第150話 それも強要だ
学校の援助金で思い出したが、歳末助け合いの募金も田舎では同じだと思う。
これのどこが悪いかというと、最低金額が決まっていること(募金袋と一緒に配布される紙に一口300円~と書かれている)、役員が一軒一軒回ってくることだ。
災害があった時に、自分から出向いて募金したり、振り込みをしたりするのはモヤッとはしない。
毎年、12月になるとモヤッとする。
自分のうちが役員になっている年なんかは、更に気が重い。
自治会費を徴収するのとは違って、それぞれの家で考え方も違うし、経済状況も違うわけで。
こういった募金などは一切しませんという家があってもいいと思う。
それなのに、募金袋を配られて近所に住んでいる役員がやってきて、金額まで確認されるってどうなのかと。
一人暮らしの高齢者なんかは、募金するよりも募金でお祝いとか見舞金を貰う側の人なんだから、役員が回る必要がないんじゃないかと私は思っていた。
これ、更に悪いことに、役員をしている人が抜いちゃう事件まであって。
なぜ発覚したかというと、自治会でいくら集まったか集計している人が私に
「あれ?あなた一口300円ってあったのに、100円しか入れてくれなかったのね。」と言われたことから。
その前に私がその人に「一口っていくらでしたっけ?」と尋ねていたから不思議だったのだろう。
「え?300円入れましたけど」
そこから抜いちゃった役員除いて会合が行われたそうで、抜いちゃった役員のもとに行って、
「金額これでよかったですか?」と確認に行ったら、まずいと思ったのか
「あ、探したら落としてました。」と抜いた分を差し出したそうだ。
募金した人全員分を100円ずつ募金したことにして、おかしいと思われないかと頭が働かなかったのかと、「落としてました」で誤魔化せると思ったのかと、抜いちゃった役員以外はしばらく呆れたのだった。
こういう人がきっと他にもいると思うし、そもそもこの「一口300円から」といってほぼ断ることができない状況にもっていくのもダメだから、こういうシステムはなくなってほしい。
駅なんかでずらっと子どもたちが並んで募金箱を持っているのも、実は私は苦手。
善意が暴走しているんだろうけれど、スーパーの入り口で子どもに追いかけられたことがあるから、それ以降募金箱には募金はしないことにした。
追いかけられた時は保護者の人が必死でとめてくれて、その子どもを叱っていたが、募金が相手の厚意で成り立っていて、強要すべきものではないということをしっかり教えてから募金箱を持たせるようにしてほしかった。
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