第六章:天使の筆は恋を描けない。③

 文化祭の当日、昨夜のシロハとの会話が嘘みたいに……ただひたすら忙しく走り回っていた。


 分かっていたことだけど個人の出し物がやたら多く、その個人の出し物を見にきた保護者や他校の生徒やOB達などで例年よりも人が多くの大盛り上がり……なのはいいが、そもそも学校の校舎は祭りになんて適しておらず動線がめちゃくちゃだ。


 事前に看板で道案内をしていたが、けれどもその道案内の看板が人に隠れて見えない始末。


 飛ぶように売れていく飲食物だが、売れ過ぎていてゴミ箱の数が足りていない。


 出し物に関しても事前の確認と違うことをする生徒や、時間を大幅に超過したりとめちゃくちゃで、スマホはずっと鳴りっぱなし脚はずっと動きっぱなしという具合だ。


 はあはあ、と、息切れして立ち止まったときにはもう夕暮れで……人が捌けてめちゃくちゃになった校内の惨状が目に映る。


「……生徒だけの後夜祭のときにでも、ゴミ拾いしとくか」


 幸いゴミ箱の近くに入りきらなかったゴミが置かれているぐらいなのでどうにかなるだろう。


 キイロとシロハのコミュ障後輩ふたりの様子も確認しておこうかと考えたところで、俺が座っているベンチの隣にパックに入ったたこ焼きが置かれる。


 城戸か? と顔を上げると、東野が立っていた。


「なんだよ。どうせ昼とか食ってないだろ」

「……いや、まあ、ありがとう」


 そういや腹減ってたなと思い出して、少しぬるいたこ焼きを食べる。

 何か話があるのだろうかと思っていると、東野は「お疲れ様」とだけ言ってどこかに行ってしまう。


 まあ、仲の悪い男同士だしこんなものか。

 一人でたこ焼きを食べていると、いつもの教室からこちらを見ている目を見つける。


 サッと隠れられてしまったが、まあ、来てほしいのだろうことは伝わった。


「キイロ。文化祭どうだった?」


 いつもの教室に入ると、キイロは端っこに座って首を横に振る。


「絵、完成させました。……そのつもりだったんですけど」


 青いタコと俺を見比べて、キイロはポツリと言う。


「……あんまり似てませんね」


 ぽーっと、惚けたみたいに言うもんだから俺は思わず吹き出して、この前のことも忘れて彼女の隣に座る。


「似てないか」

「んー、なんでですかね? 謎です。描けると思ったんですけど」

「まぁけど、いい絵だよ。……キイロが描きたいなら、またモデルにぐらいなるよ」

「いいんですか! ありがとうございます!」


 思ったよりも食いつかれたな。

 ……やっぱり、この子は絵を描くのが好きなんだろう。


 母への執着が薄れたからか、それともやっと覚悟が出来たからか。

 散々後回しにしていた答えを口に出来た。


「キイロ。俺さ、シロハが好きなんだ」


 キイロの楽しそうな表情がかたまって、泣きそうになって、けれどもその目はキャンバスに向かう。


「ああ……そっか、私、そこを見落としていたんですね。だから不完全な絵だったんだ」


 少女の唇が震えて、それから、白い顔料をそのまま手に取って、手でべたりべたりと絵に塗っていく。


「……大好き、です」

「ああ、ごめん」

「……。でも、私はやっぱり絵を描くのが好きなのかもしれません。すごく悲しいのにやっぱり絵を描きたくなって。……ごめんなさい」


 少しの時間、キイロが絵を描くのを見て、それからゴミ拾いに戻る。

 ひとつの重大なことが過ぎ去って、虚脱感の中、ひとりで纏めていく。


「あ、先輩。こんなところにいたんですか。ん……涙の跡、残ってないですね」

「昨夜気合いで冷やしたからな。……あのさ、あー、なんというか」


 シロハは俺の隣でトングをカチカチと鳴らす。

 もう分かっているから早くしろと言わんばかりだ。


「……初めて、キイロと会ったとき」


 シロハにげしっと足を蹴られる。


「このタイミングで他の女の子の名前出す人がいますか」

「いいだろ。別に……。キイロが学校の窓に絵を描いてたんだ。街にお化粧するんだとさ」

「へー、ちょっと見てみたいですね」


 俺はゴミ袋を縛って、それからキイロのいる教室の窓を見る。


「けど、今日はさ、キイロ。あの窓から外を見ていたんだ。だからまぁ、文化祭は成功かなって思ったよ」

「……そっか。……それで、先輩、覚悟はいいですか?」

「ああ、シロハ。付き合ってほしい」

「じゃあいきますよ。すーはー、すー……って、えっ、あっ、なな、ななな! な、なんで先に言ってるんです!? 僕の、覚悟と気合を返してください!」


 バタバタとシロハに叩かれて、それから彼女は不満そうな表情をする。


「というか、ゴミ拾いしながらする話じゃないでしょうに」

「シロハもしようとしてたけどな」

「僕はいいんですよ、僕は」

「理不尽な……。それで、今度は」


 早鐘が鳴る。

 既にお互いの気持ちなんて伝え終わった後で、帰ってくる答えは知っていた。


 けれども手先が冷えるぐらいの緊張と、唇が震えそうになる恐怖。足元の感覚が薄い。


 シロハは俺の方が好きなくせに「仕方ないな」と、俺の手を取る。


「はい。もちろん。ずっと、ずっと、好きでした」


 思い描いていた言葉と一言一句違わないその返事にホッと胸を撫で下ろす。


「あっ、でも、交際は秘密にしましょう。バレたら絶対イジメられるので」

「イジメられはしないだろ……」

「先輩、アホなのにアホみたいにモテモテなんですから、地味なチビが付き合ってたらすごい目に遭いますよ。秘密で」


 はいはい。

 ……いつもと変わらない様子のシロハと二人で後片付けをしていく。


 ずっと感じていた、母への申し訳なさは案外呆気なく忘れて、誰かのために何かをしないとという強迫観念もどこかにいった。


 案外、自分って普通なやつだな。

 なんて当然のことを考えて……俺にとっての転機となった文化祭は終わった。


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