第18話 なぜ学ぶのか


 翌朝。エスお手製の朝食を終えた二人は早速英雄育成計画に足を踏みいれようとしていた。

 相当辛い訓練が待っているだろうと、ラストは覚悟を決めて彼女の後を着いていった。

 しかし彼は今、何故か苦痛にひいひいと喘ぐのではなく、椅子に座って机と向き合っている。

 正面には普段の体型が隠れるローブを脱いだエスが黒板を背にして立っていた。


「では、これより授業を始める」


 かけていた眼鏡の縁を思わせぶりにくいっと上げ、彼女の瞳がきりりと輝く。


「はい、質問です!」

「なんだ、ラスト君」

「厳しい勉強だと聞いていたのでてっきり木剣でびしばし扱かれると思っていたんですが、違うんでしょうか!」

「そう焦るな。物事には順序というものがある。まずはその前にやらなきゃならないことがあるんだ」

「なんですか?」


 食い気味に身を前に乗り出したラスト。

 はっはっとやる気を出した犬が耳を振っているような幻影が見える彼を、エスは「まあ落ち着け」と手で制した。


「この計画をこなすのはあくまでも君だ。故に、君の嗜好に合わせて細かい内容を策定する。嫌な勉強を丸一日コツコツとこなそうとしても、頭が拒否して身につかないだろう? いずれはそういうのもやらなきゃならないのは当然だが、どうせなら最初は好きな分野から始めて一日の自分の勉強への意欲を高める方がいい。というわけでラスト君、君はどんなことから勉強を始めたい?」

「魔法です!」


 ラストは間髪入れずに答えた。

 先日魔法陣を描いた記憶が彼の中に蘇る。自分には扱えないと思っていた魔法、それが実は使えるのだと知って彼はいっそう魔法について夢を見ていた。

 力がなくとも【英雄】になる、そう宣言した彼だがやはり英雄らしい強力な魔法の一つや二つは使ってみたいという憧れがないわけではなかった。


「魔法か、よし。では問おう――どうして君は魔法を学ぶべきなんだ?」

「どうして、ですか?」


 ラストの答えに頷いたエスだったが、彼女はすぐに魔法についての授業を始めなかった。

 その代わりに魔法を学びたいと言った理由を問われ、彼は言葉を詰まらせる。これまでは「これが【英雄】に必要な勉強だ」と言われれば素直に受け入れてきた彼にとって、初めて聞かれた類の質問だった。


「おおっと、まさか勉強する意味も分からずに勉強するつもりかい? 目標もなしに面白半分に勉強するのは遊んでるのと同じことだぞ」

「……それは」


 図星を突かれ、ラストの勢いが急に窄む。

 【英雄】は魔法を使うものと漠然とした憧れから出た答えだっただけに、そこまで深く考えていなかった自分に彼は急に恥ずかしさを感じた。

 だが、ここでもじもじと時間を無駄にする余裕はない。


「僕には魔力がからっきしだけど、それでも魔法がまったく使えないわけじゃないって思ったからです……」


 自分で浅はかだと気づいた己の考えを、ラストはあえて素直に吐いた。


「昨日の転移魔法のことかい? あれはここの龍脈の魔力を使ってるんだが、そんな贅沢な自然の魔力はそこらに転がってるわけじゃない。あんなのはごく限られた場所での力だ、限られた勉強時間を割く理由としては弱いな」


 思っていた通りに駄目出しされ、彼はうぐっと息を詰まらせる。

 ――しかし、エスは彼が魔法を学ぶことそのものが間違いだとは言わなかった。

 ラストが抱いた理由はよくなかったと言えど、ちゃんと魔法を学ぶべき理由が他にあるはずだと彼は考えを巡らせる。

 うむむと悩む彼の前で、エスが小さな魔法陣を宙に描いた。


「ラスト君、これがなにか分かるか?」

「なにって、ただの魔法陣ですよね」

「そうだ。では、こいつはどんな魔法の魔法陣だ? 君にはちゃんと見覚えがあるはずだ」


 そう言われてじっと見つめると、ラストはそれが昨日自分が描いたばかりの転移魔法陣であることに気がついた。


「余がいたあの星見の部屋は、屋敷のどこからも繋がっていない。だが君は余の使った魔法を分析して、見事余の下へたどりついて見せた。つまり魔法について知見を深めたことで、余の行き先を引き当てることが出来たということだ。これが実際の戦いだと、どう役に立つと思う?」


 実際の戦いで相手の使う魔法について知ることが出来れば、どんな利益があるか。

 ラストは魔法を交えた戦闘の経験がないため、代わりに剣を使った戦いに置き換えて考えてみた。相手の剣の振り方を知っていた場合にもたらされる利益とはなんだろう、と。


「えーと……相手の魔法について知ってれば、相手がどんな魔法を使うのか分かる?」

「そうだ。相手の手札が分かれば、次の動作について推測を立てやすくなる。攻撃範囲、属性、消費魔力量……発動する魔法についての全てがこの円環に詰まってる。これを理解すれば、その魔法を発動前に潰すべきか、それともちょっと移動しただけで避けられるのか。格段に自分の身の振り方を考えやすくなる」

「なるほど……」


 こくこくと頷きながら、ラストはすぐに手元に置かれていた白い紙に羽根ペンで彼女の言っていたことを書き取った。


「それだけじゃないぞ? 君はこれから誰かと組んで戦うことも増えるだろう。その際に味方の使う魔法への理解も深ければ、それをどう切るべきかの判断もつけられるようになる。敵を知り、己を知る。それが勝利へと近づく第一歩なんだ」

「戦いの組み立て方に、魔法の知識は大いに役に立つということですね。分かりました!」

「うむ。……あと、さっきはちょっと強い言い方をしたがな。君にまるっきり魔法が使えないというわけでもない」

「本当ですか!?」


 彼女に言われたことには納得していたものの、自分で魔法を使うことを否定されて内心残念がっていたラストが一転して喜びに声を上げる。

 彼の可愛らしいはしゃぎっぷりに微笑みながら、エスはやれやれといった様子で声をかけた。


「君には魔力容量の拡張訓練も行ってもらうからな。それに、生まれ持った魔力量は肉体ではなく本人の魂に依存する。そちらに手を入れても良いというなら……そうだな。初級魔法一発分くらいは扱えるようになるだろう」

「初級魔法、というと……」

「こぶし大の火の玉を飛ばしたり、風の矢を放ったりだな」

「そうですか……いえ、そんなものですよね……」


 予想していた光景には遠く及ばない魔法に、ラストが再びしょぼんと落ち込んだ。


「おいおい、残念そうな顔をするな。どんな魔法でも使いようによっちゃ切り札に化ける。それに余の教えたことをちゃんと身に付ければ、自分だけの魔法を作るのだって夢じゃない。小さな魔力で大きな結果を出す、そんなことを考えてみるのも悪くないんじゃないか? ま、そこんとこもおいおい教えてやろう。まずは基本的な魔法の扱い方からだな」


 彼の頭を慰めるようにわしわしと撫でてから、彼女は黒板に説明を書き始めた。


「魔法とは、魔法陣に魔力を通すことで他の力に変換し、現象を操作する術のことだ。熱に、光に、加速……それらが複雑に織り重なることでようやく君の知るような爆発や転移が起こる。故にその変化過程への理解を深めれば深めるほど、魔力効率が上がる。一の魔力で発生させる火球に十や二十の魔力を消費することはない。無駄が減れば魔法陣への負荷が減衰して威力が向上し、また魔力消費量の減少から間接的に戦闘継続力の向上にも繋がる。書き取ったな? それではまず、基本となる五属性初期魔法の魔法陣から――」

「ちょ、ちょっと待ってください」


 一瞬で幅広い黒板の隅から隅までを埋め尽くしたエスに、ラストが慌てて待ったをかけた。


「なんだ?」

「詠唱については何もしないんですか?」

「んあ、詠唱ぅ? ……そんなものもあったな」

「ブレイブス家では魔法には詠唱に力を込めるのが重要だって、覚えさせられてたんですけど……。そう言えばお姉さんはなにも言わずに魔法を使ってますよね」


 自身の父、ライズの大々的な詠唱がラストの記憶から蘇る。

 なにせ彼の魔法の詠唱練習は、王都でも有数の大きさを誇る屋敷の隅から隅にまで響き渡る一種の名物として有名だったのだから。

 だが、エスにとっては心底興味ないものらしく、彼女は頭をかきながら吐き捨てた。


「まぁな、ぶっちゃけどうでも良い。というか無駄だ」

「どうでも良いんですか!?」

「詠唱ってのはな、素人が集中力を高めるためだけにあるもんなんだよ。深層意識野に刻まれた魔法陣の構成図を通常の意識的演算領域に喚起するための鍵、と言っても良い。個人個人によってバラバラだし、それだけで魔法の判別をつけるのは難しいからな。まー、はったりを利かせるには重要か? なんも知らない奴ら相手なら、仰々しい言葉の一つや二つ並べ立てとけば勝手にビビるからな。そっちの語彙が増やたいなら、後で詩集でも読んどけば良い。余としては止めとくのをお勧めするがな……そっちの闇に踏み込み過ぎると、後々痛い目を見ることになるからな」


 彼女が指を振ると、どさどさと適当に棚から引き抜かれた本がラストの机に積み上がる。

 『ベアトリーチェに捧ぐ我が愛の歌』、『剣士ゴルムンドの英雄賛歌』、『星辰のしらべ』……それらしい文句の書かれた文集が山のように置かれた。


「元ブレイブスなら、魔法についてもいくらか知識はあるだろう。だが、今は捨て置け。余が教えるのは外面だけ整えるお唄遊びなんかじゃない。魔の理を現実に導くための真髄だ。いいか、言葉遊びに気を取られるよりも先にこの黒板の内容を記憶にしっかりと刻み込むんだ。それが先人としての余が君に教えられる、最大限の忠告だ!」


 そんな彼女の言葉をよそに、ラストは傍に置かれた詩集を軽く捲った。

 中身は残念なことに魔族の言語で書かれているらしく、難解な言い回しにすぐには読めなさそうだった。

 ――だが、その頁はどれもしっかりと手垢がつくほど読み込まれており、背表紙がほつれかけている。

 そもそもエスは不要だと言うが、そのようなものをわざわざ屋敷に置くような彼女でもあるまい。ラストは彼女がこれらの無用そうな本をあえて揃えていた理由について考えを巡らせた。


「……もしかして、お姉さんも昔はこういうのに凝ったりしたんですか?」

「ぶほっ!? い、いや、そんなことはないぞ! 余は【魔王】エスメラルダ・ルシファリア、無駄と不合理を排除し冷徹と論理を突き詰めた魔族の覇者なんだぞ! そのようなものにうつつを抜かした挙句、自作の詠唱を大々的に戦場で披露したことなんて――あるはずがない、そうだろう!?」


 せっかくエスが眼鏡で知的な雰囲気を整えていたのに、純粋なラストの一言がそれを瞬く間に台無しにしてしまった。

 鬼気迫る様子で考えの修正を求めるエスの勢いに、彼は思わず本を持っていた手を滑らせて落としてしまった。

 その隙間から一枚の古びた羊皮紙が、ひらりと舞い落ちる。

 思わず床に落ちたそれを拾い上げたラストが、底に描かれていた内容を読み上げた。


「えーと、なになに……【我が真名によりて力を示せ、金色なる夜叉の王。轟け、夜天を斬り裂くとこしえの――】」

「うわあああああああっ!」


 残念ながら、ラストにその先を読むことは叶わなかった。

 なぜなら遥か昔の忌むべき記憶の欠片をこれ以上思い出すまじとエスが紙片をひったくり、バラバラに引き裂いてしまったからである。

 教師としての顔が崩れ、真っ赤に顔を染めた彼女がその記憶を忘れさせようと彼の頭に電撃魔法を叩き込もうとしたのは――この、僅か二秒後の話だった。

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