第320話
女子の試合が始まって五分、すでに点差は開きつつあった。
リードしているのはもちろん、涼太たちのクラスだ。
紗千夏が女子バスケ部の部長である事を知っている者はいるが、その実力がどれほどなのかを知る者は少ない。
彼女がエースだと話に聞いた事があるとしても、女子バスケ部がそもそも強豪とは言い難い。
だからこそ、対戦するクラスも侮っていた。
それが間違いだったと気付くのに、一分とは掛からなかっただろう。
勝つつもりで試合をしてはいるが、だからと言って全力を発揮しているワケでもなかった。
紗千夏にしてみればパスの必要もなく、一人でボールを運んでシュートを決めるのは造作もない。
だがそれでは球技大会の意味がないと考えるのが紗千夏だ。
ボールが集まるポジションではあるが、そこからチームメイトにちゃんとパスを出し、シュートを打たせる。
ディフェンスもフォローに入るばかりではなく、声掛けをして自主的に動くよう促していた。
それでも試合を圧倒出来るのは、紗千夏の指示が的確だからだ。
加えてチームメイトには空木なゆたもいる。
単純な運動能力だけで言えば、エースが二人揃っているようなものだ。
とは言えなゆたは個人技で点を取るような事はあまりせず、ボールを上手く捌けないチームメイトのフォローに回っている。
直接点を取りには来ないが、十分すぎるほどディフェンスを引っ掻き回していた。
そんな紗千夏たちに対応出来るハズもなく、試合は終始優勢なまま進んで行った。
「いやもう、わかっちゃいたけど……」
凄すぎて他の言葉が見つからないと、涼太は笑う。
紗千夏の試合を初めて見るクラスメイトたちも、これには盛り上がっていた。
いや、クラスメイトだけではない。
会場全体が少しずつ気づき、視線が集中し始める。
天城紗千夏という少女のプレイに。
そんな中、紗千夏は今までにないテンションで試合に臨んでいた。
これまで何年もバスケをして来て、こんな気持ちになったのは初めての事だ。
勝敗にはそれほど興味がない。頓着がない。
プレイは真剣そのものだが、彼女の中心にはどこか空っぽな部分があった。
勝てば嬉しいが、負けても悔しさはない。
そんな歪さが天城紗千夏にはあった。
自分のためにも、チームのためにも絶対に勝つという意思は持てず、なのに愚直に最後までプレイをし続ける。
負ける事を悔しいと思わないからこそ、どれほど点差が付いても諦める事がない。
それが天城紗千夏という人間だ。
本人ですら自覚していない歪。
だが今日、初めて紗千夏は明確に勝つと意志を持った。
それは自分のためではなく、誰かのため、クラスのため。
何より、在原涼太のために。
負けて悔しいと語った少年に、ずっと空っぽだった彼女の中心が満たされた。
火を灯したと言ってもいい。
――必ず勝つ。
その意志が彼女を更なる高みへと導いたのか、コート上がいつも以上によく見えていた。
同じ女子バスケ部の仲間ですら見た事のない、天城紗千夏の真骨頂。
それに引きずられ、空木なゆたは動いてしまう。
こんな遊びで目立つのは間違っているとわかっているが、手を抜けない。
もとよりなゆたが手を抜けば紗千夏には見抜かれる。
小言を言われるのが面倒なので、適度にやるつもりではあったが、完全に予定外だった。
一回戦は当然勝ち、そのままどんどん勝ち進んで行く。
涼太たちのクラスは女子バスケ部を除き、午前中に全て敗退してしまった。
当然、トーナメントを上がって行くにつれ、観戦する人数も増えていく。
試合をするクラスだけではなく、暇を持て余した生徒たちも集まっていた。
「マジで決勝まで来たな」
「敵は取るって言ったでしょ?」
「だな」
決勝戦に向かう紗千夏はそう答え、得意げに笑みを浮かべる。
「さっき見てた感じ、相手の三年、強そうだったけど」
「スタメンの先輩いるし、運動部も揃ってるっぽいからね。ま、順当な決勝って感じ」
「楽しそうだな」
「うん。なんかね、うん」
上手く言語化出来ずとも、その笑みが物語る。
「でもま、勝つから、応援よろしく」
「おう」
コートに紗千夏たちが入った瞬間、体育館が揺れる。
体育館には入りきらないほどの生徒が集まり、決勝を楽しみにしていた。
例年なら女子バスケの試合にこれほど人が集まる事はない。
同時に男子バスケの決勝もあるので、そちらに注目するのが通例だ。
だが今年は違う。
一回戦から圧倒的なプレイで勝ち進む紗千夏たちは、すでに学校中の噂になっていた。
クラスメイトだからこそ優先的に応援席を確保出来るが、そのルールがなければ涼太は決勝戦を観戦出来なかっただろう。
クラスが一丸となって応援する中、紗千夏は一切疲れを見せず、生き生きとプレイしていた。
他のチームメイトはさすがに疲労しているが、なゆただけはついて行く。
そんな二人のプレイは他クラスの生徒をも魅了し、引き込む。
結果はもちろん、優勝だ。
他の競技は成績が振るわなかったので、総合トップ3にも入れなかったが、クラスは大盛り上がりだった。
試合を終えた紗千夏は、どうだと言わんばかりの笑顔を見せる。
そんな紗千夏に涼太は、幼い少年のような無邪気な笑顔で応えた。
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