心の叫び

 小指から溢れる粒状の鮮血を唾液で汚されていく。

 頭を脇に抱えられたボクは、ねっとりとこめかみを撫でられた。


「ん、はぁ。……揃いも揃って、何様のつもりですかぁ?」

「その前に、レンを離してくれない?」

「断ります。わたし達、なので」


 お姉ちゃんは腕を組んで、一歩だけ近づく。


「愛し合ってるですって?」

「見て分かりませんか」

「あたしには、弟が傷つけられてるようにしか見えないわ」


 お姉ちゃんの一言に、「そんなわけないでしょ」と、カリンさんが怒りを含んだ言葉を吐き出す。


 一方で、安城さんは極めて冷静だった。


「堤様。聞いても、よろしいですか?」

「なんですか?」

「あなたにとって、愛するとは、何でしょうか?」


 今にも掴みかかりそうな勢いのお姉ちゃん。

 その隣りに立ち、安城さんは真っ直ぐにカリンさんを見つめる。


「一つになること。それ以外ないですよ」


 依然として、カリンさんは言い続ける。


「なるほど。それは、セックスで済むのではないですか?」

「名前分かんないけど。アンタって、処女でしょ」


 安城さんが苦い顔で、ドリルを落としてしまう。


「ええ。処女です」


 すぐに持ち直し、冷静な顔に戻った。


「やっぱり。教えてあげますよ。セックスって、コミュニケーションですよ」

「は、破廉恥はれんちな!」

「ケイ様。どうどう」


 お姉ちゃん達が押されていた。


「恋人じゃなくてもできる。……まあ、普通は恋人同士でやるものだろうけど」

「ええ。ランもしたいです」


 視線がボクの方に向けられた。


「でも、愛しい人と、本当の意味で一つになれるわけじゃない。愛しい人としかできないことって、あるじゃないですかぁ」


 耳を揉まれて、肩が震えてしまう。

 手を離されたので、ボクは小さく痛む指を口に咥えた。


「……今、レンくんがわたしの唾液を口に含んだように」


 まただ。

 肉食獣のような気迫のある目つきで見下ろされ、ボクは顔を上げれなくなった。


「レンくんを、わたしで満たしたい。レンくんで、私の中を満たしてほしい。そう思うのって、……普通でしょ?」


 お姉ちゃんの目つきが、段々と険しさを増していた。


「なるほど。では、もう一つ」

「……もう、いい加減に」

「以前、付き合っていた方とは、お互いに満たし合う事はできましたか?」


 カリンさんの目が大きく見開かれた。


「……やっぱり」


 安城さんは真顔で近づいてくる。

 でも、その顔には憂いがあった。


「調べたんですか? 趣味が悪いですね」

「あなた、自分の願望が普通でない事をでしょう」

「知った風なことを聞かないで!」


 甲高い怒号が、ボクの鼓膜を揺さぶる。

 声量のある怒鳴り声は、耳鳴りがするほどの余韻を残していた。


 相当、頭にきたのだろう。

 こめかみに添えられた手が、小刻みに震えていた。


「おかしいはずですよ。あなたが、本当にセックスだけを望むのであれば、大半の男にとっては、夢のような存在です。なのに、今はレン様と交際をなさっている。ということは、以前付き合っていた方とは、疎遠になったということ」

「う、うるさい!」


 真っ直ぐに見つめて、淡々と話す安城さんに手が伸びる。

 突き飛ばそうとしたのだろう。

 その手が横から伸びた手に遮られ、安城さんは無事に済んだ。


 カリンさんは肩で息をして、お姉ちゃんを睨みつける。


「ケイ様」

「心配いらないわよ」


 お姉ちゃんが割り込んできたので、ボクは脇にずれた。


、……ですか。話が変わってきましたね」


 眉間に皺を寄せて、安城さんが目線を下げる。

 その目は、少しだけ潤んでいた。


姉弟きょうだい同士でベタベタくっついているより、よっぽど普通じゃない! わたしは、……わたしが、好きな人と一緒になりたいと思うのは、でしょ!」


 最早、心の叫びだった。

 腹の底から搾り出すカリンさんを見て、ボクはさっきまでの恐怖心がなくなっていた。


 目の前にいるのは、孤独な少女だった。


 それは安城さんに以前聞いた、安城さんの生い立ちと重なって思えた。

 普通でない事は、一目瞭然いちもくりょうぜん


 だけど、欲求を抑えれば、抑えるほど、カリンさんは壊れていったんだ。

 少しでも表に出せば、周囲からは『異常者』と呼ばれる。

 事実、ボクだって、カリンさんに対して、同じことをどこかで思っていた。


 理解できない世間は、カリンさんを受け入れられないのだ。


 だから、孤独。


「普通では、ありませんよ」


 安城さんが言うと、カリンさんは俯いた。


「あなたは、異常です。そして、ランも。そこにいる乳牛も」


 細く息を吸い込み、


「だから、ラン達は、……必死なんです。必死に、愛して。絶対に逃がさないように、外堀を埋めるのです」


 俯いているカリンさんに近づき、指に持っていた針を取る。

 カリンさんは目を閉じて、辛そうにしていた。


 お姉ちゃんが手を離すと、一気に脱力して、その場に座り込む。

 拗ねた子供のように、ジッと床を睨みつけて、何も喋らなくなった。


「……今日は、泊まってください。もう、遅いですから」


 そして、膝を突いた安城さんが、カリンさんの頭を抱きしめた。

 ボクはさんざん好きだと言いながら、彼女に何もできなかった。

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