とれてないでちゃんと話を聞くように。いいか……これまでは単なるお付き合いとして何も言ってこなかったが、師匠となった今、あえて言おう。君の剣はダメダメだ!」
「そうだったんですか!?」
はっきりと断言され、ラストは衝撃のあまり声を引きつらせる。
がくんと顎を落とした彼に、エスは容赦なくこれまでの彼との剣の逢瀬で見切った悪い点を次から次へと挙げていく。
「剣の使い方がまるでなっていない。剣筋の立っていない力任せの振り方で、腰も入ってないへなちょこの剣だ。まるでただ叩き潰すためだけの動きだ、あんなのじゃ蛮族……というか猿に棍棒を握らせたようなもんだ。絶対に君は、剣という武器に込められた意味がちぃとも分かっちゃいない!」
「は、はい!」
徹底的に言葉で叩かれ、ラストは思わず背筋をピンと伸ばした。
彼女はただ彼の剣をけなしているのではなく、それを改善するための助言をしてくれている。へこたれるくらいなら、きちんと全ての駄目出しを受け入れようと彼はまっすぐにエスを見た。
そんな彼の前で、エスは自分の木剣で軽く空を切る。
その動きは繊細かつしなやかで、そこに鋼鉄の鎧があろうとも容易く斬り伏せて見せる――素人同然と評されたラストにもそう思わせるだけの確かな技量があった。
「いいか、剣という武器は斬るものだ。しっちゃかめっちゃかに振り回すようでは、逆に剣に振り回されているようなもの。規則正しい扱い方を心得なければ、如何なる名剣だろうと瞬く間に切れ味を失いなまくらと化す。今の君の腕では、剣を打つ鍛冶師を冒涜していると言ってもいいくらいだ!」
「はい、すみませんでした!」
しっかりとした声を返すラストに満足そうに頷きながら、彼女は一度剣を地面に置いた。
「剣を振るうには、相応の身体が要求される。まずは、君に剣に振り回されないための土台を作るところから始めようか。木剣を意味もなく振るう時間は感覚を忘れない程度にとどめて、残りを理想的な肉と骨を作る方に回すぞ」
「はい。……でも、何をすれば?」
「今の君に足りないのは――全てだ。唯一持久力と根性には目を見張るものがあるが、余の求める基準には肺活量、身長、筋肉量、骨密度……何もかもが足りていない。それらを総合的に鍛える訓練を行う。厳しいが、ついてこれるな?」
「もちろんです!」
「よろしい。では、まず最初に柔軟体操からだ。筋肉を始めに柔らかくしておくと、その分怪我もしにくくなる。余が見本を見せるから、それに従って真似をするように……」
エスは両手を膝に置き、そのまま腰を上下にゆっくりと動かし始めた。
「まずは足首からだ。ここをほぐしておかないと、踏んじばったりする際に挫きやすいんだ。それ、いっちに、さんし……」
ラストも彼女に倣って、ぐっぐっと筋肉を伸ばしていく。
僅かに突っ張るような感覚があり、思ったよりも足首が伸びずその踵が浮かびかける。
そこを彼女は見逃さなかった。
「駄目だ。踵がちゃんと地面についていない。今のは無しで、数え直すぞ……にーにっ、さんしっ……」
「にぃにっ、さんっしっ――!」
その後も幾度となく注意を受け、ようやく一通り終えた頃には既にラストの身体は軽く汗をかいていた。
未だ準備運動しかしていないにも関わらず、木剣を五十回は振ったくらいに疲労がたまっている。
軽く息を乱している彼を見ながら、エスは腰に手を当てて笑う。
「はっはっは、どうだ? 普段使わない部分を意識して動かした感覚は。思っていたよりも自分の身体は固かったろう」
「は、はいっ……」
「腕だけで剣を振っているから他の場所が柔らかくならない。一流の剣士は全身の力を自在に操って敵を翻弄する。【剣皇】のように剣一筋でてっぺんまで突き詰めるのではないにせよ、それくらいは出来るようにならなきゃな。それ、落ち着いたら次は走り込みだ。屋敷の外に出て、塀に沿ってぐるりと回る。そうだな、今の君なら五周程度で良いだろう。体の隅々にまで気を張り巡らせて、呼吸と歩幅を安定させることを意識して走るように」
「はいっ!」
石畳で舗装された道を歩いて、屋敷の外へ出るラストとエス。
そこには僅かにシルフィアットの血痕と羽根が残っていた。
それらに顔を顰めて腕を一振りして消し去り、彼女はラストに向き直る。
「ふん、後片付けくらいはさせてから帰した方が良かったか? なに、君は気にするな。こっちよりも自分の身体に気を払え。では、行くぞ!」
颯爽と駆け出したエスの背を追うようにラストもまた走り始める。
しっかりと整地された土の上を、左の足と右の足を交互に出して駆け抜けていく。
「はっ、はっ、はっ……」
「全身を意識して走るのは辛いか? そうだろう。これまではあまり使っていなかった頭も全回転させているのだ、使う集中力も半端なものではない。だが慣れれば大したことじゃなくなるぞ、余のようにな!」
真剣に彼女に言われた通りに集中して走っているラストには、前と自分のことしか見えていない。
だが、それに対してエスは彼のことを気にかけ、助言を送るほどに余裕がある。
汗まみれになった自分とは裏腹に、汗一つかかず走り続けている――余裕綽々の彼女に負けたくなくて、ラストは意地を張って走り続けた。
やがて屋敷の門を見るのが五度目を迎えた後、きっちりと制動をかけて立ち止まったエスの傍に彼はばたりと地面に倒れた。
「おお、よく走り抜けたな! てっきり三周目くらいで速度を落とすと思ったが、ちゃんと最後まで余に着いてくるとはな。素晴らしいぞラスト君!」
「はぁっ、はぁっ、ぜぇっ、ぜーっ……お姉さんにぃっ、出来るとっ、ふーっ……言われたので、出来ると思ってっ……」
「いやはや、そこまで信頼されるとは照れるな。ま、準備運動はこんなもんか。肺が痛くて辛いだろうが寝るなよ? すぐに治るから、深呼吸してたっぷりと魔力を身体の端から端まで取り入れるんだ。それが終わればここからお待ちかねの剣の練習だからな」
「はいっ! すぅー、はぁーっ! すぅーっ、はぁーっ……」
素直に深く呼吸を始めたラストに、ふとエスの顔が小さくいたずらっ子のように歪む。
「よしよし。どれ、より休みやすくなるように余が膝枕でもしてやろうか?」
「いえっ、そんなっ! 汗と土塗れのこんな頭でお姉さんの服を汚すには及びませんっ!」
「問題ない、服など洗濯すればすぐに綺麗になる。子どもは素直にエスお姉さんに甘えておけ」
ラストの全身が疲労に痺れて動けないことを良いことに、エスは正座して彼の頭を自身の太腿の上に乗せた。
柔らかな感触が髪越しにラストに伝わる。
だが、それよりも冴えた彼の眼が真上から自身を見つめるエスの優しい瞳――その手前に聳え立つ双丘を自然と意識してしまい、心臓の鼓動は休まるどころか更に激しくなっていく。
結局身体が回復するまでの五分程度、彼の心は休むに休めずドギマギしていた。
そんな彼を、エスはニマニマと眺めていた。
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