第2話 夜明けの握手


 黒上家光くろかみいえみつは、ゆっくりと目を開ける。


 見慣れた天井を背景にこちらを覗き込むのは、やはり見慣れた幼馴染み――ではなく。


 見たことも無い、だが確かに誰かの面影を感じる――穢れ一つなさそうな、純白の髪の女だった。


「――——っ」


 その吸い込まれるような蒼眼に、咄嗟に呼吸すら忘れた家光へ。


 白い女は、表情一つ動かさずに言う。


「――起きたのね。よかった」


 家光は、ゆっくりと身を起こそうとし――途端、凄まじき倦怠感に襲われて呻きそうになりながらも「……ここは――お前、どうして……」と、頭の中に浮かんだ数々の疑問を、探偵にあるまじき無思考状態で浮かぶがままに口に出そうとする。


 白い女は「無理しないでいいわよ。まだとても起きれるような状態じゃないでしょ」と言うが、家光はそんな女の言葉にまるで意地を張って逆らうように、腹筋の力だけで己の上半身を起こし、ソファから足を下ろして、座位にて白い女を睨み付ける。


 そんな家光に、白い女は溜息を吐きながら。


「もう気付いているとは思うけど、ここはあなたの事務所よ。あなたの懐に入っていた名刺に住所が書いてあったから。大変だったのよ。意識のないあなたの重い身体を引き摺って、大通りまで出てタクシーに乗せるのは」

「……そりゃあ、手間を掛けて悪かったな」


 家光はそのまま立ち上がろうとするが、更に強烈に膨れ上がる倦怠感に尻が持ち上がらず、今度こそ敗北を認めて断念する。


 そんな家光の様子を「…………」と、細めていた瞳で観察していた白い女は、「……ねぇ」と、満を持してとばかりに、家光の瞳を真っ直ぐに見据えながら――問う。


「――アナタ、何者なの?」


 白い女は、未だ立ち上がれず座り込んだままの――だが、何の後遺症もなく、五体満足で呼吸している男へ、どこか畏怖が篭もった瞳を向けながら言葉を紡ぐ。


「……悪いけれど、あなたの目が覚めるまで、簡単にだけど身体を診察させてもらったわ。酷い疲労状態ではあったけれど、何の異常も見つからなかった。異常なくらい、異常がなかった。……ええ。とても、普通の人間とは思えない。だから――聞かせて」


 アナタは何者なの――と、繰り返し問うてくる、白い女に。


 家光は後頭部を掻きながら「……そりゃあ、順番が逆なんじゃねぇのか。巻き込まれたのは、明らかに俺なんだぜ」と、立ち上がれもせず、座り込みながら、それでも、睨み付けるように見上げて問い返す。


 見たことも無い女を。それでも、何処かに既視感を覚える女を。


 謎の純白の美女の正体を――問う。


「お前は――テメェらは、何者だ? あの化物は何だ? どうしてお前は追われてた? どうしてお前は逃げていた? そして――」


 あの黒い謎の結晶は――あの漆黒のスーツは、何だ、と。


 開けられた状態でテーブルの上に置かれているアタッシュケースに収納されている、件の漆黒の結晶に一度だけ目を向けながらも。


 黒上家光は、再び白い女へと目線を戻して問い詰める。


「俺のことを聞くのなら、まずは自分のことを自白ゲロるのが筋じゃねぇのか?」


 それを聞く資格が、俺にはある筈だぜ――そう言って、鋭い眼光を向けてくる家光に。


 白い女は、その黒く鋭い眼光を、美しき蒼眼で受け止めながら。


「……巻き込まれたアナタなら理解していると思うけれど。聞いたら、知ったら、アナタは私と同じになるわよ。後戻りは出来なくなる。あんな意味の分からない化物に、また命を狙われ、追われ続けることになる。その覚悟はおあり?」

「もうとっくに後戻りは出来ないし――するつもりもない。その為に、俺は全てを捨ててきた」


 望むところだ――と、家光は、震える膝に拳を叩き込み、無理矢理に起立して。


 白い女を、蒼い瞳を――脂汗を流しながら、ギラギラと輝く黒瞳で見下ろす。


「悪いが、手放すつもりはない。やっと見つけた、蜘蛛の糸なんだ。お前は」


 いいから、ぶちまけろ。洗いざらい、何もかもを。


 そう言い放つ黒い男の迫力に、白い女は、一度だけ唾を飲み込んで――瞑目し。


「――分かった。アナタを、巻き込ませてもらうわ」


 一緒に死ぬことになっても恨まないでね、と、白い女は言った。


 望むところだ、と、黒い男は、獰猛に笑った。






 ◆ ◆ ◆






 白い女は、家主たる黒い男の許可を得ると、二つのカップに熱く黒い液体を注ぎ、それを再びソファに腰を下ろした男の前と、男が座るソファとテーブルを挟んで向かい側――探偵に謎を持ち込む依頼人用のソファへと腰を掛けた己の前へと置いて、重々しく口を開いた。


「『ノストラダムスの滅びの予言』って、アナタ、聞いたことあるかしら?」


 湯気を立ち昇らせる黒い液体に、白い女は息を吹きかけながら――そう切り出した。


 黒上家光は「ノストラダムス?」と眉を顰めつつ、自身もブラックコーヒーに口を付けながらも、その鋭い視線は白い女から一瞬たりとも離さずに言う。


「それってあれだろ? 来年の7月に世界は滅びるっていう。世紀末ってことも相まって大層に面白がられてはいるが、あれを本気で信じてる奴なんざ一握りだろ?」

「――でも、その『滅び』が本当に訪れるって言ったら。アナタは信じる?」


 黒々とした液体の入ったカップをテーブルに置いた白い女は、その氷の彫像のような美貌を、真っ直ぐに家光へと向けながら言う。


「聖歴1999年7月、空から恐怖の大王が襲来する。この世界に滅びを齎さんとするアンゴルモアの導きによって」


 それは、ここ最近になってあらゆるメディアで擦り倒されている有名な文言だった。


 時は1998年。

 2000年という節目のいい世紀末を目前にしているという時節も相まって、このような終末論は様々な形で横行していた。


 家光の言う通り、大半のそれは面白がっているだけだが、中には聖歴2000年は訪れることなく1999年で世界は滅亡すると本気で信じているものもいて――そんな中でもこのノストラダムスの大予言はカルト的な信仰を集めている一方で、最も知名度の高い終末論として信仰心の薄い一般人にも広く流布していた。


 それはつまり、最もメディアや世間に玩具にされている、下らないと一笑に付せられても仕方がない――いわゆる、オカルトでもあって。


「…………」


 だが、黒上家光は、白い女の言葉を鼻で笑うこともなく。


 彼女と同様にコーヒーをテーブルに置いて、無言でその続きを促した。


「……笑わないのね? まさか、こんな怪しい女が言う、怪しい言葉を全面的に信用するの?」

「信用するかどうかは、最後まで聞いてから判断するさ。既にツッコミどころが満載なのは認めるが、それに一から十まで突っ込んでても夜が明けちまうからな」


 それに――と、家光はそこで、二つのカップと共にテーブルに置かれた、開かれたアタッシュケースの中に納まる漆黒の水晶へと、ちらりと目線を向けて。


「——既に、ツッコミどころ満載な超体験を、俺は経験したばっかりだ」

「…………」

「だから、それがどれだけ荒唐無稽な、オカルティックな御伽噺だろうと、それだけで全否定はしないさ。無論、信じるに足る根拠は提示してはもらいてぇが――」


 それよりも、今はまず情報だと、黒い男は身を乗り出す。


「だから、話せ。ノストラダムス様の、その御大層な滅びの予言とやらが、今回の異常事態にどう繋がるんだ?」


 白い女は、その黒い男の――真っ黒な、それでいてその奥に、暗い灯火が幻視される黒瞳を受けて。


 一度、その美しい蒼眼を伏せながらも――覚悟を決めたように、顔を上げて、黒瞳に蒼眼を真っ直ぐに合わせながら、血のように真っ赤な唇を開く。


「とても一から説明している時間はないし、それこそ御伽噺になるから省くけれど――結論から言えば、そのノストラダムスの大予言は真実なの。1999年7の月、つまりは来年の7月に、このままいけば、世界は滅ぶ。空から襲来する恐怖の大王——つまりは、、宇宙人によって」


 私たちは、その侵略宇宙人のことを【星人】と呼称していたわ――と、語る、白い女の美貌を。


「……なるほど。宇宙からの侵略者……世界の滅亡を目論む、【星人】――ね」


 黒い男は、その端正な顔を歪めることなく、恐ろしいほどに真っ直ぐに――その漆黒の瞳で見据えていた。


 暗い闇の中に隠れ潜む謎を暴かんとする――探偵の眼差しで。


「それはつまり、あの時、お前を襲っていた馬頭の怪物——あれが、その【星人】ってヤツだったってことか?」


 家光の言葉に、白い女は「……いいえ、違うわ」と首を振る。

 その蒼い瞳を心なしか悲しげに伏せながら。


「彼は、その【星人】に対抗すべく発明された、非人道的兵器――通称【怪人】」

「……怪人」


 ええ――と、白い女は、一度、重々しく瞑目し、そして。


 黒い液体に口を着けて。罪を吐くように――口を開いた。


「彼らは、星人に対抗すべく、その身を兵器とされた――よ」






 ◆ ◆ ◆






 黒い絵の具を注ぎ込んだような、真っ暗な夜だった。


 室内の電灯を点けることも忘れ、ただシンクのライトのみが照らすオフィスで、二人の男女が向かい合っている。


 いつの間にか空になったカップの中に、新たな熱く黒い液体を補充した白い女は、先程と同じく己の前と黒い男の前にそれぞれカップを置いて、依頼人用ソファに腰を下ろす。


 そのタイミングで、黒い男は、話の続きだと急くように口を開いた。


「これまでの話を纏めると――1999年7の月、つまりは来年の7月に、ノストラダムスの大予言通りに世界は滅亡する。空から襲来する恐怖の大王——宇宙からやってくる侵略者【星人】によって」


 男の要約に対し、ええ、とだけ短く口にしながら、淹れたての熱いコーヒーに口を付ける白い女。


 そんな彼女を一方的に見据えながら、「その予言を何故か真実だと知っている何者かは、そんな【星人】に対抗すべく非人道的兵器を造り出した。それが、お前を追いつめ、俺が襲われた馬頭の化物――改造人間、通称【怪人】」と、黒い男は淡々と語り、改めて問うた。


「――そんな理解で、合ってるか?」

「ええ、問題ないわ。流石は探偵を名乗ることだけはあるわね」


 名乗ってるんじゃねぇ、従事してるんだと返しながら、黒上家光は低い声で言った。


「――で? アンタはなんで、その怪人とやらに追われてたんだ? まさか、実はアンタこそが世界滅亡を目論む悪の宇宙人――星人ってオチか?」

「……いいえ。私は星人じゃないわ」


 悪――では、あるのかもしれないけどね、と、白い女は自嘲するように、その緋色の唇を歪ませて。


「悪は悪でも――悪の科学者。私は――」


 そう、白い女は、そこで一度だけ、思わずといった風に、口を噤んで。


 黒い男はその瞬間、鋭く目を細めたが――白い女は、再び氷のように冷たい表情を被り直して、毅然と、己の胸に手を当てながら言う。


「私は、秘密結社【ノアの方舟ノアズ・アーク】に所属していた科学者なの。対星人用特殊部隊【十の惑星スターズ】の幹部の一人にして、その最高責任者たる――ボスの娘」


 与えられたコードネームは――【ムーン】。

 そう、白い女は、蒼い瞳で、それこそ氷のように冷たく語る。


 真っ黒な雲に遮られた月光が窓から差し込み、白髪蒼眼の美女を――神々しく照らし出した。


「私は、怪人をこの世に造り生み出した男の娘。紛れもない、悪の科学者よ」


 正義の探偵さん――と、白い女は。


 ここで、初めて。


 儚く、壊れそうなほどに、美しく――微笑んだ。


「正義……正義、ねぇ」


 そんな白い女の独白を受けても、黒い男の表情は崩れなかった。


「確かに、正義の味方を目指していた青い春もあった。だが、今じゃあ、見ての通り、寂れたオフィスを無様に独り占めしてる――寂しい、大人だ」


 黒い男はそう言って、何処からか取り出した煙草に火を着ける。


 窓を開けて、月明りが注ぎだした夜空に向かって紫煙を吐き出しながら「しかし……なるほどね。ボスの娘、か」と呟く黒い男に、白い女は「正確には、対星人部隊のボスの娘、だけどね」と注釈を入れる。


「【ノアの方舟ノアズ・アーク】自体は、それこそ神話の時代から存在してるなんて眉唾な逸話もあるくらいの歴史の古い組織で、そのネットワークは世界中に広がっているみたいだから。その全容は私も分からないわ」

「つまりは、お前がいたとかいうその【十の惑星スターズ】ってのは、いわばその秘密結社とやらの支社の一つに過ぎないってわけか。だが――」


 家光は、そこで窓を閉めて、灰皿に煙草を押し付けながら再びソファに腰を下ろし。


 白い女に――自称、悪の科学者であり、秘密結社の女幹部であり、そして。


「――お前が、怪人を造り出した男のむすめで、支社とはいえ一つの部隊のボスの娘であることは、間違いない。そうだな?」


 ムーンさんよ――と、黒い男は火を消した煙草の先を突き付けながら言う。


 白い女は、それにまるで目を逸らさずに言った。


「ええ。それを否定するつもりも、隠すつもりも、逃げるつもりもないわ」

「……逃げるつもりもない、か」


 家光は煙草をそのまま灰皿へ潰すように押し付けながら「だが、アンタは逃げてきたんじゃねぇのか?」と、ムーンを問い詰める。


「その組織から。ボスだっていう父親からな。あの馬頭の【怪人】は、そんなお前を追いかけて来たんだろう?」


 ようやく話が繋がってきたと、家光は二本目の煙草に火を着けながら言った。


 今夜――黒上家光が夜道で遭遇した、白髪白衣の女と、馬頭人体の化物。


 あの怪人は、この女を【姫】と呼び。

 あなたが何処までも逃げ続けるから、こうして無用な犠牲者が生まれてしまう――と、そう言っていた。


 それはつまり、あの怪人は、組織からの追手であり。

 ボスの娘たる、この【姫】たる女が――逃亡者であることを、明白に示唆していたのだ。


「――ええ、そうよ。私はノアの方舟ノアズ・アークを、十の惑星スターズを裏切り、そのアジトを飛び出したわ。でも、それは逃げる為じゃない」


 止める為よ。そして、戦う為――と、白い女は言った。


「止める? 戦う? 何を? 誰と?」


 家光が問う。

 悪の科学者たるムーンは、その蒼い瞳を――昏く、輝かせながら答えた。


「無論――父を。父の怪人改造を止めて、そして――代わりに、私が戦う」


 宇宙からの侵略者――【星人】と。

 星人を止めるべく造られた【怪人】の代わりに。


 その為に、私は全てを捨てて来たのだと、純白の白衣の女は、悪の女科学者は言った。


 その筈――、と。


「……私は、父を止めたかったの。いくら世界を守る為とはいえ、宇宙からの侵略を防ぐ為とはいえ――【怪人】は」


 この世界に存在してはいけないものだから――と。


 ムーンは顔を伏せて、肩を震わせながら、膝の上の拳を握る。


「…………」


 家光は何も言わず、ただ無言で続きを促した。


「だから、私――作ったのよ」

「……作った? 何を」

を」


 それが、これ――と、白い女は、その黒い水晶を指差した。


 これこそが、今夜における一番の『謎』だった。


 黒上家光の窮地を救った、あるいは、より深い混沌へと突き落とした――謎のアイテム。


 黒上家光に謎のスーパーパワーを与えた――黒い鎧。

 それを齎した、謎の黒い水晶。


 その正体を――白い女は、明かした。


「これは、【怪人鎧モンスタースーツ】。改造手術を施すことなく、怪人並みのパワーを与えるパワードスーツ。私が、父を止める為に、星人と戦う為に」


 この星を救う為に作り出した――新たなる、人類の希望よ。


 そう、白い女は――自称、悪の科学者は言った。


 まるで、己が罪を自供するように。






 ◆ ◆ ◆






 怪人鎧モンスタースーツ

 非人道的な改造を施されることもなく、人間性を失うこともなく――怪人に、なるまでもなく、着用者にスーパーパワーを与える鎧。


 何の犠牲も払うことなく、宇宙からの侵略者と、滅びを齎す星人と、真正面から立ち向かい、勝利することが出来る――夢のような、その大発明は。


 だが、正しく――夢物語のようなそれであり。


 悪夢のような――失敗作だったと。


 製作者たる、悪の科学者は、自白する。


「失敗作――確かに、あの怪人もそんなことを言っていたな」


 あの黒い鎧は。漆黒の結晶は。

 怪人鎧モンスタースーツは、着用者の命を食い潰すだけの兵器アイテム――欠陥製品だと。


「……ええ。対星人用の性能スペックを求めると、どうしても着用者の負担が許容値を超えてしまった。……認めたくないけれど、分かってしまった。どうして父が、怪人改造を止めようとしないのかを」


 星人という、世界に滅亡を齎すとされる怪物を相手取るには――こちらも人間を辞めなければならない。


 怪物のような人間に、進化しなくてはならない。


 白い女の父は、怪人を改造つくるのを止めてと懇願する娘に、冷たくそう言い放ったという。


 しかし、娘は諦めることは出来なかった。

 怪人の存在を、彼女は認めることは出来なかったから。


 だからこそ彼女は、怪人鎧モンスタースーツの実現を夢見て研究を続けた。

 でも、どうしても、着用者に対するリスクを抑えきることは出来なくて。


 苦悩していた、その時――その事件は、発生した。


「父が、私に無断で、未完成だった怪人鎧モンスタースーツの着用実験を強行したの。と、そう言ってね」


 Xデーは目前だ、父はそう言っていたと、白い女は吐き捨てた。


 その白肌を更に白くしながら、拳を真っ赤になるほど握りしめて。


「結果は――地獄だった」


 彼女が造り出した発明品を着用した人間——その

 この実験の為に拉致された、誘拐された、無関係の人間たち――その全員が、全身から血を噴き出す凄惨な死に様を晒して惨たらしい骸と成り果てた。


 その光景を目撃して、女は絶叫し。


 一目散に――逃げ出したのだ。


「だから、私は組織を抜けたの。未完成だった、大量の命を奪った――この怪人鎧モンスタースーツと共にね」


 許せなかった、と、女は語った。


 父を止める為に続けてきた研究が、他でもない、その父の手によって最悪の形で台無しにされた。


 もうこれ以上、命を弄んで欲しくなかった。

 そんな思いで作り出した可能性きぼうが、他でもない父自身によって血に染められた。


 だから、未完成の『鎧』と共に、組織を抜け出したのだ。

 しかし、ボスの娘であり、何より――『ムーン』という才能を組織が手放す筈もなく。


 頭脳以外は何の戦闘力も持たない女の逃亡劇は、今夜、呆気なく幕を閉じる筈だった。


 数々の『発明品アイテム』による小細工で、必死に追跡を躱しながらも、あっという間に限界が来た彼女の決意の逃走は、何のドラマもなく限界を迎える筈だった。


 たったひとり――謎の探偵が、その欠陥品たる殺人兵器に『適応』するまでは。


 そして、彼女は、再び問う。


「ねぇ。アナタは――何者なの?」


 理論上は未完成の代物だ。

 事実、強制執行された人体実験においても、死亡率百パーセントを叩き出した欠陥製品の筈だ。


 だが、そんな曰く付きの『鎧』に、ただひとり、適応してみせた、黒い男は。


「…………」


 要求通りに自分の素性を自白した白い女の言葉に対して何も答えず、未だ黙秘を続けていて。


「――いいえ。答えたくないのならばそれでもいい。分からないというのなら、科学者にあるまじきことだけど、今はまだ、それでもいいわ」


 だけど、にだけは――こたえて、と。


 そう言って、そのままソファから腰を上げて、テーブルを迂回し、向かい側のソファに座る男を見下ろすように立って。


 白く細く、美しい手を、男に差し出す。


「お願い。力を貸して」

「…………」

「言ったわよね。巻き込ませてもらうって」


 そしてアナタは、望むところだと答えた――女は、手を突き出した体勢のまま、その蒼く鋭い眼光を黒い男へと注ぎ続ける。


「アナタにも、何か目的があるのでしょう。私に言えない背景が、私の知らない物語があるのでしょう。私も全てを話したわけじゃないけれど――話せることは話したつもり」

 

 だから、聞かせて。アナタの答えを。アナタの狙いを。アナタの願いを。


 ムーンと名乗った、秘密結社の女幹部であり、悪の科学者であり、ボスの娘たる姫は――そう、謎の探偵へと語る。


 己の願いを。そして、己の、決して純白ではない、黒き想いを。


「私は、父を止めたい。星人を倒して、世界を救い――そして」


 怪人を、この世から駆逐したい。

 蒼い瞳に、黒い殺意を迸らせて――白い女は、そう吐き出すように言う。


「その為には、怪人鎧モンスタースーツに適応したアナタの協力が必要なの。無論、私に出来ることは何でもするわ。何が捧げられるものは、何だって捧げる。頭も、体も、命も、何もかもを」


 だから、聞かせて。

 アナタが欲しいものを。アナタが目指すものを。


「アナタは――何の為に、私が欲しいの?」


 あんな意味不明な事件に巻き込まれて、どうして、こんな荒唐無稽なオカルト話を、大人しく聞いているのかと。


 星人だの、怪人だの、秘密結社だの世界滅亡だの、そんな意味不明なファンタジーを聞かされて、どうして一笑に付せないのかと。


 こんな、異常事態の中で――どうして。


 今、お前は――――のかと。


「――俺は、探偵だ。だが、昔はこう見えて、刑事デカをやっていてな」


 どうしても解きたい『謎』があったと、黒い男は言う。


「俺はそれを解くことを生涯の目標に設定していた。目標……違うな。野望、使命と言ってもいい。とにかく、その『謎』を解くことが、俺の人生の全てだった」


 だが、ひょんなことがあって――俺は刑事を辞めて、探偵になった、と。


 黒い男はソファから立ち上がり、再び窓を開けて、咥えた煙草に火を着ける。


 そんな動作の中で、家光は己の手を握っては開いていた。既に握力が回復している。先程まで半身を浮かせるのも辛そうだったのに、今は立ち上がることもまるで苦ではなさそうだった。


 そんな男の適応力に、改めて女は目を細める。


 男は、不敵な笑みを浮かべながら、そんな女に向かって言った。


「――

「――――っ!?」


 男が初めて明かした、恐らくは秘めていたパーソナルな情報に、女は目を見開き。


 そんな女に、男は己の指に挟んだ煙草の煙を浴びながら――笑って言う。


「俺の野望にも、どうやらお前は必要みたいだ。互いに利用し合おうぜ。よろしくな――『相棒』」


 男は煙草を灰皿に押し付け、その手を女に差し出した。


 女は、その蒼い眼で、男の黒い瞳を見据えると――その手を掴み、握手を交わす。


 互いに最奥の闇を秘めたまま交わす――同盟の握手。

 それを繋ぐのは決して愛情ではなく、友情でもない。


 いつの間にか、月明りが朝陽となり。

 差し込んで来る暖かい光の中で交わした――ふたりの握手は。


 ただ、互いが求める未来の為に、お互いを利用し合うことを前提とした――相棒の儀式だった。


「だが、その前に一つはっきりさせて欲しいことがある」

「何?」

「怪人の存在、それは認めよう。この目で見たからな。だが、?」


 怪人はいる。これはもはや揺るぎない事実だろう。なにせこの目で見たのだから。この手で殺したのだから。

 つまり、怪人という非人道的人体改造を施す謎の秘密結社とやらも、恐らくは存在するのだろうが――しかし。


 そんな怪人を対抗戦力として改造つくる必要がある――対抗勢力。

 世界に滅亡を齎す宇宙人――【星人】とやらは、本当に存在するのかと、家光は問う。


「普通に、もう一つ『怪人組織』があって、世界を奪い合う、人間、というか地球人同士の愚かな戦争が水面下で勃発しているという方が、まだ受け入れられる妥当な着地点――っていうのが、ここまでの話を全部聞いた上で辿り着く、現時点での俺の推理ツッコミなわけだが」


 示してくれるか? 俺がお前の話を信じるに足る根拠ってヤツを――そう言って、交わした握手を解いた手を、そのまま突き出す家光の掌に。


「…………じゃあ、これを使って」


 そう言って、黒い結晶が納められているアタッシュケースの奥から取り出したサングラスを、ムーンは突き出された家光の掌に乗っけた。


「これは?」

「『真実の眼鏡エレメンタリー・ルーペ』。私の発明品の一つ」


 ムーンは、テーブルに置かれたリモコンでテレビの電源を点けながら言った。


「怪人も、星人も、四六時中その本性を現しているわけじゃない。人間ヒトの皮を被って擬態しながら、この社会に文字通り溶け込んでいるの」


 それでも、そのルーペを通して見れば、その正体を暴くことが出来る――そう言って、彼女は家光に、その真っ黒なサングラスの着用を薦めた。


「掛けてみて。ちょうどニュースやってるし、人混みの中に一人くらいは星人が紛れ込んでいると思うから」

「…………」


 そう言われながらも、星人の存在を主張する側である彼女から渡されたアイテムなのだから、これに細工をされている可能性を家光からしたら排除することが出来ない。

 ならば、例えこれで星人っぽいものが見えたとしても、それがイコールで星人の存在証明とはならないだろうと言いたかったが――そもそも自分の要求が悪魔の証明に近いものだとは理解しているので、家光は大人しく、その漆黒のサングラスを掛けた。


 怪人鎧モンスタースーツしかり、彼女自身を透明化させていた何かにしかり、彼女の発明したアイテムというだけで興味をそそられるものは確かにあったからだ。


 漆黒のサングラスを掛けた視界で、テレビを観る。


 その時——気付いた。いや、ようやく、


 ムーンが点けたテレビが報道していたニュース番組――当然、そのトピックスになるであろう、昨日に予告されていた大事件の存在を。


「――――ッ!!?」


 家光は真実の眼鏡エレメンタリー・ルーペを着用した状態で息を呑んだ。


 ニュースキャスターが興奮した様子で届けるのは、やはり――かつての仇敵が起こしたであろう、予告通りに実行された爆弾事件。


『――三葉銀行中央本店前から中継しています! 昨日、予告状通り連続爆弾犯『レイヴン』がこの銀行に現れ、通称『アレキサンダー』と呼ばれる大金庫を爆破し逃走しました! 対処に当たったとされる警察官数名の負傷が確認されましたが命に別状はなく――』


 やはり昨日の予告状通り、どうやら『レイヴン』は再び世間に姿を現し、その復帰戦を勝利で飾ったようだった。


 模倣犯ではとの危惧もあったが、その見事な犯行の手口と、何より監視カメラに残った映像から、警察も彼が一年前に姿を消した連続爆弾犯『レイヴン』と同様の人物であるとの声明を発表したようだった。


『こちらが、監視カメラの映像です』


 それは『アレキサンダー』と呼ばれる、三葉銀行中央本店が誇る、日本でも屈指のセキュリティと強度を誇るとされる堅牢な金庫が――見るも無残に破壊された一部始終の様子だった。


 その爆風の中、悠々と姿を現すのは――三名の男たち。


 中央を歩く最も背が低い男こそ、家光が知る『レイヴン』その人だった。

 かつてと同じようにカラスの仮面を被っている。ちなみに彼の身長は決して小さくなく、その両隣を歩く二人の男が巨躯といえる体格だからこそそう見えるだけだった。


 彼の右隣を歩く男も、左隣を歩く男も、家光の知らない男だった。

 レイヴンに協力者がいることは分かっていたが、奴は決まって現場で矢面に立つのは己ひとりだった。二人とも仮面を被っているが、こうして協力者の姿をはっきりと捉える映像が残ったことだけでも、警察にとっては大収穫といえる。


 だが、家光が絶句したのは、それが理由ではなかった。


 レイヴンの左隣を歩く、右隣の筋骨隆々の大男とは違い、長身ながら痩躯の男。


 その男が、漆黒のサングラス越しに覗くと――からだ。


 それは、怪人のように、人の形をしてはいた。

 二本の腕が伸び、二本の脚が生え、一つの胴体で繋がり、一つの頭が乗っていた。


 だが、怪人のように、人が道を踏み外して化物になった――

 

 ――それは、だった。


「――見つけたようね。その目で、見たようね」


 そう、それが星人よと、何のデバイスも装着していない、裸眼でテレビを見詰めるムーンは、それでも、家光のリアクションのみで、その画面に星人がいると確信したようだった。


 今まで、何度も、そのリアクションを見てきたとばかりに。


。正しく、宇宙から齎される陽光のような」


 恐ろしく、美しい、暴虐的な何か――ムーンは、窓から差し込む光を、細めた目で見詰めながら言う。


「それこそが、この世界の敵なのよ」


 しかし、彼女のそんな言葉を、家光はよく聞いていなかった。


 それほどまでに、漆黒のサングラス越しに見る――その光景は、衝撃だった。


 連続爆弾犯『レイヴン』――その左隣を歩く男は、星人だった。

 なるほど、美しい。まるで光が人の形になったような、超常的な存在だ。


 ――家光にとって衝撃だったのは、の方だった。


(――似ている? 左の星人と、同じような光が――レイヴン本人からも発せられている?)


 いや、レイヴンだけではない。

 レイヴンの右隣を歩く巨躯なる大男の胸からも、その光は発せられている。


 だが、レイヴンの胸から放たれる光の方が、ずっと大きく――そして、美しい。

 下手をすれば、左隣を歩く、人の形をした光の塊よりも。


 爆弾魔人『レイヴン』――否、爆弾『レイヴン』。


 カムバックを果たした宿敵は、そう予告状で名乗っていたことを思い出す。


「………………」


 家光は、漆黒のサングラスを外して、険しい表情でテレビを睨みつけながら――己のスマホを手に取った。


 何かが動き出したことを、高鳴る鼓動と共に胸の奥で感じ取りながら。

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