第6話『エーテルコレクタ』

 巨頭男はやや前屈みで、大きくなった頭をもたげ、股関節を外して膝を鉄製パネルからすり上げ、ようやく足を硬麻土アームから外す。ボロボロロン。砂漠の闇に走行機械を停止させ、内瞼をとじる。砂漠を色取る空間と時間が視界から消える。外瞼は開けたままだ。有事に備えている。はじめて走行機械に乗ったときのことを思い出している。グラグラして前にすすめない、もがけばもがくほど、砂に埋もれていく、あの感覚。


 ギャリギャリッ。


突然、頭上の丸い透明の窓にヒビが入る。西岩の闇から、長い無数の針がふりかかる。皮をかぶった男との戦いがはじまる。巨頭男は足元のアームを引き上げて走行機械を停め、すべての思考を左手の感覚に集める。太い左腕に血管がはりつく。感覚装置で質量に変換された思考が砂鉄と化し、獣の様な左手の表層に姿をあらわす。巨頭男は砂鉄を握り固める。皮をかぶった男は、まだ遠い。皮をかぶった男は走行機械のコクピットで首をギュッと前がかりに倒し、発射口から砂の針と音をバラバラとこぼしながら、巨頭男が乗った走行機械に向かって走りくる。砂針は先端が細い。集中力が高い証拠だ。射程内に入ると、皮をかぶった男めがけて、発射口から気圧をふくんだ砂鉄の塊をブン投げる。その瞬間、砂漠の下から巨大な砂の塊が現れ、巨頭男が乗っている走行機械の胴体を挟み込む。巨頭男の左足は、緑の液体をこぼしながら、膝から先が圧潰される。皮をかぶった男はその場に崩れ落ち、眉間に穴があいたまま、走行機械もろとも永遠の砂漠に飲み込まれてゆく。巨頭男は走行機械の狭いコクピットで左膝に軽い処置をほどこす。コクピットの端っこにたてかけてある枕が汚れていないことを確認する。走行機械は片足を失くした飛蝗の様に、ヨロヨロと傾きながら四角い太陽の真下のカサドラムを目指す(その間に、四角い太陽が二周回転する)。


 その古くて小さなガレージには、砂鉄と古い油にまみれた、汚ない走行機械がとまっている。巨頭男のものだ。脇にグリスガンが落ちている。


「僕はエーテルコレクタなのさ」


 そのツナギを着た男は眼光鋭くイビツな形の椅子に座し、そう毅然と答える。黄色の髪が頭頂部で一つに束ねられている。頭の側面は一周にかけて毛がない。毛と表皮の境界はあいまいだ。


「そして、蒐集したシュール的感覚を内にも外にも包み隠さず表現してみたい。強烈に。それは魂の叫び。憧れなんだ。たとえば工場はシュールだよ。シュールの代表格といってもいいね。明らかに現実離れしている。規模もパワーもはかりしれない。人類の存在と叡智をはるかに超えている。興味深いのは、そんな工場でさえも、碧い石炭や色窓やブリキ片や油歯車や奇妙なネジ材や淡い経験則が集まってできたものだということだ。つまりは、まっとうな現実たちがつながって、非現実な、つまりは、エーテルなものが生まれているんだ。現実とエーテルの境界は、いったいどこにあるのだろう?」


 巨頭男が答える。

「俺は常々、現実をとらえていたいと思っている。できるだけ正確に。より明確に。その現実の象徴が質量なのさ。俺は質量に対する信仰が深く、常に質量に触れていたい。体に入れていたい。それを自身に証明したくて左手を体に入れてみた。喰ったのさ。信じていたとおり、体重は増えた。痛い、熱いという強烈な思考、そして感覚に、質量があったからさ」


巨頭男は続ける。

「自分のまわりに目を向けてみな。なぜ、人類が生まれる?つまり男と女からなぜ子が生まれる?計算が合わない。一たす一は三にはならない。簡単なことさ。愛には質量があるからなんだ。それが現実だ」


 ツナギを着た男は目を閉じる。

「さっきまで現実的、集団的、自衛的観念だと思っていたことが、ほどなく非現実に撤回される。その逆も然り。それらの繰り返し。分からないことが多すぎるよ。どうせ明確にできないなら、すべてが不確かなほうがいい。僕はつくづくそう思うよ。おそらく、僕には現実を正確にとらえる力がないんだ。つまり、想像力がない。完全に欠落している。砂漠の死湖深くに生息する、北極鰐の表皮のように。だから僕は、エーテルに目を向けることで、背理的に現実をとらえようと、もがいているのかもしれない」


 巨頭男は獣のような左手を見つめる。


「一応、俺と世界とは、皮で分かたれている。あんたのいう現実とエーテルの境界の様なものだ。皮の内側にこそ現実が、質量が存在していて、外側の世界は非現実だ。でも俺は世界と呼吸をするし、世界を眺めもする。さらには俺の思考が皮を超えて世界側に物理的に現れる」


 左手の表面に砂鉄がさっと浮かびあがって消える。


「そもそも俺の意志で操っているオレの皮と、俺以外の意志によって操られている世界との間に境界など在りはしない。いわば次元が違う。現実とエーテルに、明確な境界などないのさ」


 ツナギを着た男は、空を見上げる。頭の後ろで束ねた黄色い髪が肩に触る。


「けど僕には、途方もなく巨大な何者かに、世界とともに自分の皮を操られているようにしか思えないんだ」


 幼い男の子が階段の端に座っている。空を見上げながら、呑気に、白い林檎をかじっている。歯の矯正器具が鈍く光る。肌はブリキ製。ツナギを着た男は、首をギュッと前がかりに倒して目を見開き、必死に現実をとらえようと試みる。奇妙な工具で、無骨なクランクを、巨頭男の左膝に締めこむ。一心不乱に。走行機械の足だ。ツナギを着た男は、頭に質量を感じる。


「ご助言ありがとうございました。工場は非常によろこんでいました。めずらしく饒舌でした。六面体を鋏で切りひらき、紙ひこうきにして投げてしまおうとまでいっていました。いよいよ工場が動きだします。お待たせいたしました」

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