第12話


「あれは……桜井。それにクラスの連中と……ん?」


 俺はその中の、教師と思わしき女性に担がれている、見覚えのある顔に視線を向ける。柊先生だ。


(何か様子がおかしいな。酔っているのか?)


 赤くなった顔と、ふらついている足取りを見てそう判断する。


 あんなになるまで飲むとは、余程の事があったのだろう。その表情を見るに、あまり良い事ではなさそうだ。


「……まぁ、いいか。それより……」


 俺はひと言。言うべきことがあると思い、そちらに歩み寄る。気づいた彼女たちは何だろうと不安そうな表情になるが、構わず視線を厳しくして詰め寄った。


「お前たち。こんな時間に出歩くなんて感心しないな。ここら辺は治安があまり良くない。わかったらさっさと帰れ」

 

 夜の繁華街など、健全な高校生なら出歩くところじゃない。ガラの悪い奴や怪しいセールスマン風の奴がそこら中にいる。何かあってからでは遅いのだ。


 そういう意味で俺は忠告したのだが、俺の心配をよそに、クラスメイトたちはジト目を送ってくる。そういうのが好きな奴には嬉しいかもしれないが、俺にそんな趣味は無い。やめてくれ。


「……ねぇ、ちょっと」

 

 静かに。しかしわずかな怒気を含んだ声を出しながら、俺とクラスメイトたちの間に、先程の教師らしき女性が入ってきた。その女性は、こちらを訝しむような目で見ている。


「あなたも、桐生ヶ丘の生徒?」


「ええ、そうですが……あなたは?」


「私は1年A組担任の、星宮真琴よ。さっきの台詞なんだけど……あれ、私が言うべき台詞よね?」


「別に誰が言っても変わりないのでは? 気づいた人間が言うべきでしょう」


「じゃなくって! こっちあなたそっちに言うべき台詞だって言ってるのっ!」


 星宮先生は鼻息を荒くしながら俺を睨んでくる。


 自慢にもならないが、別にこの時間帯にここら辺を出歩くのなんて慣れたものだから、忠告など不要なんだがな。


 そう言おうかと迷っていると、不意に星宮先生の隣からうめき声のようなものが聞こえてきた。


「……うぅ、逢沢ぁぁっ」


 酔いつぶれている柊先生の声だった。そういえばいたな。完全に忘れていたと、俺は先生のみっともない姿に目を向ける。


 先生は酔って赤くなった顔をこちらに向けると俺の手を掴んで、人でも殺しそうなくらいの殺気を放ってきた。


(だから、教師が生徒に向けるものではないだろう)


 そんなことを思いながら、俺は掴まれた手をピシッと払いのけて「先生が2人もいるなら安心だな。では、また明日」と、その場にいた全員に適当に言い残してこの場を立ち去ろうとする。このままここに居続けたら、絶対に面倒なことになりそうだった。


「……って、ちょっと待ちなさい!」


「やっぱり駄目か」

 

 流石に、あれで見逃してはくれないらしい。星宮先生は俺の腕を取ると、体をそちら側へと向けさせる。


「あなたが逢沢くんね。柊先生から、色々と話は聞いてるわ」


 どんな話だ。


「あなたも高校生でしょ! 送っていくから、一緒に来なさい」


「いえ、俺はこの時間にここらを出歩くのは慣れていますから、1人でも大丈夫です」


「んなっ!? ちょっと、今聞き捨てならないことを――」 


 そんな茶番のようなやり取りを繰り広げていると、後ろに控えていたクラスメイトたちの中から桜井が「あの……」と小さく声を出し、おずおずとした様子で出てきた。


「たっくん……その、危ないし、皆と一緒に帰ろ?」


「いや、それは……」

 

 まさかそう言われると思っていなかったから、俺は狼狽える。

 

 見れば後ろでは、クラスメイトたちが何か期待するようにそわそわしていた。なんなんだ、一体。


「夜、遅いし、やっぱり1人だと、心配だから……」


「……心配しなくても、大丈夫だ。俺のことは気にしないで、お前は星宮先生に送ってもらえ」


「あの、あなたも送るって言ってるんだけど……」


 星宮先生が話に割り込んでくる。言いたい事もわかるのだが、こっちにも事情というものがあるんだ。ちょっと黙っていてくれ。


 クラスメイトたちも、空気を読めと、無言の抗議を目で放つ。それを向けられた星宮先生は「うむぅ……」と黙り込んだ。


「とにかく、俺は1人で帰れる。お前は皆と一緒に帰るんだ」


「で、でも……」


「いいからっ!」


 思わず声を張り上げてしまった。その場の全員が、驚いた顔をする。

 

 自分でも、らしくないなとは思う。だが桜井といると、どうしても思い出したくもない事を思い出してしまう。それが嫌だった。


「皆と、帰ってくれ」


「……うん、わかった」


 お互い、それ以上は何も言わなかった。沈黙し、ただ重たい雰囲気がその場に漂う。その空気に、ようやくなにかあると察したのか、星宮先生が「わかったわ……」と渋々言った。


「事情はわからないけど、今日はもういいわ。この子たちは私が送っていくから、あなたも気を付けて帰りなさい」


「わかりました。皆を、よろしくお願いします。それから……あそこで倒れている、柊先生も」


「あ……」


 視線の先には、路上に倒れて寝ている柊先生の姿があった。恐らく、星宮先生が俺の腕を取った時に誤って落としてしまったのだろう。


「すぅ……すぅ……」


 柊先生は気持ちよさそうに寝ている。先程までの殺気はなりを潜めていた。


「なんか、ごめんなさい」


「いえ、それは別に」


 なんとも居たたまれない空気が間に流れる。


 その後、星宮先生は去り際に「気を付けてね」と言い残して、皆を連れて駅の方へと歩いて行った。


「さて、結構時間を取られたな。俺もそろそろ帰らないと、今日中に帰れなく……ん?」


 家の方向へ足を向けようとした時。駅へと向かう皆の背中に、3人組の男たちが視線を送っていることに、俺は気が付く。


「なぁ、あそこにいる子たち」


「あぁ、結構可愛いな」


「声かけるか?」


 男たちは口元を歪ませ、下卑た笑みを浮かべている。間違いなく声をかけるだけでは済まないだろう。


 俺は、襲われているクラスメイトや先生達。


 そして、桜井を想像する。


「……ちっ」


 反吐が出る。軽く舌打ちをした。


「不愉快だな」


 胸糞悪い。そんな不快感を抱きながら、俺は男たちに声をかけた。


「おい、そこの3人組」


 いきなりかけられた男の声に、3人組が振り向く。


「あ? なんだ、この餓鬼」


 その内の1人が、指をポキポキと鳴らしながら近づいてきた。品定めを邪魔されたからだろうか、明らかに年下の男に生意気に呼びかけられたからか、その顔には不機嫌さがこれでもかと滲み出ていた。


「……はぁ。これは、今日中に帰れそうも無いかもな」


 声をかけた時点でこうなると覚悟していたが、仕方がない。


 母さんとの約束を破ってしまうなと、俺は小さくため息を吐いた。


* * * * *


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