第42話


 桜井を家まで送り届けたあと。


 といっても隣だが、帰宅した俺を待っていたのは、連絡もなく帰りの遅い俺を心配していた母さんと姉さんだった。


「龍巳っ、どうしたのその格好っ?」


「けっ、怪我とかしてないっ?」


 扉の開く音が耳に届き、2人は速足で玄関まで迎えに来ると、ぼろぼろになった俺の格好を見た途端、血相を変えて駆け寄る。


「あぁ、ちょっとな。車に轢かれかけた猫を助けようとしたら、転んでこうなった」


 あたふたとする2人とは対照に、俺はあらかじめ考えていた嘘を事も無げに口にした。またかと言われそうだが、今はこれしか思い浮かばない。


「ほ、本当?」


「ああ」


 2人を騙すことに対しての罪悪感がとてつもなかった。平然と頷いた裏で、胸を痛める。


「でも、さっき学校から、バイクに乗った人とどこかに行ったって、連絡が……」


「うっ」


 今度は胃が痛くなってきた。こればかりは表情を取り繕えず俺は唸る。柊先生に、明日学校でなにを言われるのやら。


 母さんは俺が嘘を吐いたことを特に咎めることもなく「龍巳、なにか危ないことしてない?」と心配そうに聞いてくる。


「……ああ、大丈夫だよ。悪い奴じゃ、ないから」


 こんなふわっとした『大丈夫』を聞いても不安は拭えないだろうし、納得してもらえるとは思っていない。


 けれど光がいなかったら、俺は居場所もなくずっと1人だった。だから2人がなんと言おうと、俺はあいつとの関係を切るつもりはないのだ。わかってくれと目で訴えてみる。


「……そう」


 ぽつりと溢した呟きに、ごくりと唾を飲んだ。なんと言われるだろうか。


 なにを言われても、覚悟は出来ている。


 母さんはしばらく神妙な表情でじっと俺の目を見ていたかと思うと、ふっと口元を綻ばせて頷いた。


「わかったわ、大丈夫なのね」


「…………え? そんなんでいいのか?」


 てっきり根掘り葉掘り問い詰められるものだと思っていたから、あまりにもあっさりとした反応に、俺は妙な間を空けて、思わず聞き返してしまった。


「龍巳が大丈夫だって言うんだもの。信じるわよ」


 母さんは俺の手を握ると、にこりと微笑み「まだご飯食べてないでしょ? 用意してくるわね」そう言って、リビングの方へと戻っていった。


 残るは姉さんなのだが。


「龍巳、ちょっと来て」


 姉さんはちょいちょいと手招きする。それに従うと。


「むぐっ」


 突然、抱きしめられた。顔が埋もれ、苦し気な声が漏れる。


「もう、心配したでしょ」


「ん、んんっ……」


 俺は空気を求めて身じろぎするが、こうして抱きしめてもらうのは、随分と久しぶりだった。懐かしくて頬が緩む。


 あの頃と同じ温もり。あの頃と同じ優しさ。そして……。


(い、息がっ……)


 俺を窒息させようとしてくる、あの頃とは全く違うやわらかな感触。よくもここまで成長したな。


 視界がぼやけてくる。姉さんのその感触から抜け出せたのは、俺の顔色が酸欠で蒼白になったのに、姉さんが気が付いた頃だった。あれだけの大立ち回りを披露したのに、姉さんには勝てなかったようだ。


* * * * *


 翌日。昨日の1件を聞かれるかもという憂鬱さで、学校に行こうかどうかギリギリまで迷っていたが、足取りは重いが登校することにした。テツとトワとの約束があるし、俺がいなければ締まりも悪いだろう。


 しかし、聞かれてもなにをどう言えばいいのか。なかなかに説明しにくい。


 考えもまとまらず、気が付けば学校にたどり着いてしまった。多くの生徒が今日も勉学に励むため、校門から中へと流れ込んでいる。


「ん? あれは……」


 俺はなにか殺気のようなものを感じ、思考に没頭して俯きがちだった視線をそちらに向けた。


「やっぱり、いるよな。そりゃ」


 俺は肩を落として深くため息を吐く。


 校門前には我らが担任、柊先生が誰かを待つように腕を組んで仁王立ちしていた。


 眉間にしわを寄せ、薄く開いた口からは「ふぅぅ」と白く細い息が漏れ出ている……ように見えた。そんな幻視が出来るくらい大層ご立腹のようだ。


「逃げ隠れ出来そうにないな、これは」


 誰かもなにも間違いなく俺だろう。なぜなら、先生の眼光は真っすぐに俺を捕らえているから。すでに見つかってしまっていた。


 どう切り抜けようか。とりあえず俺は、柊先生の放つ殺気から速足で逃れる生徒の流れに紛れ込んで校門を抜けようと試みる。


「おい、待て逢沢」


 ドスの効いた低い声ですぐに止められた。こんなんで切り抜けられるほど、この先生は甘くはない。


 俺は出来るだけ穏便に済ませられるよう、努めて平静を装い、なに食わぬ顔で挨拶をする。


「おはようございます、先生。朝から精が出ま――」


「御託はいい。単刀直入に聞く。昨日のあれはなんだ?」


「あれ、と言われましても……」


 俺が言い終わる前に本題に入ろうとする先生。苦し紛れではあるが、一応とぼけてみる。


「とぼけても無駄だ。そんなもの通用するわけないだろう」


 やはり無理だ。この人に下手な誤魔化しは通じない。


「で? あれは一体なんだ?」


 しかし馬鹿正直に話しても、はいわかりましたと言ってくれはしないだろう。昨日の蹂躙劇が再び幕を開ける予感しかしない。


 どうすればいい。俺は生き延びるため、脳に全神経を集中させ、上手い言い訳の言葉を探す。


 が、どれを選んでも碌な未来が待っていない。


 腹をくくるしかないのだろうか。俺は口を閉ざして死を覚悟する。


「…………はぁ」


 張り詰めた緊張感が漂う中、先生は突如雰囲気を弛緩させ、仕方がないといった様子で呆れ混じりのため息を吐いた。


「まぁいい。お前にも、色々事情とやらがあるんだろう」


 俺は衝撃で目をかっ開いた。


 こんな簡単に引き下げるとは、拍子抜けもいいところだった。まだほとんど言い訳していないぞ。今の今まで死を覚悟していた俺は、一体……。


「私も、お前くらいの頃はあまり人に褒められるようなことはしていなかったからな。言える立場にない。だから、今回は見逃してやる」


 先生は心底言いにくそうに視線を逸らし、苦虫を噛み潰したような表情で言う。


「そう、ですか……まぁ、ありがとうございます」


 俺は若干引き気味に言う。


 あの先生がここまで言いにくそうにするなんて、一体どんなことをしてきたんだ。


 藪を突けば蛇どころかハリセン担いだ鬼が出てきそうなので聞かないが。せっかく助かったのに、自ら死地に飛び込むこともないだろう。


「まぁ、私の話はどうでもいい」


 先生は脱線しそうになる話を、こほんと咳払いして戻す。


「他の先生方だが、学園長から今回のことは詮索するなと言われているから、心配しなくていいぞ」

 

「じゃあ、なぜ先生は?」


「私は担任だからな。お前が話してくれるならと聞いてみたんだが……まぁ、どうせはぐらかされるだろうとは思っていたよ」


 どうやら逆方向での信頼は勝ち得てたらしい。日頃の行いをかんがみれば無理もないか。


 先生は最後に「話が長くなったな。もうすぐ予鈴も鳴る。遅刻するなよ」と言い残すと、手を上げて校舎へと戻って行った。


 俺はその背中が見えなくなると、ぽつりと呟く。


「……先生の過去か」


 あの先生が俺を見逃し、なおかつあそこまで言いにくそうにする過去。


 大いに気になるところではあるが、見逃してもらえたのに遅刻して説教を食らうのも情けない話だ。


 俺は考えるのを止めて、他の生徒たちと足並みを揃えて校舎へと向かった。


* * * * *


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