第21話

 楽多堂に、セイガが着いたのはもう夜も回った頃合いだった。

 この日は朝から降り続く雨と、この季節にしては寒いのとがあって、店の方はもう閉めてしまっていた。

 それでもセイガが来たのは、店主にどうしても聞いて欲しい事案があったからだ。

「…よく来たの」

 ドアを内側から開け、乾いた苦そうな声で上野下野は彼を向かえた。

 既にユメカのことは聞き及んでいるらしい。

「こんな夜分に、すいません」

「そんな顔で謝るものじゃあない、儂もだいぶ酔っているんでお前さんの話にきちんと対応できるか不安じゃが…お互い様じゃろ」

 セイガは濡鼠だった。

 一日中降る雨の中、方々を駆け回っていたからだ。

 途中から雨具を羽織ってはいたが、心も体も冷え切っていた。

「まずは風呂にでも入るか?着替えは儂ので充分じゃろうし」

「お言葉に甘えます…一度落ち着かないとダメですよね」

 改めて自分の姿をみる…あまりに情けない…心も体もボロボロだ。

「あと、すまんが少し静かに頼む、儂はカウンターで少し仕事をしておくから気にせずゆっくり入りんさい」

 廊下をそろりと進みながら手招きする、応接間から明かりと人の気配がする。

(誰か…いるのか)

 セイガは無言で浴室に入ると、今日はじめて…温かいものに触れた。


 店主はカウンターの自分の定位置に腰かけると、目の前の機械…ノートパソコンを立ち上げた。

 彼は仕事と呼んでいるが、それは店に関する作業ではなく、これを使って文筆活動をすることだった。

 セイガを待つ間、心を落ち着かせるのも兼ねて今の心情などを書き残すつもりだったのだ。

 だが、どうにも文章に出来ない…書いては消し、モニターから天を仰ぐ…やはり想像以上に自分も傷ついていることを店主は自覚した。

「それは…ぱそこんという物でしたよね?」

 いつの間にかセイガがバスタオルを手に、スエット姿に着替えて戻ってきていた。

 以前、このパソコンでゲームをさせてもらったりしたのだ。

「ああ、儂の今の武器じゃよ…なんてな」

 目の前のキーボードをカチカチと叩くでもなく軽く指で鳴らしながら店主は答えた。

「情報を引き出したり、整理するのにも便利だからのぅ…さてそれじゃあ何から話をしようかの?」

 セイガは少しは落ち着いたのか、予想より弱ってはいないように店主には見えた。

「まずは…今日一日の行動から推察した俺の考えを聞いて貰えないでしょうか?」

 ヤミとホムラのこと、深淵のこと、以前店主がヤミの知り合いだと聞いていたから、そして自分よりも確実にこの世界の理を知っているだろうからこそ、セイガは店主に話を聞いて欲しかった。

 本当はレイチェル先生にも報告したかったが、彼女は額窓ステータスに出なかった上、彼女がどこに住んでいるのかも知らなかったので店主ひとりになったわけだ。 

 自分の想像も交えながら、店主に幾つか分からない点を聞かれながら改めて話してみると、現状がハッキリするようでいて、しかしながら無理無謀な話にも思えて…セイガは薄く笑った。

 …

「なるほどのぅ…それなら確かに可能性はゼロではないのかも知れん」

「本当ですかっ」

 否定されると思っていたので、セイガは思った以上に大きな声が出てしまった。

 店主が指を立て冷静を促す。

「…静かにの、ひとつ儂から言えることは『このワールドに於ける死』の概念についてじゃ」

「死…ですか」

 ごくりと、唾をのむ。

「すでに感じているかもしれんがの、儂がここに来て…そうじゃな500年くらいが経つが…ここに再誕した人間はそう簡単には死なない。何故なら寿命が無いのじゃ」

「不老不死…ということですか?」

「いや、身体の成長は望めば行える、老衰もな、しかしそれはあくまで望めばの話でここに来たものは最初の姿のままずっと生きることが可能なのだよ」 

 それは感じていた、店主もレイチェル先生もかなり昔からこの世界にいるとのことだが、容姿と滞在年数に違和感があったからだ。

「ワールドでも2世、3世と子孫は増えていくが…死ぬ人はかなり少ない…まあここは元々人口はそう多くない世界じゃ」

「そうなのですね」

 確かに前に見た枝世界の人口に比べたらワールドはそこまでではない。

「病気や怪我も大抵のことでなければ治せる」

 学園の戦闘訓練中に、致命傷をうけた人を見たが、次の訓練では何事もなかったように復帰していた。

 ユメカ、ルーシアと3人で燃える木の森に行った時も最悪レイチェル先生に連絡を取れば死亡することはないのではと考えていた。

「不慮の事故だったとしても、本来ならどうにかなる場合が多いのじゃ…だが確かにこの世界でも『死』は存在する、例えば自殺とかな」

「ユメカが…死を受け入れたと?」

「んにゃ、あの娘は繊細だが周りに悲しむ人を残して消えるようなことはしないじゃろう」

「はい、俺を庇った時も自分から死のうなんて…絶対思ってない」

 それだけは断言できた。

「それから、人を生き返らせるのが何故これほど困難か…分かるか?」

 店主が急に話を変えた。

「ええと…それは死んだらそれで終わりだから」

「それはお前さんの知っている世界での話じゃよ、このワールドでは無から有を生み出せる、人によっては『真価』の力で生物も造れるからユメカさんの姿をそのまま再現することも可能じゃろう」

 信じられない話だが、上野下野が言うのなら事実だろう。

「だが、ユメカさんを構成する物質を作り直したとして、それが命を持って動いたとして…それは本当に彼女なのか?」

 そこでセイガは思い出した。

「魂…ですか」

「そう、体は再生できても心や思い出、培ってきた経験や能力…それらいうならば魂を元に戻せなければ生き返ったとは言えない…そしてそれは膨大な情報量であり消失した場合復元など可能なのかさえ分からない。だからこのワールドであっても人が復活するという事例が殆どないのじゃよ」

「待ってください、じゃあ全くない訳じゃないのですか?」

 セイガはなによりそれを知りたかった。

「ああ、魂さえ無事なら人は再び生きることができる、儂もその光景を目の当たりにしたよ」

「それじゃあ…」

 セイガは自らの頬に熱い涙を感じた。

「ただし…ユメカさんの魂が本当に無事なのか、それは分からない」

「はい…でも俺が絶対に見つけます」

「限りなく不可能に近いぞ」

「それでも、俺は…最期まで諦めません」

 どんなに不安でも、焦っても、心が押しつぶされようとも…セイガは前に進みたい…そう思った。

 だが、途端に絶望感が押し寄せて自分を流してしまうのも感じた。

 身体が大きくふらつく。

「…大丈夫か?」

「っ…あまり…大丈夫ではないです…心が死にそうになります」

「…それだけ失ったものが大きいんじゃ…そう簡単に立ち直れはしまいよ…だが現状…お前さんだけが頼りじゃ」

 店主は断言した。

「ヤミがお前なら…と言ったのだろう?かつて儂が見たというのはヤミが人を復活させた光景だからな」

「やはりヤミにはそんな力が…」

「深淵、というのは儂も知らん。しかしヤミとホムラが儂らの預かり知れない強大な力と謎を秘めているのは事実…ならば」

「そうですね」

 セイガは決意を新たに、上野下野と今後の話をした。

 それは…


「あえ?どうしてここにセイガきゅんが?」

 セイガが振り返ると、そこにはレイチェルが立っていた。

 しかし何だか様子がおかしい。

「レイチェル先生…どうしてここに?」

「あー、ええとな」

 店主がやや狼狽うろたえながら説明しようとすると

「う…え…」

 よろよろと近付いた彼女はひしとセイガを抱きしめた。

「え?え!?」

 セイガはいたく困惑した。

 温かい、彼女はセイガの胸元に顔を埋め。

 やわらかい、彼女の何かが押し付けられた。

「わらしでは…きみたちを助けられなかったかもしれない…」

 そして近くで息をして気付いた、レイチェルからお酒の香りも混ざっていることを…おそらく先程応接間で感じた気配は彼女だったのだ。

「ええと随分とお酒を飲まれたようですが大丈夫ですか?」

「らいじょうぶじゃないわよぉ、今日ほど自分の無力さを悔やんだ日はないわ、それでも…セイガ君が生きていてくれて…よかった」

 さらに力強く抱き寄せる…先生の手の震えが伝わる。

「先生…」

 同時に自分たちを心配してくれる皆の想いを強く感じたのだった。

「今夜くらいは許してやってくれ…ずっと完璧な教師を実行していくのは大変だろうからのぅ」

 心配してくれたもうひとり、店主がそう付け加えた。

「あによぅ、こーずけは何の役にも立たなかったじゃない」

 籠れた声がする、胸元でモゴモゴされるとくすぐったい。

「レイチェル先生…ありがとうございます」

 セイガは…まだ自分が生きていていいのだと、思うことができた。

 ぷはと顔を上げ、艶やかな瞳でレイチェルはセイガをみつめた。

「あやまらないで」

「セイガは謝っとらんよ?」

 店主がツッコミを入れる。

「こーずけは謝って」

「サーセン」

 レイチェルは少しだけ酔いが醒めたのか真面目な表情で額窓を開きながらセイガに告げた。

「でも聞いて、私ではダメかもだけど、今さっき一番頼りになる人にようやく連絡が取れたの…なかなか捕まらない人なのに」

 どうやらその連絡で彼女は起こされたらしい。

「あの人なら…」

「あの人なら?」

 まさか別の解決手段があるというのか、セイガは藁にもすがる想いで挙げていた両手をレイチェルの肩へ付け少しだけ引きはがす。

「…おやすみぃ」

 しかし安心しきった柔らかい笑みのまま、レイチェル先生は爆睡したのだった、気もそぞろなふたりをすっかりと置いて…

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る