ただひたすら剣を振る、そして俺は魔熊と戦う。(1)

「急ぐぞギルバート」



 コクリ、と俺は頷きを返す。

 木刀から長剣ロングソードに持ち替え、俺と父さんは家を飛び出した。

 村の出入り口門を目指し、あぜ道をひた走る。最短ルートだ。



「…………」



 無言で走る中、俺はアランさんの言葉を思い出していた。


『異変にいち早く気づいた若いのが応戦しておるが、あやつらでは命が危ないッ。頼む二人とも、ヤツを倒してくれ! あの魔物は――』


 キンググリズリー。大きい個体は体長三メートルにもなる魔獣である。

 その強さと凶暴性から脅威度ランクA相当の魔物であると国際傭兵機構から指定されており、コールブランド王国が誇る最大戦力……正騎士せいきしですら一人で挑むのは危険だと言われていた。



「父さん、ひとつ聞きたいことがあるんだけど……いい?」



 走る速度は緩めず、前を行く背中に声をかける。



「どうした?」

「キンググリズリーは確か、魔素濃度が高い土地にしか生まれない魔物だよな。どうしてこんな場所に現れたんだろう」

「……正直、俺も困惑している。人は魔物が発生しづらい土地――魔素濃度が低いところに居を構え、この過酷な世界を生き延びてきた。それは俺たちの村も例外ではない」



 父さんの話を聞きながら、俺は『魔素と魔物』についての授業を思い出していた。


 魔素は大いなる力。空気中の魔素を体内に取り込むことで魔力とし、はじめて人は魔法を行使することができる。魔素を魔力に変換する器官を持つ俺たちは、生まれながらにして魔素の恩恵を受けているんだ。


 ただ、魔素は人類の味方というわけでもないらしい。魔素が一か所に溜まることで"よどみ"となり、人にあだなす魔物が生まれる。だから魔素自体には善意も悪意もないんだよ、と学校の先生が言っていた。



「だが、ありえないことではないんだ。魔素濃度が低い土地でも稀に"魔素溜まり"が発生し、強力な魔物を出現させることもある」

「そうなのか」

「まあ、滅多にあることではないぞ。村の近くにAランクの魔物が現れたのも俺が生まれてから初めてのことだしな」



 俺は魔物という存在の恐ろしさを改めて思い知らされた。

 魔素濃度が低い土地に住んでいるからといって、絶対安全というわけではないんだな。



「……見えた! 先行するぞ」



 父さんの声に俺は「了解」と返す。


 村の出入り口付近で、二人の剣士が魔獣に追い詰められていた。

 体格の良い短髪の剣士はロッドさん。小柄な坊主頭の剣士はホレスさんだ。


 二人は普段農夫として働いているが、うちの剣術道場の門下生で、有事の際は剣を持って戦う民兵だった。



「でかいな」



 思わずそう口にしてしまうほど、キンググリズリーは大きかった。

 全身を包む毛並みは濃い緑色で、異常に発達した鉤爪かぎづめは長く鋭く、刀剣と見間違えるほどである。



「ハァッ!」



 父さんは稲妻のように地を駆け、キンググリズリーの横っ腹に強烈な回し蹴りを喰らわせる。

 短い鳴き声を上げて、緑の巨体が数メートルふっ飛んだ。

 キンググリズリーはその先の詰所小屋つめしょごやに突っ込み、重々しい衝突音が響き渡る。



「お前ら大丈夫か! ほれっ、体力回復薬ヒール・ポーションだ。飲めるなら今のうちに飲んどけ」

「ぐっ……先生! 俺は大丈夫だから、ロッドを頼みます……ッ」



 ホレスさんが喉をらして叫ぶ。血濡れの坊主頭が痛々しい。

 と、次の瞬間。



「おいっ、ロッド!」



 緊張の糸が切れたのか、ロッドさんがその場に倒れた。

 父さんはすぐさまロッドさんを抱き起こし、怪我の具合を確認する。ぐったりしていた。意識を失ってしまったらしい。



「ギルバート、お前はホレスに体力回復薬を」

「わかった」



 俺は頷き、薬瓶のコルク蓋を開けて、



「ホレスさん、これを」



 それをホレスさんに手渡した。幸い、命に関わる大怪我はしていないみたいだ。



「おう、ギルバート。助けに来てくれてありがとな。いやー左手が折れちまってさ。ほんと死ぬとこだったわー」



 ホレスさんはおどけて見せるが、薬瓶を持つ手は震えていた。

 俺は「無事でよかった」と返し、安堵の表情を浮かべる。



「左脇腹の傷が深い……。この怪我は体力回復薬じゃ無理だ。カグヤに頼むしかない」



 父さんの横顔が曇り、頬から顎先へ一筋の汗が流れ落ちた。

 ロッドさんの意識はいまだ戻っていない。

 その直後のことである。



「ガルルォオオオオオオオオオオオオオンッ!!」



 背筋が凍りつくような咆哮が聞こえた。

 弾かれたように顔を上げると、瓦礫を押し退けながら歩くキンググリズリーが見えた。こっちに向かって来ている。



「父さんはロッドさんを一刻も早く母さんのもとへ。こいつは俺が相手をする」



 と、腰の剣に手を伸ばしかけた父さんに伝えて、俺は立ち上がり一歩前へ出た。



「ギルバート、一人で大丈夫か?」

「ああ。それに俺では、体の大きいロッドさんをうまく背負えない。頼むよ父さん」



 大きい父さんに比べると、残念ながら俺は体格が良い方ではない。

 背も平均をやや下回っている。



「……任せたぞ」



 父さんは短く言って、ただちに行動を起こす。



「ホレス、まだ動けるか?」

「は、はい」

「じゃあ少し手伝ってくれ。ロッドを背負いたい」

「わかりました」



 背中で二人の会話を聞きつつ、使い込まれた長剣を鞘から引き抜く。

 魔力付与エンチャントされた刀身から立ち昇るのは、眩い金色の魔光波オーラ

 俺はキンググリズリーに殺気を飛ばし、父さんたちを守るように立ち塞がっていた。



「よし、では行くぞホレス」

「ちょ、ちょっと待ってください先生! いくらギルバートでも一人じゃ……俺も残ります!」

「大丈夫だホレスさん。俺を信じてくれ」



 前を向いたまま、俺はホレスさんに言う。



「で、でもよ……」

「行くぞホレス。今のお前じゃ足手まといになる」



 かけられた容赦のない言葉に、ホレスさんは悔しそうに唸った。

 ……父さん、他に言いようがあったんじゃないのか。



「わかりました。力になれなくてごめんな、ギルバート。あとは頼んだ」



 ホレスさんからの言葉に、俺は手を上げて応えた。



「行ったか」



 遠ざかる父さんたちを横目で見送ると、俺は前方の魔物に意識を集中させる。

 半身になって腰を下ろし、剣を右脇に移動させ、その切っ先を後ろに下げる。

 相手の出方を見たい時、カウンター攻撃を仕掛けたい時、俺はこの構えを取る。



「グギャォオオオオン!!」



 睨み合いが終わる。俺のことを警戒していたキンググリズリーがれた。

 奴は咆哮を上げながら猛然と突進してくる。



「速い……!」



 爆発的な加速力で迫る魔熊は、気づけばすぐそこまで迫っていた。

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