第330話『黄金に輝く菜の花畑、「天ぷら」と信仰』(カケルのターン)
新堀城のある対岸の安孫子から、大和川を小舟で百姓に化けて渡ったカケル(嶋左近)とその郎党4人は、目の前に広がる黄色の花畑に息を飲んだ。
「うわぁ~、ここは天国みたいだ」
カケルは、目の前に広がる光景に驚きの声を漏らした
すかさずお虎が、カケルに突っ込む。
「天国? 左近、付き合いは長くなるがお主の信仰がキリシタンであったとは初めて聞いたぞ」
カケルは、頭を掻いて、
「いや、オレは宗派は忘れてたけど仏教徒だと思う。家には仏壇があったし、おじいちゃんの葬式ではお坊さんがお経を唱えっていたはず」
すると、本物の嶋左近の家来である都築義平が、言葉を足す。
「左近殿、武田家へ行っている間に、まさか、我が嶋家の宗派をお忘れになりましたか?」
カケルは、知らないとは言えず、すっとぼけたような顔をして、
「いいや覚えてる。覚えてるよ。でもほら、オレの口で言うより、義平さんのような嶋家の歴史と重みを知ってる人の口から聞いた方がみんな心に響くからさ」
義平はそれならば仕方ないと言った表情で、「ゴホン!」と咳ばらいをしてから語りだした。
「我が嶋家のある平群の里は、生駒山山系の聖徳太子様ゆかりの真言宗・信貴山朝護孫子寺に縁深くございます。まあ、領国経営は、一つの信仰のみに特化して付き合いをすれば角がたちますれば、平群の他の宗派とも分け隔てなく付き合いをしておりますが、殿の母御を弔う安養寺も真言宗にございます」
カケルは、驚いたような顔をして、
「へー、嶋家は真言宗の影響が強いんだ。確かに、平群は朝護孫子寺が有名だけど、ホントにそうなの? なんかで見たけど、嶋左近は京都の日蓮宗のお寺、教法院に関係があるって聞いた事あるようなないような気もするけど、関係ないの?」
義平は、カケルがまたヘンなことを言い出したと思ったが、ここは平常運転に応えた。
「先ほども申しましたように、嶋家は小さいとは申せ国人領主、筒井家から領国安堵を許されております。領地には、様々な宗派の寺もござれば、どれか一つだけ優遇、冷遇もなりません。この度の石山本願寺の一向宗のように領主に明らかに反乱し自由独立を叫ぶ者とは協調もままなりませんが、そうでない宗派とは妥協点を見つけて共存いたします。いわば、ゆるやかな信仰といいうものですな」
カケルは、やはり初耳で驚き、
「へー、そうなんだ」
カケルのまるで他人事のような言葉に、すかさずお虎が、
「左近、他人事ではないぞ。武士は命懸け、一歩間違えば山野の土に屍を晒すことになる。日々の修行も必要なく、民百姓・どんな罪人でも『南無阿弥陀仏』を唱えるだけで阿弥陀仏の救済で極楽浄土へ行けると流布した一向宗が人気の秘密もそのためだ」
とのお虎の言葉に当たり前のこととと同調するように、菅沼大膳が言葉を継ぐ。
「うむ、神仏を敬ってこその真の武士だ」
カケルは、興味本位で菅沼大膳に尋ねた。
「菅沼大膳さんは何を信仰しているの?」
カケルが話に食いついたのに気分を良くした菅沼大膳は、自信満々に講釈を垂れ始めた。
「我が由緒正しき奥三河田峯菅沼家は、鎌倉以来の曹洞宗 日光寺……」
と、菅沼大膳がだらだらと講釈を始めた途端に、お虎がまったく興味がないのか、
「菅沼大膳、うるさい! 黙れ! 今は、目の前のことを考えろ!」
と、言葉を遮った。
コケにされた菅沼大膳は、顔を真っ赤にして、怒り心頭だ。
「山県お虎、お前は、いつも武田の代名詞『赤備え』の山県昌景の娘だということを鼻にかけて、ワシをコケにしおってお前の家の宗派はどうなのだ」
と、言い返した。
お虎は、さも当然とした表情で答える。
「父、昌景は、武田家の名跡・山県家を継ぐ以前も武田家譜代の飯富家だ。飯富は……」
と、お虎が、言いかけて言葉を濁した。
菅沼大膳が、すかさず食らいつく。
「その自慢の飯富家はどこの宗派なのだ」
お虎は、「チッ!」と舌打ちをして、
「飯富家も曹洞宗だ」
それを聞いた菅沼大膳は、ほれみたことかと得意げな表情で大笑いした。
「なんだ、山県家、いや、飯富家がどれほどの格式高い宗派かと思えば、ワシと同じ曹洞宗ではないか。曹洞宗はよい。子供の頃寺に預けられて厳しい禅の修行をしたから今のワシがある。わっはっは~」
お虎が、菅沼大膳に同列に扱われたのがよっぽど勘に障るのか「チッ!」とまた舌打ちした。
菅沼大膳は、よっぽどうれしいのか笑いが止まらない。
それまで、四人の話を黙って聞いていた月代が、膝を折り黄色い花をしっかりと手に取り見分した。
「これは、よく見ると夜の灯り油に使われる菜の花ですね」
菜の花は、アブラナの呼び名である。大陸に自生する花で、日本への伝来も早い。遣隋使・遣唐使、いやもっと早い仏教伝来の時代から伝わったものであろう。
大和の都平城京には、当時の先進国である中国から薬草・漢方薬の知識を持つ、僧侶が数多渡来していた。戦国の時代でも、今だ南蛮から薬学・医術までは渡来していない。医術は『三国志』の伝説の医者・
大和の国でも高名な医者の北庵法院の娘で助手も務める月代は、この時代で薬学・薬草・草食物の知識は他を飛びぬ けている。
カケルは、口元にあふれ出したよだれを腕で拭いて、
「オレ、菜の花の天ぷら好きなんだよな」
月代は、聞きなれない「天ぷら」という言葉に興味を示した。
「『天ぷら』とはどのような食べ物なのでございますか?」
「月代さん、天ぷらしらないの意外。天ぷらは、菜の花とかに卵で溶いた小麦粉とかの衣をつけて、たっぷりの油で揚げた食べ物だよ」
月代は、目を丸くして驚いたように答えた。
「たっぷりの油で揚げる『天ぷら』とはなんと高級な食べ物でございましょうか」
東洋医学、漢方を扱う裕福な医者の娘月代でもこの反応なのは無理はない。
天ぷらは、鉄砲伝来とともに戦国時代にポルトガル人が持ち込んだ食文化だ。
戦国時代は、現代より気温が低く、冷害の被害も大きかったため、育てるのにある程度の温暖さ(15℃ほど)も必要な菜の花の栽培は、知識と管理が必要であった。そのため、菜の花は、貴族や武士のための油の採取に用いられ、庶民のための油の生産にまだ至っていなかった。
菜の花を育てるくらいならば、田んぼをつくり米を作る方がこの時代は優先された。
「しかし、見渡す限りの菜の花畑。一体誰がここの管理をしているのでしょうか」
と、月代が疑問の声を上げた。
「おまえら、ここでは見かけない顔やな」
と、カケルたちの背中から男の声がした。
つづく
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