24:底辺
起きる気もないのに、知らないうちに目覚まし時計のタイマーをセットしている。
アラーム停止のボタンを押してから、もう一度目を閉じる。眠気はあるのに、すぐに眠りには落ちない。
浅い眠りと覚醒の繰り返しで、殆ど寝ていないような気がした。
未だにふわふわと、地に足が着いていない感覚が付きまとう。
俺は文字通り、もぬけのからになっていた。
学校へも行かず、ギターにも触っていない。別れて、気持ちも消えて、殆ど会ってもいない人間が死んだだけなのに。
(――何もする気が起きない)
多少は期待していた俺の携帯電話も、この一週間、鳴ることはなかった。
俺だけが何もない。
ただ、心の色を、何色だか判らない一色に塗り潰して、ただ、毎日を潰しているだけだった。
(起き上がれない)
何もできなかったことが、全てを遮断されたことが、俺を叩きのめしているかのように。
『もう少し、何とかならなかったのかな、って』
「全部、終わったこと」
声に出して言ってみる。
けれど、すべてを無かったことにはできない。
この、俺自身の無力感が、無かったことにはしてくれない。いなくなったのに、俺の中で大きく影を残している髪奈裕江が、そうさせてはくれない。
本当は、判っている。
判っていても、今、どうにかできる問題でもない。携帯電話のバイブレーター音が聞こえてきた。数秒だけで止まる。メールか、充電もしていなかったからバッテリーが切れたか。
「……」
身体を起こして電話を手に取る。美朝ちゃんからのメールだった。
『今週末、遊びに行くね。都合悪かったら言って』
それだけが打ってあった。また何かあったのだろうか。それともただ単に遊びにくるだけなのか。それは判らないが、正直、相手にするだけの気力も体力も今の俺にはない。
返信もしないで携帯電話を投げ出すとまた、浅い眠りに落ちた。
ふと気付き目を開ける。
少しすっきりしたのか、頭が働き出したのかもしれない。つい先程見た電話とカレンダーを見比べて、今日が水曜だということに今更気がついた。あの日、香居さんの部屋から帰ってきてからろくに食事という食事は摂っていなかった。
いい加減何か食わないとまずい。俺は身支度を始めた。
何かを食うことすら煩わしく感じることなど今までなかったことだ。
咀嚼すら面倒だったので、コンビニでマルチビタミンの錠剤と健康食品のゼリーを買って帰った。
電話をチェックすると香居さんからの着信履歴があった。充電用のアダプターを接続して、香居さんに電話をする。
「もしもし」
『あ、今平気?』
声に張りがない。参っているのは香居さんも同じだ。
「はい。ちょっと出てただけなんで」
『
「そう、ですか」
『時間あったらきてくれって。……どうする?』
「じゃ一緒に行きましょう。向こうも一度で済ませたいでしょうし」
『そうね。じゃあ土曜日でいい?』
「午前中なら」
先ほどの美朝ちゃんのメールを思い出して俺は言った。きっと無理矢理にでも身体も気持ちも動かさないといけない。このまま、何もしないで良い訳はない。自分自身を、浪費して良い訳がない。
『うん、じゃ土曜の、九時くらいでいいかな』
「判りました」
『……大丈夫なの?』
「そっちこそ大丈夫っすか?」
人の心配ができるほど回復しているのかどうかは判らないけれど、俺も香居さんのことは心配だった。
『まぁ、泣き崩れるとか、ぶっ倒れるとか、そういうんじゃないのよ』
「それなら少し安心しました」
嘘だ。泣き崩れたりぶっ倒れたりしていた方が、よほど人間らしい反応のはずだ。それができていないほど、俺も香居さんも参っている。
『そういうことは全然ないからさ。とりあえずは元気って言っても嘘にはならない程度に元気だし』
少し笑ったようだった。今の俺よりは体力もあるだろう。こういう時、女性というのは男よりもタフな生き物なんだなと思う。命に対すること全てに対して、女性は強いと思う。
「俺も大丈夫っすよ」
かなり嘘だったが、そう言って俺も少し笑った。
『じゃ、とりあえず私も安心しとくよ』
「はは、それじゃ、土曜に」
そう言って通話を終える。別に食べられなくなった訳ではない。ただ単に食べる気力がなかっただけで。
(同じことかな……)
そう思いはしても今は食えない訳じゃない。とにかく、少しでも体力を戻すように心がけないといけない。ビタミン剤をゼリーで飲み込んで、俺はギターを手に取った。
無理やりにでも切り替えて、何かをして、気を紛らわせていたい。冴城さんや八木にも電話をしておかないといけないな。
翌日、俺は学校へ行くことにした。
まだ色々と見て思い出すものが多いけれど、避けては通れない。このまま大学を辞めるつもりはないし、全てにおいて立ち止まったままではいたくなかった。
一週間が過ぎて、漸く俺の思考回路も動き方を思い出してきたらしい。
「うす」
教室に入り、八木に声をかける。
「おぉ……。大丈夫、だよな?」
「あぁ、ごめん。迷惑かけた」
短く、そう答えて笑顔になる。意外と自然に笑顔になったことに驚いたが、少しだけ救われたような気分にもなる。
「や、いいけど、冴城さんも心配してたぜ」
「うん、まぁ後で謝っとくよ。……そういや練習は今度いつ?」
ライブも近い。メンバーには気を揉ませてしまったのかもしれない。でもバンドだってきちんと続けたいし、このままフェードアウトする気も更々ない。働いてしまった不義理はきっちり詫びて、ライブに臨みたい。
「日曜にあるけどお前、ヤバそうだからさ」
「いや、行くよ。何か、色々とやっておきたいんだ」
「ま、それもそうか。あのさ……」
「何」
何か、髪奈のことで聞きたいことがあるのだろう。そのくらいの覚悟はしてきた。
「お前さ、切れてるって、言ってたよな」
「あぁ、付き合ってるとかどうのとかはね。だけど、電話とかメールとかもきてたし、フツーに友達だったよ」
本当は普通の友達ではなかっただろうけれど。
「まぁ彼女じゃなくても、キツイよな……」
「だな」
前向きなのか自虐的なのか、良く判らないが、こうして髪奈が消えてしまったことに常に直面しておけば、それに慣れる時間も早い。
忘れてしまうことは不可能だからこそ、思い出には変えていかなくてはならない。少しずつ、前に進むしかない。少しでも自分に痛みを与えて、それに慣れて行かなければならない。
「とにかくさ、ずっとへっこんでる訳にもいかないしさ」
「だよな……。まぁ、ガンバレってのも、変な話だけど」
俺は笑顔のまま八木の肩を強く叩いた。
24:底辺 終り
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