第8話 公爵令嬢、王子を見送る

 私の身体、いえ、今はアランの身体を馬車に運ぶという話しが出た時、未だベットに上半身を起こしているだけの『私』の身体を見て、何故だかどうしてもお姫さま抱っこをしてみたいという衝動に駆られた。


 アランに話したらきっと嫌がられると思い、素早く『私』の身体の下に腕を入れ抱き上げた。『私』の身体は華奢な方だとはいえ、流石に持ち上げられるか不安があったので、瞬時に魔力を練り身体強化の魔法を施したが、そんなの要らないかと思うくらい私の身体は軽く感じた。


 私って軽い! と内心喜んではみたのだが、冷静になって考えてみると、単にアランが普段から身体を鍛えていたからかも知れないと思い至った。


 それにしてもこの身体は魔力の練りや通りが遅い。私の身体だと、すぐに魔力の動きを感じてそれを練って動かす事が出来た。それがアランの身体だと数テンポ遅く感じるのだ。それだけに、魔力を動かす事に余計なエネルギーを使い、大分力をロスしている感じがする。もうこれはアランが魔法の基礎訓練を疎かにしていたからとしか思えない。


 まったくもう! いいわ。元に戻れるまで、私が基礎訓練をしっかりしておいてあげよう。っていうか、そうしないと私が不便。


 それにしても、アランったらお姫様抱っこされるとは思わなかったようで、急に抱き上げられてびっくりして赤くなっていた。表情だけ見たら女の子だ。私の顔でもそんな表情出来るのね。



「さあ。馬車まで案内を。」


 本当は家の馬車が止まる場所なんて知っているのだけど、『アラン』なら知る訳はないのでそう言って案内してもらう事にした。


「な、な、なんでお姫さま抱っこのまま・・・」


 アランはまだお姫さま抱っこを気にしている。そんなの私がしたいからに決まっているじゃないの。


「まぁ、いいじゃない。お姫さま抱っこって一度してみたかったの。されてもみたかったけどね。」


「ひゃっ! か、顔が近い!」


 アランの耳元で他の人に聞こえないように小声で言ったら、どうしてかアランは顔をもっと真っ赤にしてジタバタした。お姫さま抱っこなんだから顔が近いのは当たり前じゃ無いの。


 アランはポカポカと私の胸を叩いてくるけど、まぁ、元々が私の身体の筋力だし、私も身体強化の魔法をしているから叩かれても毛ほどにも感じない。可愛いものね、ホント。


「愛いヤツ・・・」


 これも言ってみたい台詞だったのよね。ふふっ。


 でも何故かこれを言ったら、侍女頭のエマは目をキラキラさせ、頬を紅潮させて私を見た。


 救護室を出て廊下に出ると、物音で気が付いたのか、控え室からローラン様とマクシム様が出てきた。二人ともお姫様抱っこをしているアラン(私)と真っ赤になってジタバタと照れているレティシア(アラン)を見て目を丸くしている。


「おいおい! レティシア様と仲直りしたのか? アラン。 びっくりしたぞ。」


「まぁ、そんなところだ。」


 私は笑って冷やかしてくるマクシム様に、同じく笑って軽く返すにとどめた。



 公爵家の馬車は『私』の身体が横たわれるように、クッションを敷き詰め段差を無くしてあった。エマが私のためにそうしておいてくれたのだろう。

 私はそこにお姫様抱っこされるのをようやく諦めたアランをそっと横にした。


 今はアランのものとなった『私』の身体を置くと、あぁ、これからこの『私』の身体としばらく別れる事になるのだ、そしてもう引き返せないアランとしての生活が始まるのだと、急に不安が押し寄せて来て、その気持ちに押しつぶされそうになった。


 そして、いつも私のそばにいて甲斐甲斐しく世話を焼いてくれていたリリーや、最近は気持ちが離れてはいたけれども、何故か一蓮托生の運命を背負うことになってまた話しを出来るようになったアランとも離れ離れになる事を思い、何もない荒野に一人取り残されるような心許ない寂しい気持ちになった。


 私は顔をグッと近づけて、誰にも聞かれないようにそっと自分自身の身体とそしてその中にいるアランにしばしの別れを囁いた。


「ねぇ、『私』。これでしばらくお別れね。どうなってしまうのか、正直、不安で胸が一杯だわ。アラン、色々大変だと思うけど、頑張って。お願いだから、私の身体を守ってね。私も頑張るから。アランの身体を守るから。」


 そしてゆっくりと顔を離すと、アランが入った『私』は、きょとんとした顔をした後、急に真面目な顔になり、任せろ!と、その艶のある小ぶりでふっくらとした可愛らしい唇を動かした。


 アランを置くときにリリーが少しクッションの位置を直してくれたので、彼女にもそっと「お願いね」と伝える事が出来た。


 私がアランやリリーと別れて馬車から降りると、馬車の外からその様子を見ていた侍女頭のエマが、目を潤ませ両手を口元に当て、「あ、アラン王子。そんなにもお嬢様の事を・・・」と感激した様子で呟いた。なんの事かと思ったら、後から聞いた所、馬車の外からはレティシアに別れのキスをしたように見えたらしい。なるほど、後ろから見たらそう見えたかも知れないと思って少しだけ反省した。


 ローラン様とマクシム様にも後々揶揄われたのは言うまでもない。


 最後にエマが乗り込み、馬車が公爵家に向けて出発した。本当に心細くて、見えなくなるまでずっと見ていたかったが、きっとアランならそんな事しない。私は途中で踵を返して校舎の方に向かって歩き出した。


「さぁ、行くぞ。レティーは、侍女達に頼んだのだ。任せよう。

 もうじき昼の時間だからな。俺たちは、昼食を食べたら午後からは授業に出よう。」


 道がぬかるまないように砂利が敷かれた道を校舎に向かって三人で歩く。砂利の音がやけに響いて聞こえた。


「なぁ、アラン。レティシア様は大丈夫そうだったか? 早く学園に戻って来られると良いのだけど。」


 途中、マクシム様も心配なのか、歩きながら近づき聞いて来た。


「ああ。まだ少し混乱はしているようだが、大丈夫だろう。公爵家でゆっくり休めばきっと回復も早い。」


 実の所は回復というよりアランの淑女教育期間になるのだろうけどね。


 これは私の勘なのだけど、お母様が力になってくれそうな気がする。私の事だけでなく、アランの事も子供の頃からよく知っているし。上手く連絡が付けられれば良かったのだけど、それが出来なかったのは返す返すも残念だ。


 それに、本当なら私の方も王子教育期間というような、アランの事を色々と教えてくれる人や時間が欲しかった。でも、そこまでの時間は無かったのだ。


 アランはローラン様やマクシム様を信頼出来ると言ってくれた。私も信頼出来るとは思うのだけど、まだ二人を上手に説得出来る自信がない。このおかしな事態を一体どのようにしたら納得してもらえるか。リリーやロズリーヌ様を説得した時のような、私とお二方だけしか知らないような材料が無いのだ。


 だから、私はアランの振り、男性の振りを見よう見まねでやるしかない。



「それにしても、毎度小言を言われるからとあれだけレティシア様を避けていたのに、どうしてまた急に親密になったのです?」


 ローラン様に、ドキッとするような事を言われたが、それには頭の中で考えていた設定がある。


「そうだな。階段を転げ落ちる時にレティシアの顔を間近で見て、それから救護室のベッドで意識がないレティシアの顔を見て、何だか子供の頃の事を思い出したんだ。俺は子供の頃、この娘の事が好きだったよなってな。まぁ、そんな所だ。」


 まぁ、好きだとかどうとか私が言うのは照れるが、子供の頃はよくそう言うふうにアランは言ってくれていたのだから良いだろう。


 大事なのは、これからも連絡を取ったり、見舞いに行ったり、そう言ったことをしやすい環境を作る事なのだ。お互いの振りをしながら方法を探り、無事に元に戻るためには、お互いの情報交換が大事なのだ。レティシアである『俺』がアランである『私』の事を避けていたら出来ないのだ。


 それに『私』に優しく接してあげるという目的もあるのだしね。


「実は先程もマクシムとまた話しをしていたのですが、王子の奥方になられる方と言うのは、王妃になられるという事。レティシア様に不足はありませんし、とても努力家な方だと聞いております。何卒、このまま大事にして頂けますよう、私としては願って止みません。」


 うわっ。私の評価、ローラン様の中ではすごい事になってる。正直嬉しい。


「そうだな。大事にする事にしよう。」


 私は顔がにやけそうになるのを懸命に堪えながら、そう答えた。

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