第16話 跪いて、触手を振れ その弐

 インターフォンを通して向こうの様子はわからなかったが、大島の部屋に四之宮と沙英子が来ているのは間違いないようだ。

(観客は多い方が良い)

 篠宮は秘書の案内を断り、一人で奥の社長室へと向かう。

 入口は既に開いており、人払いがされているのだろう取り次の間には誰もいない。

 今朝は無人だった奥の部屋から人の気配がする。

「大変ご無沙汰しておりました」

 篠宮は慇懃な態度を崩さず、静かに頭を下げて中へ入る。

 青褪めた顔でこちらを見ている元婚約者と実の父親は黙ったままだったが、正面のデスクに腰かけた人物はにこやかに笑みを作り立ちあがった。

「久しぶりだな、篠宮くん。元気そうで何よりだ」

 篠宮の手を取り握手を交わす。

 白々しい小芝居でしかないが、それを真顔でやり通す狡賢さが大島にはある。

 この三人の中でも真打はやはり大島だった。

「接見禁止命令に反するようなことをして申し訳ありません」

 かつて殺そうとした者と、殺されかけた者とはとても見えない穏やかなやり取り。

「また私を陥れるご相談でもされていましたか?」

 握手が終わり手が離れると、篠宮も笑顔を作ったまま続けた。

 穏やかそうなやり取りの底にビリビリと針が刺さるような緊張が流れている。

 大島も、篠宮も、決して一歩も引く気はない。

「何をしに来たのよっ」

 一番最初に緊張に耐えきれなくなったのは沙英子だった。

「沙英子さん、ご結婚されたんですよね。おめでとうございます」

「止めてっ! 白々しい! 昔から貴方のそういう所大嫌いよ。目的は何? はっきり言ったらどう?」

「過去にご迷惑をおかけしたみなさんに謝罪に」

「謝罪? いまさら?」

 綺麗に化粧した顔を歪めるようにして無理やり笑う。

 思えば沙英子は昔からこんな風に笑う女だった。

 自分より下と見下している者に対して優位を維持するための虚勢の笑み。

「お前とはとっくの昔に縁も切ったし、これ以上大島さんにご迷惑をかけるようなみっともない真似はするな! すぐに出て行け! この親不孝者!」

 震える声で怒鳴ったのは四之宮。

 親が個に対して無条件で優位にいられるのは、親としての義務を果たしている間だけだというのに。

「ええ、縁も切られ名も変えております故、貴方のお言葉に従う必要はないかと思いますが。私は大島さんにお会いしに来たのですし」

 取り繕った笑みではない、笑みが篠宮の顔に浮かぶ。

 狼狽える様を見ていると愉快でならない。

 姑息な弱者でしかないこいつらの脳裏に一生忘れられぬ物を刻み付けてやるのが自分だと思うと愉快でならない。

「私に用とは何かな? わざわざ接見禁止命令まで破ってきたんだ、実のある話であることを祈るよ」

「それはもちろん」

「つまらない昔の話で場を濁したりしないでくれよ」

 大島が牽制を仕掛ける。

 篠宮の握っている情報程度では何も揺らぎはしないと。

「それは、どうでしょうかね?」

 篠宮は一歩引いてドアを背に立つと後ろ手に鍵をかけた。

「社長室で発砲事件なんてスキャンダルも一緒に提供したら、マスコミは喜ぶんじゃないですかね?」

 ジャケットのポケットから自然な仕草で拳銃を取り出す。

「場末のヤクザから入手したトカレフですが、こんなものでも違法品なんですよね」

 それを見て3人は完全に硬直した。

「誰を撃つのが一番効果的ですかね? 横領を隠すために部下を無実の罪に陥れた上司? それとも浮気相手と一緒になりたくて父親の悪事に加担した元婚約者? 金と保身のために息子を切り捨てた父親?」

「や、やめろ……侑弥……」

「わ、私は関係ないわ!」

 沙英子が父親の後ろに隠れるようにしてヒステリックに叫んだ。

「浮気相手だなんて言わないで! あなたに傷つけられた私を支えてくれた人と結婚しただけよ!」

「それは嘘だ」

 その場に居た誰でもない声が割って入る。

 閉じたはずのドアが素早く開き、篠宮の背後に声の主が立った。

『付き合っていた時から目障りだった。お父様に言われて婚約したけど、結婚する気なんか最初からなかったわ。火事でホテルと一緒に焼け死ねばよかったのに』

 篠宮の後ろから付きだされた手に握られているICレコーダーから沙英子の声で醜い本音が再生される。

「昨夜、貴女が自分の夫に語った言葉そのままのはずだ」

「そんな……」

「更に貴女はこうも言った。『お父様は手緩い。あの事件の時に正当防衛に見せかけて殺してしまえばよかったのに』貴女は相当邪魔だと思ってたようですね」

 沙英子は父親に縋るようにして顔色を白くする。

 もうその綺麗に口紅を塗った唇がヒステリックに叫ぶ力はなかった。

「侑弥、お前はそんなに父が憎いか……?」

 同じように顔色を失った四之宮が銃口を見つめたまま震える声で問う。

 憐れな老人のような口調に篠宮は眉を顰めた。

 背後の気配がICレコーダーを持つのとは逆の手で写真の束を床にばらまいた。

 それは監視カメラの写真のようで、火事を見ている野次馬の中に同じ人物がいるのをマーキングしてある。目深に帽子をかぶりサングラスをかけているが、散らばった写真全てに同一の人間が映っている様だ。

「先日、とある場所で火事があった時の周辺の監視カメラから抽出した写真です。マーキングしてあるのは全て同じ人間。画像は全部で180枚あります。これらすべての写真を3D解析にかけた結果、身長、体格、姿勢、歩行時の特徴などが完全に一致する人物を特定に成功しました。四ノ宮さん、貴方です」

「それが何だというんだ! た、たまたま通りかかった時に火事があったのを目撃しただけだ」

「いつも秘書を伴い、一人で行動することの無い貴方が、共もつけず、一人で、火災発生前から何故いつもと違う格好をしてホテル街なんかをうろついていたんでしょうね? 貴方がいつもご利用になっているハイクラスホテルとはかけ離れた場所なのに」

「それでも、それが何の証拠になるというんだ!」

「さあ? でもこの写真が説明付きで送りつけられたら、面白いと思う人たちがいるんじゃありませんかね?」

 篠宮の背後で淡々と情報を開示して行く。

 それは篠宮の依頼した通りのものだった。

「どうやら話し合いの必要がありそうだな。篠宮くんと――東條陸くん、だったかな」

「初めまして、大島孝明さん。脱税と横領の穴は上手く塞いだようですね」

 陸の言葉に大島は少し顔をひきつらせた。

 それでも、他の二人のように取り乱したりはしない。

「娘が大変失礼をしたようだ。それは親としてお詫びする。だが、こんなでも可愛い一人娘でね。わがままを言われれば断れないものなのだよ」

「だから、俺を陥れたと?」

「それだけではないけれどね。君のお父さんからも色々とお願いをされていてね。君一人とお父さんの会社の従業員2000人の行く末を秤にはかけられなかったんだ。経営者というのはそういう非情な判断も迫られる。時には非合法な手を使ったとしてもね」

「ご立派なお話だ」

 そう言いながら、篠宮は銃を持つのとは逆の手に握っていたスマホを見せる。

「さて、最初の話に戻してもらいましょうか? 俺が今手にしているスマホは、ワンタッチでメールが送信できる状態にしてある。何をどこに送信しようとしているかはご想像にお任せしますが、きっとこれが送信されると貴方の会社の5000人を超える従業員の行く末が案じられるような事態になるでしょう」

「何が望みだ?」

「優秀な経営者としてのご判断をお願いしたい」

 篠宮は構えていた銃を下し、大島の足元に放り投げた。

「あなたがその銃で自害すれば、メール送信は止めて差し上げましょう」

「バカな……」

「私の持っている情報は確かに古いかもしれない。陸の言う通りすでに「上手く塞がれた」後の情報だ。しかし、それが渡る先が警察や税務署ではなくマスコミだとしたら? 過去の傷害事件を機に悲運の経営者としてマスコミによりクリーンなイメージを売り続けてきた貴方が、実は娘の婚約者を陥れて脱税をごまかした狂言事件だと知れたら? 当時の冤罪の証拠に、冤罪を着せられた俺の面白おかしいレポートと共に広がれば、さぞ面白いことになると思いますよ」

「……」

 篠宮の狙いは正攻法での断罪ではない。

 篠宮の事件は一度判決が出てしまった上に、ただの傷害事件でしかない。それを覆して回復する名誉などたかが知れている。

 そんな事では篠宮の背負わされた苦しみの数分の一も返せはしない。

 しかし、過去にすでに終わった事で警察は動かなくても、娯楽に飢えたマスコミは違う。

 正義ヅラしてここぞとばかりに大島の企業を叩くだろう。

 大島のライバル社はいくつもの放映枠のスポンサーになっている。そう言った連中が更に煽り立てるように大島を追い詰めるに違いない。

 それは一般民衆が飽きるまでのほんの一瞬かもしれないが、一度地に落ちたものを回復させる余力すれ残らぬほどに炎上するのは間違いない。

 しかも、そのメールは非合法な手段で手に入れた匿名の篠宮のスマホからではなく、今目の前にある大島のデスクの上から大島の名義で発信される。

 今朝、危険を侵してもこのビルに侵入し仕掛けたのはそのためだった。

「さあ、ご判断を」

 射撃訓練が無くても自分の頭なら撃ち抜ける。

 自殺するには十分な銃だ。

 大島が銃を拾い上げる。

 グリップを握り、じっと見つめた後、照準を四之宮に合わせた。

「え……」

 パンッ!

 乾いた音がして、四之宮が胸を押さえて蹲る。

 蹲った足元には見る間に血だまりが広がって行く。

「お父様っ!」

 パンッ!

 声と音は同時だった。

 沙英子は後ろに弾き飛ばされるようにして仰向けに倒れた。

 紺色のワンピースがじわじわと濡れそぼり、床にその染みを広げて行く。

「大島……」

 篠宮は目の前で起こったことを信じられないでいた。

「これだけ至近距離なら外しようがないな」

 大島は血に塗れて横たわる二人を見もせずに、銃口を篠宮に向けた。

「実の親を逆恨みした前科のある青年の暴走。いい落としどころだと思わないか?」

「お前は……」

「お前が何をマスコミにリークしようと、お前が死んでしまえば事象は変えることができる。上司と父を恨み、被害妄想に駆られ、父と婚約者を殺した青年が送ったメールと、一部始終を目撃して、何とか止めようと説得を試みるが青年を死なせてしまう私の言葉。どっちを信じる方が得か判らぬほどマスコミも馬鹿ではあるまい」

 銃口を向けたままニヤニヤと笑う大島に篠宮は言葉を失う。

「これが私の判断だ」

 そして引き金が引かれる。

「ご主人様!」

「っ!」


 パンッ!


 三度目の銃声が響き、篠宮を庇うために前に躍り出た陸が篠宮の足元に蹲る。

「陸っ!」

 陸は自分が撃たれると同時に、大島の手から銃を弾き飛ばしていた。

 篠宮はその銃を咄嗟に拾い上げると、呆然と尻もちをついている大島に向かって撃ち込んだ。

 パンッ! パンッ! パンッ! パンッ! パンッ!

 五発の銃声の後、弾は切れ、カチッカチッと空回りする音が響く。

 大島は床に横たわり、沙英子や四之宮より血にまみれている。

「ごしゅじ、さ、ま……」

 胸に被弾したらしい陸が触手を伸ばし、篠宮に抱き着く。

「めー……るを」

「あ、ああっ」

 篠宮は銃を取った時に落としたスマホを拾い、震える手でメールを送信した。

 これですべての蹴りがつく。

 そのはずだったのに。

「陸、陸……」

 陸はぽっかりと胸に穴をあけたまま、ぐったりと動かない。

 篠宮の頬を伝い落ちる涙が、人間ならば溢れてくるだろう血の代わりにその胸を濡らして行くばかりであった。



―― 続

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