第13話 惚れてはならぬ人
夜、メッセージのやり取りをする
『明日、また仕事終わりに中庭で待っちゅー』
『はい。また明日!』
『おやすみ』
『おやすみなさい』
・
七海からのメッセージに目を細めて微笑む海斗。ベッドに仰向けになり、ぼんやりと天井を見つめる。
"こがな気持ちは、何年ぶりちや“
海斗は職場から車で20分ほど離れたアパートに一人暮らしをしている。
一人暮らしと言っても実家もその近くにある。
趣味らしい事は車だけで、
休日は洗車やその手入れに明け暮れている。
宿泊施設という不規則な勤務形態で働きながら、性格は昔から内向的で、決まった友人達としか飲みにも行かない。合コンらしきものにも一才参加せず、職場と自宅の往復を繰り返している。そんな保守的な彼を両親は心配しているが、当の本人はそれで良しと今の生活に満足している。
そんな海斗が、自分以外の人間を愛車に乗せて出かけた。随分とそういう事から遠ざかっていた男が、派遣で来た七海に初めて出会った瞬間から胸が騒ついていた。
だが水族館で
彼女が元彼の名前を出した瞬間、胸がチクッと痛んだ。婚約までしていたと言うその相手をまだ彼女は想っているのだろう。
そして彼女は3ヶ月の派遣期間でまた東京に戻ってしまう。
"惚れてはならぬ人“
そうわかっていても、
中庭で語らうあの時間が密かな楽しみになっていた。
・
翌日、早朝からまた一日が始まる。
新人仲居3人組は朝食の配膳や客の見送りなど、徐々に笑顔を出せるようになった。
海斗は時折、七海を見つめている。
というより無意識にその姿を探している。
そんな時、遠方から車で来ている客が
七海に何か尋ねている。
「足摺岬の他に、この近くで海が綺麗に見えるところないかな?」
すると七海がすんなり答える。
「ここからお車で30分程の所に、竜串という海岸がございまして、そこは海も浜辺もとっても綺麗でおすすめです」
「へぇ〜、では行ってみますよ。どうもありがとう!また来ますね」
「お気をつけて行ってらっしゃいませ。またのお越しをお待ちしております!」
海斗はその様子を見つめ
誰にも気づかれぬよう、ひっそり微笑んだ。
だが同期の細井と太田がやって来て、
「何笑うてん?」
「は!?別に…笑うちょらんが!」
「竜串海岸ねぇ…?誰と行ったんやろね?」
「し、知らんき!俺に聞きなや!」
ニヤニヤしている2人に挟まれて
海斗は
「忙しいき、早う戻りや!」
中抜けの時間になり
七海達が寮に戻ろうと外に出ていく。
その時、玄関前の柱の影に1人の中年女が隠れていた。
その女は、同僚と楽しげに会話をしている七海を見つめていた。だが七海はその女に気づかぬまま寮に戻って行った。
夕方、再び出勤した七海は出迎えや客室への案内、夕食の準備で大忙しだった。ここまではいつも通りである。
だが今夜はその平穏が続かなかった。
太田がドタバタ走りながら
配膳準備に取りかかる松永のもとにやってくる。
「
「ん?散歩にでも行かれたんじゃない?」
「けんど、お部屋に行ったら鍵開いちょって、『ごめんなさい』って書かれたメモと宿泊代金と鍵が置いてあったがやき!」
「えー!?」
騒然としている仲居達の所へ
事の次第を女将に報告に行っていた堂ヶ島が戻ってくる。
「ちっくと落ち着きなさい!今、あんたらがすべき事は普段通り、笑顔でお客様に夕食を届ける事やろう?他のお客様には関係のない事ちや。うちらはプロやき、今この瞬間から切り替えて、しゃきっとしいや!」
そう喝を入れらた面々は
騒ついた心を入れ替えて持ち場に戻った。
七海も動揺していたが
皆が何事もなかったようにいつも通り接客をする姿を見て平常心を取り戻す事ができた。
だが一通り配膳が完了し片付けに入った頃、
女将が七海を呼び出した。
「関口さん、今ちっくとええか?」
「は、はい!」
七海は女将のもとへ駆け寄る。
すると女将は七海を事務所まで連れて行き、
落ち着いた声で話し出す。
「ちっくと聞きたいんじゃけんど、こちらのお客様、関口さんの知り合い?」
そう言って今夜の宿泊名簿に書かれた女性の名前を指差した。七海はその名を見て驚きを隠せない。
「……!」
「こちらの方ね、チェックインの時、あなたの事を聞いてきたらしいの。元気でやっちゅーか?て…」
その客の名は
雄一の母親と同じ名前だった。
何かの間違いだと思いたくても
そこに書かれた住所と年齢も合致している。
「嘘…」
「この方、お部屋から
「……。」
七海は真っ青になり何も答えられない。
海斗は少し離れた場所からその様子をじっと見つめている。
婚約破棄をしてから1度も会っていなかった雄一の母親は心根の優しい人で、七海の事を実の娘のように可愛がった。誰よりも結婚を喜んでくれた雄一の母は、なぜ七海を追いかけて足摺岬まで来たのか…七海には薄っすらとその理由がわかり、耐えきれずに両手で顔を覆い、独り言のように「嫌だ…」を繰り返し、とうとう泣き出してしまう。
「大丈夫やき、あなたが何か知っとたらて思うただけやき…」
女将は事情を聞かぬまま
七海の背中を摩り、落ち着くまで待った。
海斗がたまらず近づこうとすると
女将がゆっくり首を横に振った。
「…。」
“今はそっとしておかなくてはならない“
そう察した海斗は
離れた場所で壁に寄りかかり
黙って様子を見守ることにした。
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