21:言い訳

 駅の南商店街の外れにある喫茶店は、髪奈かみなの家から程近く、そして美潮みしお姉ちゃんの行きつけの店らしかった。 おれもここに越してきてそこそこになるけれど、こんな良い店があったなどとは全然知らなかった。

 広すぎない店内は出窓にライトグリーンのカーテンと小さな鉢植えをしつらえた、定員四人のテーブル席が四つ、その奥の窓側の反対にもテーブル席が二つある。それに六人が座れるカウンター席。

 さりげなく落ち着いたピアノの旋律が流れている。店主のセンスの良さをそこはかとなく感じる。こういう店ならなるほど、何度もきてみたくなってしまうかもしれない。

「で、結局のところ、解決はしてないんでしょ」

 運ばれてきたブレンドに口を着け、俺は美潮姉ちゃんに言う。

「まだ平行線ね。まぁでもあの調子じゃ別れるのは時間の問題よ」

子供がきじゃねんだからよ……」

 つい辛辣な言葉を口に出してしまう。

「そりゃあたしだってそう思うけどねぇ」

「別にね、俺はいいけど、口出す気はないし。美朝みあさちゃんのフォローはやるけど、面倒を見るつもりはないよ」

 俺だって色々とごちゃごちゃしてるんだ。他人のことにそんなに深く関わってなんかいられない。

「そりゃあね、家族のすることだからさ。……悪いわね、つまんないことに関わらせて」

 美潮姉ちゃんの顔にも少し、疲労の色が伺える。

「別にそういう訳じゃないけどさ。姉ちゃんは大人だからいいけど、あのままじゃ美朝ちゃんは可哀想だって」

「だから、そう思うなら少し頼まれてよ。あたしだって両方に押し潰されて大変なんだから」

 それは、確かに。

 俺も美朝ちゃんにそう思われていたのと同じだ。無条件に美潮姉ちゃんを大人だと思い込んでいた。

「判った。判ったよ。まぁどっちに転ぶにしろ早く落ち着くようにするしかないでしょ」

 このままじゃ一番しんどいのは美朝ちゃんだ。恋愛感情は抜きにしたって美朝ちゃんが可哀想だ。

「だよね。アサが一番可哀想だもんねぇ。この時期だし」

「フツーにさ、受験失敗とか失恋だとか、そんなんで死ねちゃう年頃なんだからね」

「ちょっとやめてよ、エンギでもない」

「あ、ごめん。美朝ちゃんがそうだとは言わないけど、さ。体重が変わっちゃうくらいには真剣に悩む年頃だって」

「それは、そうよねぇ……」

 俺はそういうのとは無縁だったけど、そういう風に悩む奴は確かにいたし。

 ただ、それでも叔父さんや叔母さんには俺は何を言うつもりもないけれど。本人の問題は本人にしか解決できないんだし。それにそもそも解決できない問題はもはや問題ですらない気がする。

「ま、どこまでフォローできるかは判んないけど、何かありゃ手助けはするよ」

「うん、悪いわね」

 苦笑して美潮姉ちゃんは煙草に火を点けた。



「んじゃ、お疲れっす」

 バンドの練習を終えて、俺は谷崎たにざきさんに挨拶をする。

「おう!んじゃあな。あー、冴城さえき、時間あるか?」

 俺と八木やぎに明るく言ってから、谷崎さんは冴城さんに声をかける。

「まぁ少しなら」

「んじゃちょっとミーティング。若い衆には後で報告ってことでな」

「要するに、酒っすね」

「まぁな。ホラ、一応顔知れてっからよ、堂々と未成年誘う訳にもいかねぇだろ。ハタチ超えてんのお前だけだし」

 案外そんなこと気にしないようにも思えたけど、そういうところはやっぱり分別のある大人なんだな。多分カッコイイ大人ってのはこういう人のことを言うのかもしれない。俺には到底なれそうもないけど。

「判りました。んじゃ一軒だけっすよ」

「おう、奢っからよ。んじゃ、ガキどもはまたなー。オトナんなったら連れてってやっからよ」

 冴城さんの肩をがっちり掴んで、谷崎さんと冴城さんは歩き出した。もう一度お疲れっすー、と声をかけて、俺も駅へ向かおうとしたら、八木が声をかけてきた。

「なぁ、おい」

「ん?」

「こないだ貸したDVD、取り行ってもいいか?」

 何を借りたか思い出すまで少々の時間がかかった。確か谷崎さんが昔やってたバンドのDVDだ。

「あぁ、いいけど、今から?」

「都合悪い?」

「いや、大丈夫だけど」

 どうせヒマだからたまには八木と遊ぶのもいいかもしれないな。

「俺の方が時間ないんだけどさ。今日、どうしても必要でさ」

「すぐ帰っちゃうのか。まぁ別にいいけどさ。んじゃとりあえず行こうぜ」



 駅から俺の部屋までは大した距離はない。些細な話をしながら俺と八木は部屋へと歩いていた。

「……」

「どした?」

 携帯電話のディスプレイを見て顔をしかめた俺に八木が声をかける。

「……髪奈から着信」

「お前らって切れてんだろ?」

「とっくにね」

「ワケ判んねぇな」

 俺も激しく同意したいところだが、ま、髪奈だからな。

「ま、色々とあるらしくて」

「損な性格だねぇ」

「まったくだ」

 安アパートの二階へ上がると、俺の部屋の前に誰かが座っている。

 その誰かは、俺達の足音に気付いてこっちを向いた。

「美朝ちゃん?」

「あ、お帰り……」

「あ……あ……」

 八木が目を丸くして俺と美朝ちゃんを交互に見る。三回ほど。

「ちょ……。待て、八木」

「お前……。髪奈っ」

 そこで八木の口を手で塞ぐ。

「従妹だ従妹!」

 何も言えなくなった八木の目が更に見開く。

「カンチガイ甚だしい。フツーに従妹だ」

 見境なしに女とあらば手を出すようなキャラか。俺が。

 その思いをたっぷり込めて……。

「うわっ!」

 八木の口を押さえている俺の手の掌を八木がべろり、と舐めた。俺は咄嗟に手を引っ込めて八木のトレーナーで手を拭いた。

「冗談だっての。ムキになるあたり、アヤスィけどな」

「あの……」

 後ろから美朝ちゃんが声をかけてくる。

「あぁ、ごめん。コイツ八木。一緒にバンドやってるんだ。こっち、従妹の美朝ちゃん。中学三年生」

「んー、可愛らしいねぇ。よろしくね」

 八木はひらひらと美朝ちゃんに手を振る。

「はい。こちらこそよろしくお願いします」

 できすぎたくらい礼儀正しい子だ。

「美朝ちゃん、何か用があってきたんだろ?とりあえずバンドのDVD返してくれよ。俺どうせすぐ帰んなくちゃだし」

「あ、あぁ、悪いな」

 態々バンドの、と言ってくれるヤギの気働きに感謝。

「俺の方が無理言ってんだから気にすんな」

 気にすることないよ、と八木は美朝ちゃんに笑顔を向けた。割と細かい気遣いのできる男なのに何で彼女はできないのだろうか。大きなお世話だとは思うが、ついそんなことを考えてしまうあたり、俺も少し余裕が出てきたのかもしれないな。

 とにかく八木にDVDを渡すと、八木はすぐに帰って行った。


 淹れたてのコーヒーを美朝ちゃんに手渡すと、俺は美朝ちゃんの対面に座る。

「ありがとう……」

(元気ないな)

「どうしたの、急に」

 聞くまでもないとは思うが、どの程度の問題があったのかは訊いておいた方が良いだろう。

「お姉ちゃんと喧嘩して……」

 なるほど。

「お父さんにも怒られて……」

 みんなナーバスになってるってことだ。完全に被害者だ。美朝ちゃんは。

「判った。それ以上はいいよ。とりあえず連絡は入れるけど、しばらくはここにいな」

 頭に手を乗せようとして、びくっ、とした美朝ちゃんに思わず手が止まる。それからもう一度手を伸ばし、そっと頭に触れる。

「……叩かれたり、した?」

「う、ううん」

(嘘だ)

 流石にこれには頭にきた。俺はすぐに携帯電話を取り出すと、美潮姉ちゃんに電話をかける。

「俺!」

『あぁ、何?なんか、怒ってる?』

「何でもいいけど、しばらく美朝ちゃんは俺が預かるから」

『……』

 無反応。色々と心当たりがあるって証拠だ。

「美朝ちゃんは何も言わないけど大体想像つく。そういうことだから。じゃね!」

 それだけ、文字通り言い捨てて通話を終える。

「ごめんなさい」

「いいよ、言ったでしょ、味方になるってさ」

 笑顔になって俺は言う。

「でも、めいわく、だよね……」

「そんなことないよ。まぁちょっと寝床は不便になるだろうけど、気が済むまでいたらいいよ」

 面倒なことは御免だと思っていたが、多分それはその場の勢いとか心情とか色々なものが作用していたのかもしれないな、と今は思う。何かに関わっていないとだめなのか、誰かを気にかけていないとだめなのか、それは判らない。

 ただ、放っておくことはできないし、今はそれほど煩わしいと思っていないことは事実だった。

「優しんだね……」

 そう思われても仕方がないことを、俺は自分でしている。自覚がないのも残酷だが、自覚があってやるのは凶悪だ。

 俺に好意を持っている相手に、これほど無条件で優しくして。そのくせ俺にはその気など全くない。

 ない望みを持たせてしまっている。知ったことか、と跳ね付けるよりも酷いことだ。気持ちを知りながら、それを踏みにじっているのと何も変わらない。

「従妹が困ってりゃ助けになりたいって、普通だと思うけど……ね」

 少し声を低くして俺は言った。

 自分に対しての言い訳を。

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