第14話 天啓と覚悟
「――いや、待てよ?」
残されたラストが悔しさに血が滲むほど拳を握りしめていると、唐突に彼の頭に天啓が閃いた。
彼はエスから既にこの屋敷を一人で行動することを許可されており、色々な所に一人で出歩くことが出来る。
それはつまり、屋敷の移動手段である転移魔法陣を当然のように使用しているということだ。
「魔力がないのに、魔法が使えてる……?」
彼は保有魔力が不足しているが故に追放されたという辛い記憶から、そのまま自分には一生魔法が使えないのだと思い込んでいた。
だが、現にラストはこの半年の間に幾度となく一人で屋敷の各所へ転移を行っている。
あまりに自然に生活に溶け込んでいたため、今の今まで彼は気がつかなかった。
「そう、そうだよ。おかしいんだ」
魔力は引き起こす奇跡の量に応じて魔力を消費する。現【英雄】たるライズとて指先に火を灯す程度なら一日中持続させることが出来ても、戦場を一変させるような大魔法はそうバカスカと撃てるものではないと座学の時間に彼に説明していた。
離れた場所に瞬時に移動する転移魔法が、ラストの極微量の魔力で起動するわけがない。どこか別のところから魔力が供給されており、使用者自身の魔力量は関係がないのではとラストは推測を立てた。
――ならば。
「あの魔法陣をうまく使えば、僕もお姉さんの消えていった先へ行けるんじゃないのかな?」
ラストはばっと部屋の隅に敷かれていた魔法陣へと駆け寄り、じぃっと屈みこんでそこに描かれている紋様を目を限界まで開いて見つめ直す。
これまではあまり気にしていなかったものの、様々な言語や記号が刻印された魔法陣は転移先によって描かれ方が多少異なっている。
きっとその違いが、向かう先を指定する部分なのだと彼は理解した。
「ここを、さっきお姉さんが使ったものに書き換えればっ!」
彼はもちろん、エスが使った魔法陣を覚えている。
なんとしてでも彼女を離さないようにと彼女を強く見つめていたのだ。その時の記憶は、彼の脳裏にしっかりと焼き付いている。
彼女の展開した転移魔法陣は彼がこれまで屋敷で使っていたものと大差ない。その転移先を示すであろう部分を抜き出して、残りは他のものと同じようにすれば発動条件は整うと考えられた。
後は新しく魔法陣を描き上げるだけ、なのだが――。
「魔法陣を組み上げるのに必要なのは、なんだったかな……?」
エスは詠唱もなしに自分の魔力を直に操作して魔法陣を編んでいたが、ラストにはそんな芸当は出来ない。
――では、どうするか。
彼はエスと共に暮らしてきた中で彼女による様々な実験を傍で目の当たりにしてきた。
薬の調合もあれば、空に輝く星々の動きの観察、部屋を天井まで埋め尽くす数式の計算などなど、彼女の試みは多様な分野に渡る。エス自身は見飽きた手順だからかつまらなそうな顔をしていたが、ラストにとってはどれも初めて見る物ばかりで非常に興味がそそられていた。
その記憶の中から、彼女が魔力に頼らずに魔法陣を刻んでいた時のことを思い出す。
「魔法陣は魔力を通すことで効果を発揮する。だから描くのに必要な素材は、魔力浸透率の高い素材……」
エスは古龍の血液や
だが、それらの価値はどれも計り知れないものだ。彼女自身は気兼ねなくたっぷりと使っていても、ラストが勝手に使うことは憚られた。
となれば求められるのは、それらの素材に近似した彼自身の所有物だ。
彼がこの屋敷にやってきた時、彼は裸一貫でなにも持っていなかった――否。
ラストは己の手を見る。
悔恨に握りしめていた手の平には、爪が食いこんで血が流れた跡がある。
「ほとんどないと言っても、まったくないわけじゃない。僅かでも魔力があるんだから、僕の血だって魔力を通せるようになってるはずなんだ!」
彼自身の身体を燃えるように流れる、この赤い血を代用品にする。
ただし、それを使うためには覚悟が必要だ。
龍脈の上に建てられたこの家の中では、多少の傷はすぐに治ってしまう。
故にラストは魔法陣を描き終えるその時まで、何度も自分の身体を傷付けなければならない。
魔法陣の情報量はあまりにも膨大で、一度や二度の自傷では到底足らないだろう。
「ふぅ……」
自分で自分の身体に傷をつけることに、ラストの身体が恐怖に震える。
他人から受けた傷みは我慢できると言えど、これから訪れる痛みを覚悟して自ら傷付けるのは並大抵の覚悟で出来ることではない。
このままでは描き損じてしまいそうだが、何度も失敗を繰り返す余裕はない。
緊張に震える身体を落ち着かせようと、彼は一度大きく深呼吸をした。
恐怖を呼吸と共に吐き出せば、透き通った彼の思考の中にエスの姿が浮かび上がってくる。
たった一人で過去に立ち向かおうとする彼女は、彼には一生かかっても届かないほどの隔絶した強さを持っている。
だが、そんな【魔王】であっても持ち得ないものがある。
「心のぽかぽかは、一人じゃどうしようもない……そうですよね」
それは、誰かと一緒にいられるときの心の温かさ。
それが唯一、数々の恩恵を受けたラストが彼女に与えることの出来るものだ。
転移する直前の彼女は、言葉や表情には出さずとも心で叫んでいた――誰かに側に寄り添っていて欲しい、と。
この半年間で培ったエスとの思い出が次から次へと蘇る。
彼女と支え合った時の光景が、感情ごと怒濤のように彼の頭を駆け巡る。
――いつの間にか、その手の震えは止まっていた。
「よし、行くぞっ!」
調理場へナイフを取りに行く時間も今の彼には惜しかった。
ラストは己の手首にがりっと犬歯を突き立てる。
迸る熱い血潮が、痛みと共に皮膚を伝って指先から滴り落ちる。
その心臓から溢れんばかりの彼女への想いを乗せて、彼は指先を奔らせた――。
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