第11話


「……たっくん」

 

 今日、久しぶりに会った彼の顔を思い出し、小さく名前を呟く。

 

 あの頃よりも、大分落ち着いた表情になっていた。きっとあの人。龍崎さんが傍にいてくれたからだ。


 そのことに安心して、けれど今、彼の隣にいるのが私ではないことが辛くて。


 我ながら、随分と自分勝手だと思う。彼を傷つけたのは、私なのに。


 そんな気持ちでいると、それが表情に出ていたのだろう。先程のクラスメイトの子が声をかける。


「桜井さん、どうかした? なんか、元気ないけど」


「えっ? あ、なっ、何でもないよ。大丈夫……」


 気丈に手を振って誤魔化す。声をかけた子は、こてりと首をかしげるけど、それ以上は追及してこなかった。


「そういえば桜井さん。学校にいた時から気になってたんだけど、その手首にあるのって、ミサンガだよね」


「う、うん……」


 頷いた私に、彼女は何が面白いのか、ニヤニヤした顔を向ける。


「桜井さんって、もしかして左利き?」


「そ、そうだけど」


 探るような様子に、少し警戒して身を引く。


(それがどうし……あっ!)


 そして答えた後。そのことに気づいた時にはもう遅かった。その子は考えを巡らせ、確信に至る。


「利き手首にピンク色のミサンガ……これって、もしかして?」


「い、いや、その、ち、違うからっ!」


「うっそだ~。相手はやっぱり、逢沢くん?」


 図星をつかれ、私は声にならない悲鳴を上げた。顔を赤らめて俯く。そんな様子、もう認めているようなものだった。周りの子たちは「きゃー!」とか「かわいいー!」などの黄色い声を上げ始める。


 そうしてひとしきり騒いだ後、彼女たちは笑顔を向けて言ってきた。


「桜井さん、私たち応援するよ!」


「……うん、ありがとう。でも大丈夫。多分、無理だから……」


 暗い顔をする私に彼女たちは「そんなことないよー」「大丈夫だって!」と優しい声をかけてくれる。けど、その言葉の数々が、私にとっては胸をえぐるように辛い。無理なものは無理なのだ。今の彼に、きっと私の想いは届かない。


「本当に、大丈夫だから……」


「……そっか」

 

 私のその態度から、何か事情があると悟ってくれたのだろう。それ以上、この事には触れないでくれた。その気遣いが今は、ありがたい。


「ごめんね。空気、悪くしちゃった……」


「ううん。私たちも、ちょっとはしゃぎすぎちゃったね」


「……ありがとう」


 私は薄く微笑む。彼女たちは、きっと友達想いの優しい人たちなんだろう。


 それなのに私は、帰りたいだとか、乗り気じゃないなんて。


 あの頃と同じ。結局、自分のことばかり。


 こんなんじゃ、彼の隣にいたいなんて到底……。


 自嘲気味にそんな事を考えていると、そこにいた全員が、後ろから声をかけられた。


「あなた達。その制服、桐生ヶ丘の生徒でしょ。こんな時間に何してるの!」


 大人の声だった。叱りつけるような台詞に、全員が驚く。


 声のしたほうを見ると、真っ赤なショートボブの髪に、黒いスーツ姿の女性が、少々厳しい視線でこちらを見ていた。そしてその隣には。


(あれ? この人、見覚えが……)


 そこには1年B組の担任。柊早苗先生が、声をかけた女性に肩を貸されていた。


 すぐに気づかなかったのは、柊先生は酔っぱらているのか顔が赤い。足取りもかなりふらついていて、学校で見た厳しくも凛々しい姿とは、印象が大分違っていたからだ。


 耳をすませれば「逢沢めぇぇ……」と、うめき声が聞こえる。


 ……全員、言葉が出なかった。


 たしかしHRでの事を思えば、先生も飲みながら誰かに愚痴を語りたくもなるのだろうと、皆納得する。


「あ、あははは、ごめんなさいね。あなた達、1年B組の子たち?」


「あ、はい。そうですけど……」


 女性は柊先生を見て、少々バツが悪い表情になり頬をかく。


 そして私たちに向き直ると、表情を崩して自分の名前を口にした。


「私は1年A組担任の星宮真琴ほしみやまことよ。体育の担当だから、あなた達の授業も観ることになるわね。これから1年、よろしく」


 星宮先生の言葉に私達は、声を揃えてよろしくお願いしますと言った後、頭を下げた。


 それを見て星宮先生は「はい。よろしくお願いします」と軽く頷いてから、少し真剣さを帯びた声で「それはともかく……」と続ける。


「高校生がこんな時間に出歩くなんて、感心しないわね。今何時だと思ってるの?」


 時刻を見ると、すでに22時になっていた。確かに高校生が出歩くには遅い時間だろう。


「高校生になってはしゃいじゃうのもわかるけど、あまり度を過ぎないように。今日は特別に見逃してあげるけど、次は無いからね、わかった?」


 注意する星宮先生に私たちは「はい」と返事をする。星宮先生はそれを見ると「よろしい」と橋上を崩して頷き、それから「皆、家まで送るわよ」と言った。


「いいんですか? 」


 クラスメイトの1人が、申し訳なさそうに尋ねる。


「生徒の安全を守るのも、教師の仕事ですから」


「で、でも……」


「いいのよ。あなた達に何かあったら、そっちの方が大変だもの」


「いえ、あの、そうではなく……柊先生が」


「……あぁ」

 

 そこにいる全員が柊先生に視線を向ける。未だに「なんで私がぁぁ……」などと、恨み言を呟いていた。余程癇に障ったのだろう。


「ま、まぁ、柊先生もしばらくしたら元通りになるわよ。一緒に連れて行くわ」


 星宮先生は、口元を引くつかせながら、柊先生の肩を担ぎ直す。そういうことならと、皆も送ってもらうことに賛成しているようだ。


「じゃあ皆、私から離れないようにね」

 

 先生はまず、電車通学の子たちを先に帰そうと、駅の方へと足を向けた。私たちもそれに続くよう歩き出す。

 

 すると、駅の方からこちら側へ、見覚えのある少年が歩いて来るのが見えた。何をしていたのか、少々疲れたような足取りで歩いていた。


 私は思わず「…………あ」と声を出すと、先程まで頭の中で思い浮かべていたその少年の名前を呟いた。


「……たっくん」


* * * * *


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