第31話
「なんで、あんな夢見たんだろう……」
朝の通学路、小鳥たちが歌声を響かせる中、私はふぅと息を零して歩きながら、昨晩見た夢を思い出していた。
龍崎さんと話した、あの夜の夢。あれからもう1年半も経つ。その間、龍崎さんはずっとたっくんに寄り添ってくれていた。
彼を変えてくれたのは龍崎さんだ。本当に、感謝してもしきれない。
あの人がいなければ、この前みたいに彼と話も出来なかっただろうし、もしかしたら今頃どこか遠くに行ってしまって、2度と会えなくなっていたかもしれない。
だからいつか会って、ちゃんと話をしてお礼が言いたかった。
まだ、あの広場に居たりするのかな。
行こうと思えば、すぐに会いに行ける。
けど、まだなにも解決していない。全部が片付いて、心が軽くなってから会いに行こう。
出来れば、たっくんと一緒に。
急く気持ちを抑えるように胸に手を当て、深呼吸する。落ち着いて、これまでたくさん溢れ続けて宙に散らばってしまった贖罪の言葉をまとめていく。
私は、まわりが気にならないくらい悩んで考えて集中していた。
だからその声が耳に届いたのも、声の主のすぐ近くまで来た時だった。
「んじゃ、また放課後にな」
「わかったから早く行け。委員会の仕事があるんだろう? 遅れるぞ」
「わかってるって。走りゃ間に合うだろ」
「走っていくのはいいが、あまり急ぎ過ぎるなよ。注意が散漫になれば車に轢かれるぞ」
「お前じゃねぇんだから心配すんな」
思考が中断され、私ははっと我に帰る。どこかで聞いたことのある声だった。顔を上げ、歩いていく先に視線を向ける。
1人はそのまま走り去ってしまって、顔まではよく見えなかった。ちょっとだけ制服が見えたけど、他校の女の子だったみたいだ。
そしてもう1人は、今の今まで心と頭の中を占めていた、たっくんだった。
「ようやく行ったか。たく、こんな朝っぱらから付き合わされる俺の身にもなれ。夜も夜だし、お陰で寝不足だ」
眠そうな表情。こらえることが出来ず、目をこすりながらあくびをする。ぶつぶつ口にしている文句から、昨夜は遅くまで起きていたみたい。
ふと私は、彼と一緒にいた女の子を思い出す。
昨日、彼は家に帰っていなかった。
考えたくはないけど、もしかしてあの人となにかあったんじゃないか。さっきのやり取りも、随分と親密に見えた。
(だ、大丈夫。恋愛事に、興味ないって言ってたし……)
その光景を想像すると、ズキリと胸が痛んだ。手を当て、きっと大丈夫。言い聞かせるように、何度も何度もその言葉を反芻する。
ようやくその言葉に自信を持ち始め、こもった不安を吐き出すように息を吐くと、それに気づいた彼がこちらを向いた。
「…………え?」
けれど彼は、いると思っていなかった私に驚いてわずかに目を見開くと、見られたら不味いものを見られてごまかすように、さっと視線を逸らす。
私は、絶句する。
(な、なんで? まさか、本当に……?)
さっきまで必死に考えていた謝罪の言葉と、即興ながらも築き上げてきた儚い自信が崩れ去ってしまった。
状況が飲み込めず、掻き乱された思考が停止する。どう反応すればいいのかわからない。
取り敢えずと、私は乱れた精神状態で彼に朝の挨拶を告げた。
「あ、あの、おっ、おおお、おはようっ」
「……あぁ、おはよう」
恥ずかしい。動揺しているのがまるわかりだ。
慌てふためく私を見て、彼は気まずさ満面の表情で挨拶を返した。
* * * * *
(……まいったな。まさか、一緒にいるところを見られるなんて)
迂闊だった。そういえば、桜井はいつもこの時間に登校していたか。睡眠不足のせいですっかり忘れていた。
それもこれも、あいつの寝相が悪いせいだ。昨晩のことを思い出す。
案の定、悲惨なことになっていた部屋を、文句を言いながらも片づけ、その他家事全般をこなして疲れ果てていた俺は、風呂から上がるとすぐにベッドで寝ようとしたのだが。
「――ぐはっ!」
顔面に落とされた光の踵。その痛みで、俺は悶絶して鼻を押さえる。幸い鼻血は出ていなかったが結構痛い。
文句でも言ってやろうかと、とっくのとうに寝ていた光を叩き起こそうとしたが。
「ぶっ!」
空を切り、かなりの速度で今度は裏拳が飛んできた。たまらず俺はベッドの上でのたうち回る。
そして、鼻を押さえてうずくまる俺を抱きしめるように、光は後ろから首に手を回し。
「うっ⁉」
……そのまま、羽交い締めにしてきた。
「ぐへへ、もう動けねぇだろぉ……」
「ひ、光。起きろ、起きてくれっ。い、息が……」
どんな夢を見ているんだ。光は一切の加減なく首を絞めてくる。
俺は振りほどこうともがくが、思いのほか力が強い。息が止まり、だんだんと視界が霞んできた。
なんとか走馬燈が見える前に抜け出すことは出来たが、その後も光の猛攻を凌ぎ続け、気づけば朝日が上り始めていた。
「うっ……」
思い出したら、幻肢痛のように鼻がじくじくと違和感をうったえてくる。もしや折れたかと、しかめっ面で鼻をさする。問題ない、きちんとくっついていた。
「どうか、したの?」
「あ、いや。ちょっとな」
桜井が隣から遠慮がちに聞いてくる。これ見よがしにおかしな行動をすれば、気になるのも無理はない。ただくだらなさ過ぎて理由は話したくなかった。
「……こうして2人で歩くの、なんか、久しぶりだね」
「そう、だな」
この前は姉さんも一緒だったし、2人でとなると、本当に久しい。成り行きでこうなったが、前に会話をした時に自問自答したのだ。拒んでしまってはまた振り出しに戻ってしまう。
ただ。2人で歩いているといっても、まだ距離はあった。昔みたいに、とはいかない。
お互い、言葉数少なくゆっくりと歩を進める。そんな微妙な雰囲気は、実際よりも彼女との間に距離を感じさせた。
のだが、なにやらそわそわしているな。
やはり、さっきの光景が気になったのだろう。桜井の気持ちを知っているぶん心苦しくなる。
俺が複雑な表情でちらりと見ていると、彼女は意を決して不安たっぷりに尋ねてきた。
「あ、あのさ、さっきの女の子って、誰?」
「……ん?」
誰? 妙な違和感に、俺は首をかしげる。たしか、2人は以前……。
「気づいてないのか?」
「え?」
「いや、なんでもない」
そうか。気づいてないのか。
まぁ去り際だったし、あの時とは格好も雰囲気も大分違う。遠目からだと気づきにくいか。
だが、その質問にはどう答えよう。あいつにも色々と立場というものがあるし、馬鹿正直に答えるのは止めた方がいいだろう。迷った末に、俺は当たり障りのない台詞でごまかすことにした。
「友人だ」
「え? あ、そ、そうなんだ。友達か……」
桜井はそう独り言ちて胸を撫でおろすが、まだなにか言いたげだった。疑っているのだろうか?
「お前が思っているような関係じゃないぞ」
「う、うん……」
なにを言い訳がましいことを言っているんだ。俺と桜井も、別にそんな報告をする関係でもないだろうに。
桜井もまたそわそわし始めたし、らしくない言葉を口走ってしまったせいで、変な空気にしてしまった。
再び訪れた沈黙。お互いに落ち着かない様子で歩く。
「……あ、ここ」
しばらく行くと、不意に桜井が足を止めた。
「ん? ……あぁ」
俺も足を止めて、桜井と同じ場所に視線を注ぐ。目の前にあるのは、見覚えのある公園。昔、桜井と2人でよく遊んでいた小さな公園だ。
懐かしい。見ていると、楽しかった思い出がどんどん溢れてくる。
それと同時に、あの頃にはもう戻れないのだという虚しさも。
桜井は多分、あの頃のようにと思っているんだろう。そんな雰囲気が、隣からひしひしと伝わってくる。
ただ、口をつぐんだままでなにかを言うことはない。
ここぞという時に言葉が出ない気弱さは、あの頃のままだな。なんとなく言いたいことがわかるが、そう簡単にそれを言えれば苦労もしないし、ここまで拗れることもない。
「……なぁ、桜井」
らしくないとはわかりつつも、俺はまたつい口走ってしまう。
「話したいことがあるのなら聞くし、言葉が出ないのなら、お前の整理が付くまで俺は待つ。ただ、こうしておけばよかったなんてどうしようもない後悔、そう何度もするものではないぞ」
言って俺は自嘲した。それは、俺もか。
「すまない。お節介だったな」
「う、ううん……」
桜井は縮こまって頭を振る。
ひどく意地の悪い言い方だったな。俺は決まりが悪くなって、頭の後ろを掻きつつ再び歩みを進める。桜井も少し後ろにおずおずと着いて来た。
「たっくんは……やっぱり優しいね」
「……そんなこと、ない」
優しさなんて、あの日あの時。大切にしていた宝物と一緒に捨ててしまったよ。俺はそう言ってまた自嘲する。
結局。俺が口を挟んでしまったというのもあるが、彼女の口からそれを発せられることはなかった。
もともと謝って欲しいわけではなかったし、さっきも言った通りその時になるまで俺は待つ。
ただ、なら俺はどうして欲しいのだろうな。
もうそんな関係でもないのに、誤魔化したり、言い訳したり、妙なことを口走って、変にお節介を妬いたり。本当にらしくない。どうもして欲しくないのなら、ここまで気になったりはしないはずだ。
だからといって、考えてもその答えは出そうで出なかった。知ってはいたが忘れてしまった。そんな感じ。違和感が胸の中にわだかまってもやもやする。
自分の気持ちすらままならないのに、整理が付くまで待つとは、よくもそんな偉そうなことが言えたものだ。傲岸不遜で尊大な自分を心の中でぼこぼこにしながら、俺は桜井と共に学校までの道のりを進んだ。
もしかしたら、俺はこの時。懐かしさの連続で少し浮かれていたのかもしれない。
俺たちに向けられた、濁ったその視線に気づかないほどに。
* * * * *
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