第16話 小さき英雄の萌芽
「ラスト君!? どうして君がここに――そもそもこの場所の座標をどうやって、いやそれよりも君に魔法が使えるはずが……うわっ!?」
エスが驚いてラストの下へ近づくと、星々の光に照らされて彼の姿が鮮明に浮かび上がってくる。
露わになった彼の全貌を見て、彼女は慌ててその身体を抱き寄せた。
「その腕はどうしたんだ!? 尋常じゃない力場の嵐にでも遭ったみたいな……まさか空間の断裂に巻き込まれたのか!?」
エスが手を添えた場所には、べっとりと血と肉の欠片が付着していた。
ラストの左腕があったはずの場所は肩先から強い力に捻じられたように引き千切られていた。
彼女は自身の知識から、空間魔法の実験に似たよう失敗事例があったことを思い出す。
「失血は問題ないか。だがすぐに千切れた腕を繋げなきゃ大変なことになる! 転移元に転がってるのかそれとも時空間の狭間に消えたか? ひとまず戻って治療を――」
「――待って、下さい……っ」
すぐに転移の魔法陣を構築しようとしたエスの手を、ラストが残った右腕で強く握りしめた。
「どうしても、伝えなきゃならないことが……あるんですっ!」
「なにかは知らんが、まずは君の腕を戻すことが最優先だろうが! 君の身体のことなんだぞ、時間が経てば経つほど元通りになる確率が少なくなる! 断絶した神経系が効力を失うまでの時間は肉体を繋ぎ直すまでの時間に比例する、一刻も早く措置を取らなければ一生隻腕だぞ!」
「腕の一、二本なんかどうだって良い! 僕のことより、お姉さんの方がよっぽど大事なことなんだっ!」
ラストが顔に脂汗を浮かべながら、大声でエスに訴える。
身体の一部が欠けた喪失感と激痛は並大抵のことではないと、かつて数々の戦場を見てきた彼女は知っている。
それに耐えてまでなにかを伝えようとする彼の剣幕に押され、彼女は思わず頷かされた。
「一人で昔のことを解決するって言っても、お姉さんは哀しそうな目をしてる! 辛そうで、泣きそうで……本当はそんなことしたくないんでしょう!?」
「――だが、やったことの責任は取らきゃならない。一度【魔王】として魔族の上に立ったからには、どれほど辛くとも目を背けちゃいけなかったんだ。余はなんとしてでも、今度こそこの争いに終止符を打つ」
「そのためにお姉さんがどれだけの血と涙を流しても、ですか!? そんなことはしたくないって、平和が一番だって言っていたお姉さんが! あのシルフィアットさんの手を取ってまた【魔王】になる――そんなことは、僕はさせたくない! やりたくないことのためにあの人と一緒になるくらいなら、僕にお姉さんの助けにならせてください!」
ラストははち切れんばかりに力を込めた目でエスを見つめる。
だが、そんな熱い視線を彼女は首を振って否定した。
「――無理だ。ラスト君では力不足が過ぎる。君も気づいてるんだろう? ちょくちょく余が魔法を使うたびに羨ましそうな目を向けていたからな。自分の魔力不足を、君は痛いほど分かってるだろうに。そんなので私を助けるなんて、出来ると思うか?」
「……お姉さんの言う通りです。僕の魔力が絶望的だって、今の世界では足掻くことも許されないようなものだってのは分かってる」
「なら――」
「それでも僕は、お姉さんの力になりたいって想いだけは誰にも負けない!」
エスの説得に対して、ラストは一向に引く気配を見せない。
むしろ彼女が突き放そうとするほど、彼は追いすがるように気迫を強くする。
「お姉さんは【魔王】、なんですよね?」
「……ああ、そうだ。【魔王】エスメラルダ・ルシファリア。それが余の本名、【
「――じゃあ、【英雄】ならどうですか? 【魔王】を打ち倒した【英雄】なら、足りませんか?」
「急になんでそんなことを。なにが言いたいんだ?」
言葉の真意を問うエスに、ラストは覚悟を決めた。
これまではずっと黙ってきたことで、彼は叶うことならずっと記憶の底に封じておきたかった。
それは彼にとって一番のトラウマで、思い出すたびに身体が震えそうになるからだ。エスが一緒にいてくれなければ、それは辛い過去の悪夢のままだった。
だが、それが今の彼にとって前へ踏み出すための一歩となるならば。
魔力が無くても自分の価値を認めてくれていた彼女のためならばと、ラストはその重い心の蓋をこじ開けた。
大きく息を吸い、思いの丈を全て吐き出すようにして叫ぶ。
「僕の本名はラスト・ブレイブス! かつての大戦の立役者の、【
「なっ……君が……? いや、確かに……道理で既視感があると思ったら……」
茫然とする彼女に、ラストはそのまま捲し立てる。
最も言い出し辛いかった隠しごとをさらけ出した今、もはや彼に恐れることは何もなかった。
「確かに僕には魔力なんて凄い力はありません! それで家から追い出されましたが、それでもそれ以外の才能はちゃんと引き継いでるつもりです! 力がないからなんだって言うんですか! そんなものが無くても僕はこうしてお姉さんのところに辿り着いてみせた――あのシルフィアットとかいう人には見えていないお姉さんの本当の夢を、僕は放っておきたくない!」
溢れ出した熱い胸の内が、次から次へと口をついてエスへと飛び出していく。
「戦いたくない、平和に過ごしていたい! そんな本当のエスお姉さんの想い、夢の方がこんな力だけでどうにかなる世界よりも絶対に良いに決まってますっ! そんな、誰よりもすごい夢を叶えられる……力だけの【英雄】なんて必要ない世界を貴方と一緒に作る! それが、僕の目指したい今の【英雄】なんです!」
戦う力だけが全てという現実の在り方を、これまでのラストは諦めと共に受け入れていた。
それが自分には変えられない世界の真実なのだと、それが当たり前だと思っていたから。
しかしその当たり前を飛び越えて彼女の下へたどり着いた今、そんな悲観は彼の心からとうに消えていた。
力で道理を押し通すだけの世界から、新たな平和を導く――その世界でエスが笑っている夢を、彼は叶えたいと願う。
「本当のエスお姉さんの夢を【魔王】エスメラルダが置いていこうとしたって、僕が絶対に逃がさない! 何度だってこうして、本当のお姉さんに辿り着いてみせますっ! ……だから、そんな寂しそうに泣かないでください。お姉さんは笑っている顔の方が、ずっと綺麗なんですから……」
ラストの魂の叫びを受けて、彼女の頬にはいつの間にか一筋の涙が伝っていた。
彼は伸ばした右手の指でそれを拭い、そのままそっと彼女の冷たい頬に添えた。
彼の体を巡る熱が、じんわりと冷徹さを取り戻しかけていたエスに染み渡っていく。
それを最後に言いたいことを全て言い切ったと言わんばかりに、ついにラストは激痛に耐えかねて気絶した。
くったりと力が抜けて、次第に顔が青ざめていくラスト。魔法陣を描くのに多くの血を使って、その上片腕まで無惨な形で失った彼はもうとっくに意識の限界を迎えていたのだった。
「……【魔王】を助けたいなどとほざく【英雄】があってたまるか、ラスト君」
彼の左肩に治癒の光を当てながら、エスは呟く。
「人と魔が手を組むなんて有り得ない。かつての余ならそう思っていたが、それは違うということを教えてくれたのも君だったな。ふっ、それくらい馬鹿げたことをしなければ世界に平和は訪れないのかもな」
エスはすっくと立ちあがり、足元に魔法陣を描き出す。
その強い光に包まれる中、彼女は胸元のラストに目を落とした。
すやすやと眠るラスト。その右腕は今もなお、絶対に逃がすまいとエスの身体を掴んでいる。
今の彼女にはもはや、それを振りほどくことなど出来なかった。
――なぜなら今のエスは身体だけでなく、その心までもが彼に絡めとられていたのだから。
「ここまで大言壮語を吐いたからには、責任を取ってもらうからな。その準備が整うまで、しばし眠っていると良い。……今は小さき、余の【英雄】よ」
彼女は眠っているラストの額にそっと
「ふふっ、世界の平和か。そんなもの無理かと思っていたが、これがどうして、今は不可能な予感がしない。ふ、ふふふ、ふはははは――っ!」
気づけば、いつの間にか彼女の胸の冷たさは消えていた。
――その代わりに胸に灯った新たな熱が、そんなものを覆い尽くしてしまったから。
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