第68話 保健室で聞かされた彼の話は
「ああ、そっちは知らなかったんだね」
「知りませんでした。でも、降矢先生こそどこも悪そうには見えませんでしたよ」
気だるげに授業をやっている姿は見慣れたものだったが、病気をしているようには見えなかったが。
「病気っていっていいのか微妙な所だけどね。前からちょっと相談は受けててね。朝起きると頭痛が酷い時があって堪らないと。で、その反面夜は眠れない日多いっていうんだよ。ひょっとしたらと想って病院受診を勧めたんだけど、案の定。カフェイン中毒だったみたい」
「カフェイン中毒。ああ、そういえば降矢先生のコーヒー好きは有名でしたよね」
それを聞いて思い出したのだが、入学の時にフル先が自己紹介の時に言っていたっけ。コーヒーを一日何杯も飲むとか何とか。
「それに加えて、合間にペットボトルのお茶とか飲んじゃう訳。それにもカフェインが入っちゃってるからさ。それが良くなかったんでしょうね」
「カフェイン中毒ってそんなに酷い症状なんですか」
「人によっても違うんでしょうけどね。聞いた話だと、身体にも心にも良くない影響がでるらしいよ。死者も出てるみたいだしね」
「ええ! それは深刻ですね。コーヒーって身体によくないんだ」
「量によりけりよ。適度に飲む分には問題ないし死ぬなんていうのは稀な話。寧ろ離脱症状って奴の方が深刻な場合があってね」
「離脱症状ってなんですか」
「カフェイン中毒の状態で、摂取する時間がある程度過ぎると、頭が痛くなったり急激な眠気に襲われたりするの」
「じゃあ、降矢先生の症状ってまさしくそれなんですね」
「私も彼がコーヒー飲みまくってるのは知ってからさ。それが原因じゃないかって思って病院受診を勧めたの」
「それってどうやって治るんですか」
「当然、飲む量を減らすしかない。でも、急激に減らしたら今言ったみたいに身体に影響が出ちゃう。だから少しずつ減らしていくしかない訳ね」
「想ったより結構大変そうですね」
つまりいきなりコーヒーを飲まなくするだけではダメなんだ。飲まないと頭痛等がおきてしまう。でも飲むと中毒は治らない。だから加減しながら少しずつ減らしていく訳か。でも、減らしていくっていう事は大好きだったコーヒーが飲めなくなるわけでそれはそれで辛い話だろうし。うーん、やっぱり大変だな。
「うん、だからね。カフェインレスのコーヒーとか低カフェインのお茶なんかを飲むようにしていたみたいだよ」
「ああ、なるほどありますね。でも、なかなか自動販売機とかに売ってなくないですか」
カフェインレスというのは文字通りカフェインが入っていないコーヒーやお茶の事だ。それを飲んで紛らわしながら減らしていくという事か。
「うん。通販で取り寄せてたみたいだね。だから彼は職員用の冷蔵庫にも常に入れてたの。あっちが一杯の時はここにある冷蔵庫を使わせてくれって持ってくることもあったな」
職員用の冷蔵庫というのは私も見た事がある。先生達が昼食や飲み物を置いておくために職員室に備え付けてあるものだ。でも、それほど大きくはない。先生の間では使用権を巡って暗闘が繰り広げられているなんて噂も聞く。そして、保健室の冷蔵庫というのは今目の前にあるこれだが。
「それ、公私混同じゃないですか。ここの冷蔵庫ってそういうのに使っていい物じゃないでしょ」
「まあね。ただの飲み物なら断る所だけど健康維持の為って言われちゃうとね。断る事も出来なかったの」
「はあ、そういうものですか」
「それももう頼まれることはないのかと想うと何だか複雑な気もするね」
彼女の口調はしみじみとした様にも、やけにさっぱりした様にも感じる言葉だった。
当の話題のフル先は彼女の婚約者だった。その彼が今日亡くなってしまった訳だ。それについてどういう想いを抱いているのか。表面上の態度だけでは判断がつかない。
かと言って【今どんな気持ちですか】なんて聞くほど私は無神経じゃない。どうしよう、これ以上何か聞くべきだろうかと想っていると。突然後ろから私達以外の女性の声が聞こえてきた。
「あら……。ここに居たの東雲さん。探したわよ」
もう既にその声は馴染み深い。初めて話しかけられた時は警戒したし緊張もしたが、今ではその声に安心感すら感じてしまっている。
「滝田さん。いらっしゃったんですね」
「ええ、勿論。仕事ですから、ちょっとお話いいかしら」
彼女はにこやかに笑いながら私に尋ねる。
「はい。構いませんよ」
私の方も彼女に聞きたいことが沢山あった。エリナの捜査がどうなっているかに加えて今日の事件についても分からない事だらけだ。
「ありがとう。じゃあ行きましょうか……と、その前に」言って彼女は熊谷先生に向き直った。ちょっと確認したいことがありまして」
「何でしょうか、知ってることは全部話しましたよ」
ニコニコと話す滝田さんに比べて熊谷先生はクールな対応をする。
「いえ。大したことじゃないんです。すぐ済む話ですから。あの、先生の連絡先電話番号を確認させていただいてもよろしいですか」
滝田さんの言葉は聞いている限りではなんていう事のない確認事項だった。でも、それが逆に不自然に感じる。わざわざ捜査課の刑事がそんな事だけを確認する為に来たのか。
「それなら伝えた筈ですよね。×××-〇〇〇〇-○○○○ですよ」
言われて熊谷先生は落ち着いた調子で電話番号を答える。対して滝田さんは自分の手元にある用紙に目を落としながらそれを確認する。
「はい。そうですね。それは聞いている通りです。でも、先生、もう一台携帯電話、スマートフォンお持ちじゃないですか? そちらの番号も確認させて頂きたいんですけど」
言われた熊谷先生の顔が一瞬固まったように見えた。がすぐに返事を返す。
「……ああ、そっちですか。えっと、×××-××××-○○○○です」
「はい、はい。そうですね。間違いありませんね。わかりました。因みに、こんな事聞いていいのかわかりませんけど、何故携帯電話を二台お持ち何でしょう」
「仕事の為です。こういう仕事をやっていると生徒のプライベートな問題に踏み込まなければならない局面がありまして」
「そうなんですか。お仕事用にね、なるほど。では今も持ちなんでしょうか」
「今……ですか。いや、今日は多分車の中に置きっぱなしですね。今朝方はバタバタしてたものですから。そのままにしてしまって。持ってきますか?」
「いえ、そこまでには及びません。大丈夫です。では、ご協力ありがとうございました。また、何かありましたらお願い致しますね」
何だか意味が分からないやり取りだったが、滝田さんはそれを終えて満足そうだった。そして私に、
「じゃあ、行きましょうか」と声を掛けて保健室から出て行く。私も先生に頭を下げて後を追った。
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