第30話 仲直りしませんか。

 目の前にいるのは人気アイドルの九条乃々花くじょう・ののかだという実感はすっかり薄れていて、私はただノノを見つめていた。


 手近にあったソファーの上で、ノノがあっけにとられた顔で寝転がっている。


 なにが起きたのかわからなかったのだろう。――私もこんなに上手くいくとは思わなかった。


 おそらくスイートルームと言われる豪華な客室には、広いリビングと寝室が別々にあって、ベッドは見える範囲になかった。


 一瞬行き場を見失いかけたが、私は上手いことノノをソファーの上に押し倒した。


 さっきまで私の言うことをまるで聞かず反抗的な態度だったノノも、自分が横になって、そんな彼女を私が馬乗りに近い形で見下ろしている状況にすっかり黙ってしまう。


「ゆ、ユズ……急に、なにするの」


「ノノさんが私の話聞かないから」


「だ、だって、ユズが女たらしだからっ」


「へぇー。私が女誑し」


 さっきまでただ向かい合っていたのが、今はノノが私の下にいる。それだけで、不思議と私の気持ちには高揚感と余裕のようなものが生まれていた。


 ――ルルもこんな気持ちだったのかな。いやいや、私は無理矢理キスしないし、もちろん服も脱がさないけど。


「ノノさん、お願い。私がノノさんとの約束を破ったことはどうしようもないけど、もうそんなに泣かないでよ」


「……アタシ、だってそんな」


「ね、私にできることだったら償いはするから。だから少しだけ、先のことも話したいな」


「先のことって」


 よし。とにかく元彼の話と、してしまったキスの話は話題から遠ざけよう。


 私はノノの頬をそっとなでた。指先に、彼女髪がかかる。


 小さい顔だ、本当に可愛い。今は崩れたメイクで顔をぐちゃぐちゃしているけれど、それでも顔本来の美しさがわかる。整ったキレイな顔だった。


「ノノさんはもう嫌? 私とこれからもう一緒にいたくない? もう、なんにもしたくないのかな」


「そ、そんなことはないけど」


「私はしたいな。ヴァヴァも……ゲームも……えっとあと他のゲームもね。ノノさんと一緒に」


「アタシも、したいよ。ユズとヴァヴァ。それに他のことも。デートとか……キスとか……したかったけど」


 ノノが私から視線をそらすようにうつむく。私は彼女の頭をそっとなでることにした。


「したかったけど、もう嫌になっちゃった? 私のこと」


「……嫌じゃないって、だからアタシはユズのこと好きなのに、ユズが私のこと全然」


「私もノノさんのこと特別だよ。ギルドメンバーだし、一番その……いろいろあったし、私にとってなくてはならない存在だし」


「ほ、本当?」


 うん、と頷く。ノノさんからもらった武器装備、星屑成層ノ杖は私のメインウェポンである。


「……アタシが一番か。一番。ふふぇ」


「だから、これからも私と仲良くしてくれると嬉しいな。どうかな、ノノさん? ダメ、かな?」


「ダメじゃないけど……でも」


「でも?」


 口をすぼめたノノが、躊躇ためらいがちに言う。


「仲直りのキスしたい」


「いいけど……」


 このままキスしていいんだろうか。


 自分からしたことがないので、どのタイミングでしていいのかわらかない。

 でもこの状況で、ノノからしてもらうのは難しいし、一度立ち上がってもらうのも変な気がする。


「ユズ……」


 ノノがまぶたを閉じる。


 やっぱり今しなきゃいけないようだ。――どうするのがいいんだろ。まっすぐだと鼻が当たるから、えっとこう斜めな感じかな? ルルとアズキはどうだったかな。えーこれでいいのか、舌は? いや、入れないのが普通だよね? 三度中二度は入ってきてたけど。


「じ、じらさないでよぉ」


「ごめんっ」


 私は首を横に振って、雑念を払う。さすがにファーストキスだっていうのに、他の人のことを考えているのは失礼だ。


 私はすっと深呼吸して、覚悟を決める。


 ノノの顔ををまっすぐ見て、その薄桃色の唇に自分の口を重ねた。


 数秒たった。どれくらいするものなのか。早いのか、遅いのかわからない。だけど、唇からノノの体温が伝わってきた気がした。


 もう十分だろう。


 すっと離れながら、ノノの赤い顔を見る。

 まだギュッとまぶた閉じていて、手もしっかり握りしめていた。なんだか、いつもより愛らしい。


 ――もしかして、これがアイドルの魅力というやつ!?


「ノノさん」


「ユズ……あ、アタシ、その幸せだよ」


「えっ、ああ……うん、私もその……唇柔らかくてよかったかな?」


「へ、変なこと言わないでよっもうユズったらけっこうエッチだよね」


 ――エッチ!? 私、エッチなの!? いや自分から女の子相手にキスしたわけだし、そうなのかな?

 エッチの基準がよくわからない。でも否定できない気もしてきた。なんかこうやってノノ相手に馬乗りで頭なでたりするの、ちょっと楽しかったし。


「これでアタシ達、仲直りだよね?」


「う、うん! これからもよろしくね、ノノさん」


「……ふふっ、ユーズっ」


 ノノが寝転がったまま両腕で私に飛びついてきた。

 ちょっとだけ浮いたノノの上半身に、がっちりと捕まれると、そのまま私もノノと一緒にソファーの上へと倒れ込んでしまった。


 すっかりノノを下敷きにしたまま、私は起き上がろうとする。だけどぎゅっとノノが抱きついてきて、顔をすりよせてきた。


「ユーズっ、ユズーっ!! もうユズったら!」


「え? またどっかおかしくなったの?」


「ち、違うからっ! ちょっと、なんかこうしたくなっただけで」


「……おかしくなってないなら、いいんだけど」


 またノノがおかしくなったら、さすがに次はどうしていいかわからない。


「このままぎゅーってしながら寝ようよぉ。一晩ずっと一緒にっ」


「えっ!? 確認だけど……泊まりなの?」


「ホテルだよぉー、もちろん泊まりでしょ!!」


 この後何か予定があるわけではない。ただ帰ったらヴァヴァを少しやって眠ろうと思っていたくらいだけど。


「でもほら、私なんの準備もしてないし」


「だいたい部屋に用意あるから平気だって。あ、下着とかはないかなぁ? でもアタシの予備あげるし」


「いやそれは……」


 アイドルの下着。――売ったらいくらになるんだろ。私がはいたら価値が暴落しそうだな。などと邪な思いがはせた。あれだよ、ゲーマーはレアアイテムゲットしたらまず売却金額のこと考えるんだよ!?


「とりあえず一回立ち上がって。ほらノノさん、メイクもぐちゃぐちゃだし落としてきたほうがいいって」


「ん? メイク……あぁあ゛ーっ!! あ、アタシ今顔どんな!? 嘘うそっ、アタシファーストキスだったのにっ!? もしかしてすごいブスだったの!? ていうか写真も忘れたしっ!!」


 ノノが血相を変えて洗面所へ走り去った。


 私は一人ソファーに残されて、やっと一息つく。


 ――えっと、本当に泊まっていいのかな?

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