あなたのねこです
今年で二十歳になる飼い猫のクロが、散歩に出たっきり帰ってこない。
もうおじいちゃんの猫だし、外に出すべきじゃなかったんだろう。よく、猫は寿命を悟るとひとりでにどこか行ってしまうというけれど、本当にそうなんだったんだろうか……。
後悔が尽きない。狭いアパートで低賃金の生活の中、クロはずっといっしょのパートナーだったのに……。
クロ、どこいったんだよ。自室で唇をかみしめていると、ふいにインターフォンが鳴った。
玄関のドアを開けると、帽子を被った等身が高い黒髪の青年が現れた。宅配スタッフじゃないみたいだけど、いったい誰だろう……?
「あなたのねこです」
開口一番、黒髪の青年はそう言った。
「へ……? ね、ねこ? 誰??」
「だから、おれ、クロ」
青年は自分自身を指さした。
「ご主人、人間のすがたになって恩返ししに来ました」
青年はそう言って玄関から上がろうとする。俺はそれを慌てて静止した。
「ちょっとストップ。そんなこといきなり言われて、はいそうですかって信じるわけないでしょ。せめて根拠は?」
「猫耳がはえてますよ。ほら」
青年が帽子をとると、頭にちょこんと黒い猫耳がはえていた。
「ひっぱってもいいですよ」
ひっぱってみたけど、確かにとれない。まるで頭からはえているみたいだった。
「うーん、でも、めっちゃ貼りついてるだけかもしれないし」
「ご主人、小学二年生の頃、お母さんにゼロ点のテスト見られたくなくて、庭で野焼きしてましたよね」
「え、本物!?」
「そうです」
『クロ』と名乗った青年は嬉しそうに猫耳をぴょこぴょこさせた。
「クロ! おっ、お前……! おっきくなって! 俺よりでかいじゃねーか! どんな姿でも生きててくれて本当によかったよ。でも、何のために人間に?」
「言ったでしょ。恩返しするって」
「へ……?」
きょとんとする俺に、クロはぽん、と俺の肩を安心させるように叩いた。
「まかせてください」
それからクロは起業して、会社を立ち上げた。
立ち上げた『株式会社BLACK』はすぐ成長し、俺たちはあっという間に裕福になった。会社の名前が入ったビルが建ち、俺たちは狭いアパートから広い庭付きの豪邸へ。沢山の部屋、大きい浴室。何人ものハウスキーパーが入れ替わり動く中、俺はただただぽかんとしていた。
クロはPCで業務をしつつ、振り返って俺に言った。
「どうです! ご主人! 毎日幸せになれたでしょう! これからもずっといっしょにいましょうね!」
確かに俺は幸せだった。働かなくても毎日おいしい料理がたくさん食べられるし、どれだけごろごろしててもいい。
……でも。
クロが猫の時の思い出がよみがえる。狭いなりに毛布で暖まりながら俺とおもちゃで遊ぶクロ。赤ちゃんの時ミルクを飲むクロ。すやすや眠るクロ。
たとえクロと一緒でも、もう、狭いアパートで過ごす慎ましくもあたたかな暮らしは、戻ってこないんだ……。
そう思うとじんわり涙が出た。クロは、
「ご主人、どうしたんですか。悩み事があるなら、優秀なカウンセラーを今すぐ呼ぶことができますよ」
と、平然と言った。
そうじゃないのに。
そうじゃ、ないのにっ……。
「……っ!」
俺は何も言わず駆け出した。「ご主人!?」慌てるクロをよそに、大豪邸を抜け出すためにひたすら駆ける、そんな内容の初夢を見た。
「どんな初夢!?」
※最初からさっきまで全部が初夢です
叫んで起きたら、クロがうるさそうにこっちを睨んだ。あ、そろそろクロの朝ごはんの時間だ。
「ごめんな、うるさくして。はいはいごはんね」
キャットフードを用意すると、クロはしずしずと食べだした。恩返しとかは……、特に考えてなさそう。
まあ、猫だもんな。
この暮らしがいつまで続くかわからないけど、変わりなく、猫は猫のままでいてほしい。
「そうだよな、クロ」
俺がそう言うと、クロは意味が分からない顔で、ぶしゅ…っと鼻を鳴らした。
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