第50話 破滅の足音は常に静かな物

 かの聖女の入学から半年が過ぎつつあり、神より賜った力は本物であるがその人品骨柄じんぴんこつがらは卑しいと広まっていた。

 何せ国内の統制となる王太子とその従姉妹である大公令嬢との間に割って入ったのだ、誰も近寄りたがらなかったし或いは奇特な生徒が居たとて教会からの【要請】を聞けば誰もが声を掛けることは出来なかった。

 この地球世界で言うところの10〜11世紀辺りというのは兎角、教会の力が強い時代である。

 何が罪かとは聖書の教えと聖職者の気分次第、罪を犯したとて金を払えば許される。

 だが、歯向かいそのうえで金も無かったら?

 即ち破門である、そして破門者は人として扱われない。

 となれば自然と関わりを持たぬのが吉と判断され、教室でも聖女シルヴィアは誰からも話しかけられること無く孤立していた。


「聖女様は聖界へと御進みなされる御身体、俗世の友人関係等学園での一時のみです」


「エミリオさん……、でも私は」


「3年後には修道生活が始まります、ここでは聖書の暗記と賛美歌を御覚え下さいませ」


 学校という物に本来はシルヴィアは通えないはずだった、それが庶子とはいえ貴族階級に迎えられこうして学びを得ているのだから有り難い事ではある。

 しかし、笑い話を誰とも出来ずさりとて聖女様と言われて虐められてもおらずそこに居るけど居ない者として扱われる日々は彼女の心を黄昏刻のように少しずつ暗く染め上げるものがあった。

 だが、染まりきらなかったのは苦痛ではあるにせよ自分を─見下してはいるが─話し相手として扱ってくれる王太子殿下と状況改善にはならないものの注意や気配りをしてくれるカッリストが居たからだ。

 そうでなければとうの昔に、激痛を与えてくる悪霊さえ居なければ身投げしている。

 いや、悪霊が居なければこんな状況にすらなっていないので論ずるに値しない仮定であったか。

 基本的に、彼女がするのは悪霊の指示通りの言葉や行動だ。

 それさえしておけば、あの死んだほうがマシな頭痛を感じなくて良い。

 悪霊祓いなど出来ていない自分の力をシルヴィアは信じてなどいなかった、蘇生が出来てあの子供が死なずに済んだのは嬉しいがこんな事になるなら無視していればと思う己の心の闇をそっと蓋をして閉じた。


(いっそ死んで楽になれたなら)



「そろそろ殿下は彼女に落ちる頃かしら」


 ヴィットーリアは月夜を眺めながらパタリと日記を閉じた、子供の頃まだ前世の記憶が強い時に書いた時系列書だ。

 成長するにつれ薄れていくゲームの知識を再度学習し直す、それが彼女の生存戦略の基礎でありそれを土台にアドリブを挟みつつ自己の最大利益を追求していた。


「聖女は逆ハールート進もうにもフラグが折れてるのが3人、これなら残りが結託しても怖くはない」


 いや、後々王家と教会と外務の実力者となる3人なので怖い。

 怖いが、今はまだ怖くない。

 恐ろしい鷲も雛鳥ならば楽に殺せる、というだけだ。


「絶対に首切り場になんて行かない……!」


 己の命を護るために、少女は自分以外の少女が露と消える道を選んだ。

 誰だってそうする、だから私もそうすると自分の心を傷ませぬように呟きながら月を再度見上げた。

 何処と無く、お前の考えなど全て御見通しだと嘲笑われているように見えたのは少しばかり残った羞恥心と罪悪感が成せる技だったのだろうか。



「課題面倒くせえなぁ」


 エレウノーラは羽根ペンをインク壺の横へ乱暴に置き捨てると背伸びをして、凝りきった体を解した。

 騎士科の課題である過去の戦争で使われた戦術の名前やら、何故その戦術を使ったのかという理由を羊皮紙へとつらつらと書き殴り続けて月明かりをぼんやりと見つめていた。


「さっさと領地に帰りてえなぁ、ここは活気はあっても牢獄みてえだ」


 遅くまで課題をしている理由は自分のを後回しにして来年に入学予定のロベルタの勉強を教えていたからである、本人は既に就寝済みで明日の朝イチには水汲みを行わねばならないのが侍女としてのロベルタの仕事であった。


「貴族になればそんな仕事よりも書類仕事が増えるだろうな」


 特にグッチーニ家は商家としての仕事を維持したまま貴族へと叙任される、若奥様として台帳の記録を任されるように識字と計算はそれまでに仕込みたかった。


「ま、今年過ぎれば1年我慢するだけの話だ。もう模擬演習だのトーナメントだのは……、金が入るならしてもいいが社交界は勘弁だな」


 年越しの大公家で行われたパーティを思い返してエレウノーラは苦い顔をする、完全に男と思われて御令嬢方からダンスのお誘いをされてしまった。

 婚約者と思われる若手貴族に睨まれ、その度に男装だと説明するとそれはそれで黄色い声と驚きの声が上がって辟易へきえきとしてしまった。


「あーあ、静かに暮らしながら勝手に金貨手に出来ねえかなあ」


 前世の5千兆円欲しいのノリで呟いた言葉に、自然と自嘲の笑みが零れた。


「それが出来れば皆、苦労せんわな」


 それでも、少なくとも弟が平和に健やかに暮らして美人の嫁さん迎えさせてやらにゃならんと気合を入れる。


 しかし、世の中というのは得てして願い努力したとて叶わぬ事ばかりだ。

 彼女らの共通部分としては平和に過ごしたいという、人間ならば誰もが思う平凡な内容だろう。

 だからこそ、戦乱の気配が少しずつ漂い始めたこの時代では叶うことが無かった。

 その第一歩が、今年の冬に起きた王太子殿下の大公令嬢との婚約破棄宣言であり、決闘裁判を経てのタイリア再編戦争を経由しその後のマゲルン統一戦争、東西クランフ王国併合、タイリア王国吸収、ベイアリ半島再征服運動、マーロ教皇領包囲を行い西・中央ナーロッパ全てと東ナーロッパの半分を手中に収めた神聖マーロ帝国の軌跡でありこれらを総称して第二次パクス・マローナ或いはエレウノーラの時代エイジ・オブ・エレウノーラと呼ばれる歴史の序章であった。

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