第201話 表現する

新聞などではそうはならないが、ネットニュースの記事は本当に表現が過剰で貧困だなあと思うことが多い。


すぐ「国宝級」「称賛の声」が使われて大安売り。

そんなに出てくるものじゃないから、そんな表現を毎日使わなくてもと思う。

見てほしいのはわかるが、馴染めない。


「~すぎる」というのもね。

だいたい「すぎない」。「~」なのはわかっても「すぎない」。


いいのよ、スポーツ紙や週刊誌でそれをやるのであれば。

それが普通に見るような記事で過剰な表現がバンバン出てくると疲れる。

細かい説明をしたくないから、わざと過剰表現にしておくという手法か。


わかっていてやっているスポーツ紙あたりは面白いことも多いのだけれど、その他で多用されていると胡散臭いだけになってしまって、信憑性が下がっていく。


とりあえずおおげさに褒めておけばいいだろ?という精神が安直で嫌い。

もっと丁寧に観察して説明する力がないなら、褒めるなとさえ思う。


女子高生が仲間内で、大げさに褒め合うのは微笑ましくていいのだけれど、それをお金貰って記事を書いているプロがやってはいけないと思う。

キミの頭は何の為についているのか?と。

観察力や表現力でお金貰ってるのなら、そこを捨てるなと。


WBCのイタリア戦後のインタビューで岡本選手が「最高です」しか言わなかったのは、良かった。

おおげさでもなく。

だいたい試合後に高揚はしてるけれど疲れている選手に細々と面倒な質問してくるインタビュアーが嫌いな私は、あれでいいと思った。

選手の今の本当の気持ちを引き出すのではなく、インタビュアーが言わせたいことを誘導してやろうという嫌らしい感じがずっと嫌いだ。


ああそうか、私は、インタビュアーや書き手が自分の考えだけを押し付けている感じが嫌いなんだな。



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