第17話 育成計画


「――はっ!?」


 覚醒すると同時に勢いよく身体を跳ね起こしたラストは、自分が清潔なベッドに寝かされていたことに気づく。

 その部屋は周囲に生き物の模型や解剖図がずらりと並べられており、つんとした薬の匂いが漂っている。


「うわっ、ととと……っ」


 思わずベッドの上から転げ落ちそうになった身体を支えると、そこで彼は自分の無くなっていたはずの左腕が繋ぎ直されていることに気づいた。

 千切れたことなどなかったかのように完璧に動く五指と肘に驚いていると、ちょうど付け根の辺りにギザギザの罅割れたような傷痕がうっすらと見てとれた。

 そこを見つめていると、唐突にラストの後ろに気配が出現する。

 彼が振り向くと同時に――その顔がむぎゅっと柔らかいものに押し潰された。


「起きたのか、ラスト君!」

「むぐぐっ!? むごっ、むごごごっ!?」


 甘く官能的な感触が視界いっぱいを包み込み、彼の頬がぽしゅっと赤く染まる。

 しかしこのままでは、それを楽しむよりも先に呼吸が封じられてしまっている。

 せっかく無事だったのがまた気絶してしまいそうで、彼は離してくれと腕を叩いて懇願する。


ひむ死ぬっ! ひむひゃむむむっむ死んじゃいますって!」


 しかし、そんな彼の叫びに聞く耳を持たず、エスは更に彼を抱く力を更に強めた。


「まったく、君って子は随分な無茶をしたな。応接室に残ってたのを見たぞ。血を媒介にした魔法陣の構築、理論もなにも知らないでやって良いことじゃないんだ! 龍脈から汲み上げた高濃度の魔力に媒体が耐え切れずに消し飛んでいた。今回は腕だけで済んだものの、首か頭だけがすぽんと取れててもおかしくなかったんだ! 二度とあんな真似はするな! 分かったな!」

「んむむーっ!」


 声を出すことのできない彼はこくこくこくっ、と何度も顔を上下させて反省の意を示した。


「よろしい。ま、そこまで余のことを気にかけてくれていたことに免じて今回はこれで許してやろう」

「ぷはっ! はーっ、はーっ、はーっ……あ、ありがとうございます……?」


 ようやく解放されて、何度かラストは喘ぐ。

 呼吸困難で顔が青くなり、かつ性的な興奮で赤くもなり、その両方が合わさって形容しがたい表情になりつつも彼はなんとか息を整えた。


「それでどうだ、腕の調子は。余は完璧に繋げたと思うが、一応本人にも確認しておかないとな」

「はぁ、はぁ……ええと、腕の方は大丈夫みたいです。動かしづらいとか、そういうのは全くなくて。傷さえなければ、千切れたなんて分からないです」

「そうかそうか、さすがは余。物理的施術もお手の物だ。本当は特注の便利機能満載の義肢をつけてやっても良かったのだが……」

「……と、いうと?」


 彼の記憶によれば、ブレイブスの屋敷にも義肢を身に着けた使用人がいた。

 庭を手入れしている老人が昔の戦争で右足を吹き飛ばされたのだと勲章のように自慢していたのだった。

 彼の義肢は固い木の棒を削って作った素朴なものだったが、既にラストはエスの作るものがその程度では終わらないことを知っている。

 うずうずと話したそうにしている彼女に内心呆れながら続きを促すと、エスは胸を張って指を折りながら機能を説明しだした。


「うむ! まずは何と言っても仕込み剣は外せないな」

「仕込み剣……ああ、確かに普段はそうでなくともいざというときに武器になるのはかっこいいですよね」

「そうだろうそうだろう! そこに使うのはもちろん、魔法すら切れるようになるオリハルコン鋼と緋々色金の合金から鍛造した剣だ! 更に関節部には威力を増幅させる加速機構、後は対五属性魔法用の複重結界魔法陣に使用者の身体能力を向上させる半永続的身体強化――」

「え、えっと。お姉さん?」


 途端に饒舌になった彼女に、やはりとラストは嫌な予感をびんびんと感じる。

 落ち着いてもらおうと口を挟んでも、もはや彼女が止まることはなかった。


「――それらを成立させるための自動魔力吸収機能も必須だな……あと神経を間接的に接続するから五感も生身と変わらないぞ! それでいて軽さも重力魔法によって自由自在に操作可能! そしてなにより――いざというときには切り離して小国一つを壊滅させられるだけの自爆機能付きだ!」

「そんな危険なもの絶対にいらないです!」

「そうか? そいつは残念だ」


 エスが勝手に相手を改造するようなろくでなしでなくて本当に良かった、とラストは安堵した。

 にっこりと楽しそうに笑うエスの様子からして、恐らくは彼が欲しいと言えば本当に作って見せるに違いない。

 胸を撫でおろしている彼をよそに、彼女は途端に真剣な顔つきになる。


「まあ、今のは半分冗談だが」

「半分ですか。それどころか九割方本気だったような気がするんですけど」

「さてどうだろうな。……それはひとまず置いといて、今後はそうも言ってられなくなるぞ」

「え?」

「ラスト君、君は余の隣に立つだけの【英雄】になると言ったな。足りない力を発想と根性で補うにしても、どうしたって限度はあるからな。ある程度の武力は余らの舞台に立つには必要不可欠なんだよ。魔法を込めた武装なんか一つや二つ持ってなきゃ、逆になめられる」

「……はい」

「そう言ったところを踏まえて、君が寝ている間に余がある程度の計画を立てておいた。じゃじゃーんっ!」


 亜空間から取り出した分厚い紙束を、エスが分かりやすくラストの前に差し出した。

 それはまるで鈍器のようで、角を使えば人一人は簡単に殴り倒してしまえそうだ。

 なぜかどんよりと重苦しい威圧感の感じられるそれを受け取った彼が表紙を見ると、こう書かれていた。


「【次世代英雄育成計画書】……?」

「そうだ」


 デカデカと記された題目に、ラストは目を丸くした。

 なお、英雄の文字の下には二重線で消された魔王の二文字が見える。

 重そうなその資料をいったんベッド脇に置いた彼に、いつのまにか取り出した眼鏡をちゃきっと身に着けたエスが問う。


「ラスト君。君は人類と魔族の戦争は何故起きると思う?」

「えっと……それば、人類と魔族が互いに憎み合い続けているからじゃ?」


 魔族は恐ろしく、人を見れば容赦なく襲い掛かる化け物であるとは人々の共通認識だ。

 ラストは人間側の意識しか知らないが、恐らくは魔族側も人間に対し並々ならぬ悪感情を抱いていることは容易に想像できた。

 だが、そんな彼の推測をエスは否定した。


「違うな。そもそも前回の戦争からどれだけ経ったと思っている。顔も知らん先祖の恨みつらみを引き継いでる奴らなんぞほんの一握りだ。君も言っていただろ、今の帝国と周辺国の戦争で争っている理由はなんだった?」

「……領土の奪い合い、ですか」

「そうだ。領土、つまり資源だ。いいか、戦争というのはつまるところ利権争いだ。豊かな農業地帯や鉱山、交易路……他人の持ってる金の生る木が羨ましいから、手っ取り早くそいつを奪うために起こすんだ」

「……そう言われれば、そうですね」


 彼女はラストの持っている知識をうまく引き出しながら、彼に理解を求めていく。

 自身の知っている事柄と合致したエスの説明は、すんなりと彼の頭に染み渡っていく。

 

「じゃ、そういった奪い合いを起こすのは誰だ?」

「奪い合い……戦争を起こせる人間ですか。それはもちろん、王様とか、国の偉い人ですよね?」

「ああ。戦争を起こせるのは兵の上に立つ人間、つまり国の上層部だ。民衆には戦争をやるかやらないかの決定権はない。戦争を止めたいなら、集団の上を押さえなきゃならない。魔族の方は余一人で問題ないが、まさか【魔王】が人間の上に立つなんてのは天地がひっくり返ったって無理だ。――そこで君の出番、というわけさ」

「【英雄】として、魔族との戦争を起こさないように人間側に働きかける……?」


 ラストの導き出した答えを肯定するように、エスがニヤリと笑った。


「余と同じ志を持つラスト君が、並いる権力者を押さえて新たな【英雄】としてそっちの陣営の上に立つ。それが戦争を起こさせないための大前提だ」

「……難しそうですね」

「そりゃそうだ。戦争をやりたいって奴らはごまんといるし、人間界は力だけじゃ押し通せない面もある。ある意味魔族よりも厄介だ。そこで、君がそいつらに勝てるようになるための手引きがこれだ」


 エスがラストの手の中の紙束を指さした。

 ぺらりと表紙を捲れば、その中には蚊のような細く小さな文字が隅から隅までぎっしりと詰め込まれている。

 座学が苦手な人間が目にすればその場で泡を吹いて気絶するか、泣いて許しを請うような代物だ。

 謎の重圧の正体はこれかとラストが戦慄しているのも知らず、エスは鼻高々にこの計画の成立の切っ掛けを語る。


「こいつは昔、余が万が一人間に討たれた時のために次の【魔王】を育てようと考えた計画だ。文武両道、魔法学に始まり物理学や心理学などの知識から剣術体術騎乗術なんかの武芸百般まで、ありとあらゆる分野を網羅する学習計画。……まあ、当時は教育者が余以外に見つからなかったからお蔵入りだったが。どいつもこいつも、育てるくらいなら戦場で敵をぶっ殺したいとかほざくもんでな。ああ、思い出しただけで苛々する」

「あ、あはは……」


 シルフィエットという具体例を見ていただけに、ラストは否定できなかった。

 とは言え自分の種族をけちょんけちょんにけなす彼女に同調するわけにもいかず、彼は苦笑いするほかなかった。


「ともかく【魔王】を育てるのも【英雄】を育てるのも変わらんだろうしな。これをたたき台にちょこっと種族的な所は変えたが、大筋は同じだ。全て修了した暁にはそこらの【英雄】見習いなんか目じゃないこと間違いなしだぞ!」

「……他のブレイブスにも負けないくらい、ですね」

「ふん、君を追放するような底辺の連中などと比べること自体がおこがましいぞ。そんなものが砂粒に見えるほどに鍛え上げてやるから、目にもの見せてくれるくらいの気概を見せろ!」


 そう意気込むエスをよそに、ラストはぱらぱらと計画書の中身を軽く流し見た。

 彼も生半可なことではエスの隣には並び立てないことは覚悟していたが、彼の予想よりもずっと【英雄】になるまでの道のりは長く険しいようだった。

 ――【魔王】一人に対して人類側は【英雄】【剣皇】などの数多くの勇名を誇る者たちが結集することでようやく戦いが成立することから、魔族と人類はそもそも個体としての強度がまったく異なる。

 その育成論を人間であるラスト専用に落とし込もうとするならば、当然その分だけ無理をしなければならないのは当然のことだ。

 だが、これを乗り越えれば確かに彼女の言う通り、他の未来の英雄たちよりも何歩も先に立つことが出来るに違いないとラストは確信していた。

 ――それに目を上げれば、彼女の信頼の眼がまっすぐに彼を見つめている。


「気張れよラスト君。なーに、君なら出来るはずだとも。【魔王】である余が全力で教授するんだ、どんと胸を張って夢に挑め! 余と君の二人なら必ず成し遂げられる、そうだろう?」


 もとより彼女の想いに応えたいという願いから始まった彼の【英雄】への道だ。

 それを他ならぬ彼女自らが後押ししてくれるというのだから、彼の返すべき答えはとっくに決まっている。

 如何なる難題だろうと乗り越えて見せる、その強い気概と共に彼ははっきりと声に出して叫んだ。


「はい! なんとしてでもこれをやり遂げてみせます! ――だからこれからよろしくお願いします、エスメラルダ師匠!」

「良い返事だ。ふふふっ、余好みの【英雄男の子】に育ててやるからな。覚悟しておけよ、ラスト君……」


 最後の小さな一言に何故か謎の悪寒を抱きながらも、ラストが勢いよく頭を下げる。

 未だ血が足りなくてふらりと転びかけた彼をエスが慣れた手つきで持ち上げてベッドに寝かしつける。

 その二人の微笑まし気なやり取りを、周囲に飾られた無機質な保存液漬けの標本たちが眺めていた。

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