第66話


 なんだか様子がおかしかった2人と別れた俺は、街灯が怪しく照らす地面に視線を落としながらとぼとぼと歩いている。


 時折、光に群がる名も知れぬ虫たちのジジジッという羽音が聞こえてくるが、それだけで、先程までの喧騒が嘘みたいだ。


「……けど流石に、少し疲れたな」


 周りに誰もいないことを幸いに、俺はため息を溢す。けれどそれは、まるで祭りの後のような心地よい疲労感だった。


 と同時に、その余韻がまだ胸に漂っている。


 傍にあった暖かみがふっと消えてしまった、物悲しさにも寂しさに似た感覚だ。それを感じるのは、もしかしたらここ数日。傍に春花がいることに慣れてきているからだろうか。


「あの日から、まだ少ししか経っていないのにな」


 春花に2度目の告白を受けてから、1週間と少し。


 だがその間で色々なことがあった。明日も、春花と共に出かける。


「違ったな。デートか」


 自分で言って、不思議な気分になる。これまでは、春花とまたデートをするなんて考えられなかったからな。


 そんなふうに、この濃密な数日間を振り返っていると、直に近所の公園が見えてきた。


 春花と昔一緒に遊んだ公園で、先日も言葉を交わした場所だ。


「…………」


 その時に自分に問うたもの。俺が春花になにをしてほしいのか。その答えは、まだ出ていない。


 けれど春花と交わした約束通り、2人で頑張っていけば、それもいずれ見つかるだろう。


 だから今度こそ、この約束は果たさなければな。そう強く誓い、俺はなんとなく公園へと足を踏み入れる。


「ん? なんだ、声がするな」


 すると、暗がりが埋め尽くす公園内に、人の声が響いた。女性の声だ。

 

 周りを見回すと、暗くて曖昧だが、ベンチに突っ伏している人影が見えた。


「様子がおかしいな」


 顔を伏せているため、どういった状況化はわからないが普通ではないだろう。具合が悪いのかもしれない。


「あの、大丈夫ですか?」

 

「うっ、うぅぅん……」


 俺は近づき、ぐったりとしている背中に声をかける。吐き気を催すように呻いているから、やはり気分がわるいのだろう。


「おぇ……う、うん?」


 だがその声、そして俺の声に反応して上げた顔には見覚えがあった。俺は不審に思って眉をひそめる。


「……なにしてるんですか、柊先生」


「んぁ? 逢、沢?」


 こんな夜中に、こんな場所でベンチに突っ伏していた女性。


 それは、酔っぱらって顔を赤くした、我らが担任柊先生だった。


* * * * *


「悪かったな、引き留めちまって」


「い、いえ。私も、お話したいことありましたし」


 たっくんが帰ってから、私と龍崎さんはまたお店に入ると、奥のこじんまりとした2人がけの机で向かい合って話している。三井さんが落ち着いて話せるようにと用意してくれたものだ。


「あの、それで、龍崎さんのお話って?」


「ん? あぁ、そうだな……」


 さっき話している時に、皆が帰った後に2人になって話したいと言っていたけど、龍崎さんはどうにも歯切れが悪い。頭を掻いて、申し訳なさそうに言う。


「……まずは改めて、この前は悪かったな。あんなことに巻き込んで」


「え? いえ、その、助けてもらいましたし、そんな……」


 姿勢を正して頭を下げる龍崎さん。たまらず私は恐縮してしまう。


「まぁ、本題はそのことじゃねぇんだけどよ」


 けじめはつけたかったと龍崎さんは言う。


 そして、これでこの話は終わりだといった感じで、今度は頬杖をついて微笑んだ。


「龍巳と、仲直りできてよかったな」


「あ……」


 優しい声で、龍崎さんはそう言ってくれた。心に暖かいものが流れ込んできた感じがして、私は胸に手をそえる。

 

「あ、あの、龍崎さん」


「ん?」


 私も、言わないと。立ち上がって、今度は私が深く頭を下げる。


「その、私、ずっと龍崎さんにお礼が言いたくて……ありがとう、ございましたっ」


「…………へ?」

 

 いきなり立ち上がって頭を下げるものだから、龍崎さんは呆気にとられた声を出す。


「いや、あのな、さっきも言ったけど、俺は気にしてないって……」


「いえ、その、この前のことだけじゃなくて……たっくんの傍に今までいてくれたこと、本当に感謝してて、ずっとお礼が言いたくて。龍崎さんがいなかったら、またたっくんと一緒にいられるなんて、出来なかったから……」


 これまで溜めていた感謝の気持ちを口にする私の言葉を、龍崎さんはただ黙って聞いていた。


「……くっ」


 そうして、私が言い終わって頭を上げると。


「くはっ、ふはははっ」


 龍崎さんは急に噴き出して、お腹を抱えて快活に笑い出した。いきなりのことに、今度は私が呆気にとられる。さっきと立場が逆だ。


「ははは……あぁ、悪ぃな、笑っちまって。けど、まさかそんなことで礼を言われるなんて、思ってなかったからさ」


 目尻に浮かんだ涙をぬぐいながら、龍崎さんは息を整える。


「……ふぅ。ま、そうかしこまんなって。2人が仲直り出来たんなら、俺はそれで満足だよ。もっと自信もって堂々としてな。ほれ、背筋伸ばして胸張って」


「あ……は、はいっ」


「そう。そんで、にっこり笑いな」


 言われて咄嗟に、私は背筋を伸ばして胸を張り、少し強張った笑顔になる。それを見て、龍崎さんはまたおかしそうに笑った。


「そうそう、それでいい。そっちの方が、龍巳もきっと喜ぶだろうよ」


「え? それって……」


「ガキの頃、あいつ言ってたからな。『はるちゃんは笑ってる時が一番かわいい』って」


 にやにやと笑いながらそんな事を言われてしまえば、私は顔を真っ赤に染めて俯いてしまう。


「はは。やっぱ可愛い反応するな。俺もはるちゃんって呼んでいいか?」


「あ、その、出来れば名前で……」


 この歳でその呼び方はちょっと恥ずかしいのでと私はお願いする。


「ま、そうだな。じゃあ、これからもよろしくな、春花ちゃん。俺のことも光でいいよ」


「は、はい。よろしくお願いします。光さん」


 伸ばした手を握り返すと、光さんはにっこりと笑う。お互い言いたいことが言えて、その後はすっきりした表情で何気ない会話をする。


「……なぁ、春花ちゃん。1つ聞きたいんだけどよ」

 

 けれど、楽し気な会話の最中。不意に光さんが真剣な表情になると。


「春花ちゃんは、まだ龍巳のこと好きか?」


「ぶふっ!」


 そんな突拍子もないことを口にする。私は思わず、おかわりで貰ったお茶を噴き出してしまった。


「す、好き?」


「ああ、そうだ。春花ちゃんが今も龍巳のことを好きかどうか。これだけは春花ちゃんの口からはっきりと聞いておきたい」


 混乱する私。光さんは腕を組んで至極真面目だ。さっきまでの楽し気な雰囲気が一瞬でなくなる。


「そ、そんなの」


 ようやく落ち着いた私は、居住まいを正すと、光さんに真剣な眼差しを向ける。


 たっくんを好きかどうかなんて、そんなの決まってる。


「好きです」


「……ふっ、そうか」


 はっきりと言った私の答えを聞くと、光さんは表情を崩した。緊張した空気も途端に緩む。


「なら、龍巳のそばにいてやってくれ」


 そして、穏やかな表情で。声音で。光さんはそう口にした。


「あいつは馬鹿で不器用で素直になれないどうしようもない奴だから、自分の気持ちに気づかないんだろうが……」


 光さんは、そこで言葉を1度ためる。


「昔からずっと、あいつは春花ちゃんのことを1番に想ってる。きっと傍にいてほしいはずだ。だから、これからも昔にみたいに、傍にいてやってくれ」


「……はい」


 少しだけ泣きそうな声で言って、私は頷く。光さんもよかったと頷くと、これで自分の話は終わりだと手を叩いた。


「それで、春花ちゃんは他になにかあるか? 俺の勘だけど、まだ話し足りないことあるだろ?」


「え?」


「だって、ちょくちょく俺のこと、なにか聞きたそうな目で見てたからな。礼がしたいってだけじゃねぇんだろ?」


「あ、えっと、その……」


 私は一瞬躊躇った。


 聞きたいことはあるにはあるけど、この流れで聞いてもいいのだろうか……。


 だけど、今を逃すと聞ける機会も勇気もなくなってしまうかもしれない。意を決して私は尋ねる。


「あ、あの、光さんっ」


「うん?」


「真面目なお話のあとで、これを聞くのは非常に申し訳ないんですけど……」


「なんだよ、はっきり言いな」


「……っ。あの、今日光さんのお部屋にお邪魔した時に……き、清澄女子学園の制服を見たんですけど、あ、あれって……もしかして、光さんは女の子なんですかっ?」


 ……言ってしまった。


 けれど、知りたかったことだ。私は体をこわばらせて答えを待つ。


「ほぁ……」


 光さんはしばらくぽか~んとした後、今日見た中で1番と言っていいくらい大きく噴き出した。


「ぶふっ、ふはははっ。なんだ春花ちゃん、気づいてなかったのか」


「じゃ、じゃあやっぱり」


「ははは。そう心配しなくても、俺と龍巳はそんな関係じゃねぇよ」


 慌てふためいて詰め寄りそうになる私をなだめて、光さんは心底愉快だと笑う。


「あ、あの、それじゃあ……」


 けれど、それを聞いてもなお不安が消えない私は、さっき光さんがしたのと同じような質問をする。


「光さんは、たっくんのこと、どう思ってるんですか?」


「ん? そうだなぁ……」


 光さんは少し考えた後。


「……内緒」


 と、口元に人差し指を当てていたずらな笑みを浮かべた。


* * * * *


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