第56話 拾われ子と鱗人

 黒い髪に紫色の眼。歳は二十代前半頃に見える。男の体格は、スイが出会ってきたどの人物よりも小柄だ。しかし誰よりも異常に思えた。


『(全然気付かなかった……!)』


 シュウも気配が薄い方だが、この男はまったく無い。瞼を閉じれば、そこに居る事を知覚出来ないだろう。


『(……気味が悪い……)』


 男はずっと笑っている。人の笑顔を見て、これ程不気味に思った事は無い。

 距離を取ろうと足に力を入れると、土が崩れ、拘束されていた足が自由になった。コハクと視線がぶつかる。


 ――この男は、危険だ。


 言葉は無くとも、意見が一致したのを互いに理解した。

 スイとコハクが後退ると、その分男が近付いて距離を埋める。


「君はあの子達と違って簡単には死ななそうだから、より楽しめそうだなぁ……ちょっとだけ俺と遊ぼうよ」


『……嫌です』


 何かが身体に纏わりついている様に感じて、スイは腕を摩ったが何も無い。


「つれないなぁ。んー、じゃあ教えちゃうけど」


 男は、音を立てて両手を一度合わせると、さも良い知らせとでも言う様に笑顔で告げた。


「最近この辺りで見つかった旅人達の内、子どもを殺ったのは全部俺」


 無邪気な笑顔で、残虐な事実を告白した男にスイは全身に鳥肌が立つのを感じた。同時に、とある感情がスイを支配し始める。


「それを知っても、君はこのまま逃げるのかい?」


『…………!!』


 足を止めたスイの身体から魔力が立ちのぼる。空気が渦を巻き、霜が降りていく。


『この、人でなし……!』


「んー……まぁ、そうと言えばそうかな。じゃあ、遊ぼうか」


 暗闇の中で二人の剣がぶつかり合い、 金属音が響き渡った。スイは男から目を逸らさずに、剣について訊ねる。


『その剣……東の人ですか?』


 刃の長さは短いが、形状はシュウが持つ物とよく似ている。


「そうだよ。刀なんてこっちじゃあまり見ないのに、よく知ってるねぇ」


 男よりも身長が低いスイが体重を掛けられ、徐々に押し負けていく中、男は不思議そうな顔をした。


「君、結構力強いなぁ……それに目が良いんだね。いや、気配感知が上手いのかな?」


 至近距離で見た男の顔に、ある種族の特徴を認めてスイは呟いた。


『……鱗人りんじん?』


「お、せいかーい」


 人間と似た外見を持つが、所々に人には無い特徴を持つ者を亜人と呼ぶ。

 頭上に生える耳や鋭い牙等、獣の特徴を持つ亜人は獣人と呼ばれるが、鱗等爬虫の特徴を持つ亜人は鱗人と呼ばれる。

 男は先の割れた舌と、紫色の眼の中に縦長の瞳孔を持っていた。


「蛇の鱗人だよ。だから、人じゃないと言えばそうなるね」


 ちろちろと細く長い舌を見せて男は笑う。


『……氷槍アイスランス


「おっとと」


 完全に押し負ける前に放った氷槍は難なく躱されたが、二人の間には距離が出来た。すかさずスイは氷魔法を撃ち込んでいく。


『氷槍、氷礫アイスランス氷柱アイシクル


「お、お、お、撃ってくるね、やるぅ!」


ぐるるるるアースニードル!」


「あっぶな……よっ、と」


『!!』


 スイの猛攻を避けた先で隆起した鋭い岩を既の所で避けた男は、二度その場で跳ねると一気にスイとの間合いを詰めた。

 刀とショートソードのぶつかり合いが始まり、隙を突いては互いに相手目掛けて剣を振った。

 頬が、耳が、腕、脚が裂けて血飛沫が舞う。それでも二人は止まらない。一人は怒りの表情で、一人は愉悦の表情で、血を流しながら剣を振るい続ける。

 男の剣を避けようと一歩足を引いた際、小石を踏んでスイの身体がよろけた。


「もーらいっ」


『……させるか……!』


 首を刃が掠める。皮一枚で躱したスイは風魔法を放った。


風刃ウィンドエッジ


っ……!」


 狙いは外れたが、男の右肩から派手に血が上がった。間発入れずにコハクが岩槍ロックランスを放った。


「あぁもう、鬱陶しいワンコロだな! 俺はお前には興味無いの!」


ぐるるるる誰がワンコロだ!!」


「スイ、大丈夫か!?」


『!?』


 コハクが男に襲いかかろうとした時、暗闇の向こうから聞こえた。枯葉を踏み鳴らしてダニエルとヴァレンスが姿を見せると、男は溜息を吐いて刀を下ろした。


「邪魔者が増えちゃった。うーわ、急に冷めた。俺帰るー」


 男は刀を鞘に戻すとスイ達に背を向けた。あ、と声を出すと顔だけ振り向いてスイを見た。


「君、名前……スイだっけ? そっちの奴がそう呼んだよね?」


『………………』


「俺、ノズチ。じゃあね、スイ。ちょっと遠くに行くから暫く会えないけど」


『待て!』


「次会えた時は、また遊ぼうね」


 ノズチは手を振ると暗闇に溶ける様に消え、スイの手は虚しく空を掻いた。


「悪い、遅くなった。今の奴は……」


「ヴァレンス、それよりも今はスイの治療が先だ! スイ、これを」


 差し出された回復薬を叩き落として、スイはダニエルに食ってかかった。コハクも唸り声を上げてダニエルを睨みつける。



『何で邪魔をした! あなた達が来なければあいつを逃がさなかったのに!!』


「ぐるるるる……!!」


「……スイ……? コハクまで、どうした……?」


 傷付いた顔でダニエルはスイとコハクを見下ろす。

 その様子を見て、ヴァレンスがアイテムポーチから液体の入った小瓶を取り出した。蓋を外して振り撒く。

 辺りに爽やかで清涼感のある香りが広がった。


「ヴァレンス? これは……まさか……」


「たぶんそうだ。見ていろ」


 二人の視線がスイとコハクに向く。怒りに燃えていたふたりの目が、穏やかさを取り戻していく。


『…………あれ…………?』


 頭と胸の中を占めていた怒りと殺意が、スッと消えていくのをスイは感じた。

 子ども達の事については確かに腹が立ったが、火に呑まれる様に瞬く間に激情に駆られた事に、今になって違和感を覚える。コハクも不思議そうな顔で首を傾げている。


「落ち着いたか?」


『……はい。あれ……っ!!』


 スイはハッとしてダニエルに顔を向けた。


『ご、ごめんなさいダニエルさん! 手、大丈夫ですか!?』


 手を取って確認しながら必死に謝るスイに、ダニエルは眉を下げて笑った。


「大丈夫だよ。元に戻って良かった」


『……あの、一体何が……?』


「スイとコハクは狂暴化バーサーク状態に陥っていた。今振り撒いたのはそれを治す鎮静効果のある香水だ」


 激しい怒りにより、殺意や破壊衝動に駆られ、暴れ回るのが狂暴化状態だ。人間が身体の崩壊を防ぐ為に無意識に掛けている制限を外してしまう為、長引けば長引く程肉体へのダメージも積み重なっていく。


『狂暴化……あれが……』


 ノズチどころか、ダニエルさえも傷付ける事を躊躇わなかった。殺そうとさえ思った。

 スイは狂暴化状態の自分を振り返り、恐ろしさに慄いた。


「闇属性の魔法によって陥る状態異常だ。他に身体に違和感は無いか?」


『違和感……』


 スイは身体に何か纏わりつかれた様な感覚があった事を思い出し、ヴァレンスに話した。


「確か、闇魔法に相手の恐怖心を増大させるものがあった筈だ。特徴的にそれだと思う」


『……詠唱は無かったのに……』


「無詠唱発動か。余程の使い手だな」


「……あの男も今回の事件の犯人なんだよな?」


『そうだと思います。子ども達を殺したのは自分だと言っていましたから』


「取り逃したのは痛いが……遠くに行くと言っていたから暫くは安全か……?」


『……すみません』


「いや、仕方無い。闇魔法を続けてくらっても心身が無事だった事を喜ぼう」


「全身傷だらけだ、早く町に戻ってギルドに報告しよう。スイはこれを飲んでおけ」


 差し出された回復薬に、スイは一瞬躊躇ったが礼を言って受け取り、飲み干した。身体中の傷が塞がっていく。


「ノズチだったか、あいつの事はスイしかわからないから一緒にギルドに来てもらわなければならないが、報告が済んだらすぐに休め。回復薬だけじゃ血は増えない」


『はい』


 魔力の使い過ぎと失血により、吐き気とふらつきがあるスイは素直に頷いた。

 森の奥、町がある方向から複数の人の気配が近付いてくる。


「スイ達の所に向かう前に呼んでおいた。賊の連行は彼等に任せる」


 エンブルクの町から来た応援に、ヴァレンスは状況説明と指示を終えると、ダニエルとスイに帰投を促した。

 スイはギルドでゲレオールにノズチの事を話した後は宿屋に戻り、ふらつく身体でどうにか身を清めると朝まで深い眠りについた。

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