幻燈物件


「幻燈物件って知ってるかい?」


 人懐っこい、それでいて何処か感情の読めない笑顔で男は初めて聞く言葉を口にした。


 私の向かい側に座るその男とは初対面だ。何時もの様に研究所を訪れ、所長に会い応接室へ行っていろと言われたので来てみればこの見知らぬ男がいたのだ。黒に見間違う程濃い紺色の髪に、薄い青から濃い青へと変わる不思議な瞳。左目は長い前髪に隠れて見えなかった。話題に困り所長とはどういう関係かと問いかけた所冒頭の質問を投げ返されたのだった。

「げんとう、ぶっけん?」

「まぼろしの幻に、とうろうの燈。それに物件を付けて幻燈物件。私はその物件を管理したり貸したりする仕事をしているんだよ」

「不動産関係のお仕事ですか」

「まぁそんな所」

 事故物件はよく聞くが、幻燈物件なんて言葉は初めて聞いた。一体どんな物件なのか。そんな仕事をする人と所長がどんな関係なのか。疑問が沸いてあふれ出しそうな時所長が珈琲と菓子を持って現れた。彼は部屋に入ると私の向かい側にいる男を見てひどく驚いた顔をした後、微かに眉間に皺を寄せてため息をついた。

「……来る前は連絡をと何度も言っているじゃないか」

「お兄ちゃんは弟の驚く顔が見たいんだよ」


……おにいちゃん?


おとうと?


 訳が分からず所長へ質問すれば何処かばつの悪そうな顔をしつつ答えてくれた。

「これは私の兄で螢白(けいはく)だ」

「お兄ちゃんにこれって酷いな……自己紹介が遅れてごめんね、私は螢白。群靑の頼れるお兄ちゃんだよ」

 男……螢白さんの言葉に「頼れるは余計だ」と付け足す。呆れ顔の所長は螢白さん用の珈琲を淹れてくると言い残し部屋を出て行ってしまった。再び訪れる沈黙。耐えられずに話題を作ろうとして疑問を口にした。

「さっき言っていた幻燈物件ってどういったものなんですか?」

「幽霊が出る場所は事故物件って言うだろう?不思議なものが集まる場所を幻燈物件って言うんだ」

「不思議な、もの」

 会話の途中で所長が部屋に戻って来て私達に珈琲を配り、中央に菓子を置いて合流した。珈琲を一口含んだ後再び螢白さんは語り出す。

「分類は難しいんだけど……例えば妖精や精霊といったものかな。そういうものを寄せる地に建物が建つ事がある。『向こう』からすればそこは本来憩いの地でありかけがえの無い場所だ」

 ひとしきり語った後僅かに表情を曇らせ「しかし」と続ける。私も所長も口を挟めなかった。挟む雰囲気でも無かった。

「多くの人間は『向こう』に気付かない。そのうち彼らは居場所を失い消えていく。だから私は彼らが消えないよう、幻燈物件と言える物件を探し出し買い取って管理し守っているんだよ」

「貸し出す相手は、その『向こう』とやらが見える相手って事ですか」

「お、察しが良いねぇ君。そういう事だよ。群靑は視える性質でね。独り立ちのお祝いに此処を紹介したんだ」

 螢白さんの言葉で今まで見過ごして来ていた、所長やこの場所にいるものたちの何処か現実離れした性質に気付かされた。だからと言って恐怖などは一切産まれる事は無く『そんな事もあるのだろう』としか思わなかったが。言葉にされないと理解出来ないものもあるのだなと感心している私の横でずっと黙っていた所長が動く。白衣のポケットから小壜を取り出すと螢白さんへ差し出した。

「今月分の靑だ」

「はーいありが……鯨の心臓じゃないか!?うわーっ珍しい!!」

「売る程手に入ったからな」

「えっじゃあもう少し欲しい。来月分!!」

「……それでいいなら足すが……」

「やったー!ありがとう!」

 兄弟の会話に置いて行かれたので少し冷めた珈琲を口にして眺めていた。ころころと表情の変わる兄と常に静かな水面に似た弟。ちぐはぐだが上手くやっているらしい。


どうしても疑問に思った為差し出していた靑について問えば螢白さんは靑の蒐集家でもあり、家賃としてお金ではなく所長が研究し手に入れた靑を貰っているとの事。


成程、ちぐはぐでもない。似た者同士であった。


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