エピローグ

 気づいたら、真っ白な広い空間に立っていた。

 感覚的にいつもの夢だとすぐにわかったけど、いつもは真っ暗な部屋でモニターのような薄い膜が目の前にあったのに、今回は何もない。モニターどころか、部屋の果てすらわからなかった。

 初めての展開に首を傾げていたら、「こんにちは、杉村詩織さん」と、いつの間にかそばに立っていた女性に声をかけられた。


「貴女は……」

「あ、覚えてくれてます?『未完成ラプソディ』の脚本担当でーす」


 いつかの即売会で差し入れを渡した、あの女性に間違いなかった。

 っていうか、軽っ! 前世で会った時は、もう少しお淑やかな印象だったのに、なんだこのノリの軽さは。もしかして、こっちが本性か。

 色々とツッコミどころはあるが、この人の性格については保留だ。それよりも、聞きたいことが山ほどある。


「なんで貴女がここに?」

「えっと、私は作者本人というわけではなくて、作者の未練が形になった存在なんです」

「未練……って、どんな?」


 答えになってない返事だったけど、それよりも『未練』という言葉が興味を引いた。『未完成ラプソディ』は、同人ゲームとしては、かなり優秀なゲームだ。ボリュームも十分、美麗な絵と爽やかなストーリーで百合オタの心をガッツリ掴み、売り上げも良かったと聞いている。

 そんな大成功ゲームに未練などあるのだろうか。


「私の未練はね、脚本の全てを表に出せず、二人の少女を救えなかったこと」

「脚本の全て……って、まさか!」

「ええ。出せなかった脚本は、二人のヒロインの救済の物語。──主人公は『杉村詩織』です」


 脚本担当の彼女の言葉に、膝から崩れ落ちそうになった。

 まさか、そんな。私は自力で脚本から飛び出せたと思っていたのに、実はそれすら脚本の範囲内でしかなかったってこと?


「本来は、島本葵と三人のヒロインによる物語を全てクリアした後、主人公を杉村詩織に変更した救済の物語があったはずなんです」

「救済の物語……?」

「ええ、コンプレックスで自信を喪失したこはると、美しさゆえに妬みにさらされる紗良の二人のヒロインが、詩織に救われる物語です」


 つまり、詩織×こはる、詩織×紗良のルートということか。本来の『杉村詩織』が二人を救うなんて想像できないけれど、作者本人が言うのならあったのだろう。


「なんで表に出なかったんですか?」

「主にボリュームが大きくなりすぎるってことと、葵が主人公の話で綺麗にまとまっているんだから、それを根底からひっくり返すような詩織主人公の脚本はいらないって、サークルメンバーに却下されちゃいました」

「あー、まあ、そうですよね」

「ええ、私も納得はしてるんです。でもね、ゲームできちんと救済出来なかった彼女たちへの申し訳なさが、ずっと未練として残ってまして」


 こうして亡霊みたいに出てきちゃいましたなんて、あっけらかんと笑うものだから力が抜けてしまう。結構、衝撃的なことを言っているはずなのに。


「だから、貴女が彼女たちを救ってくれて、すごく感謝してるんです。本当にありがとうございます」


 腰を直角に折り曲げ、深々と頭を下げる未練さんに、どう返事をして良いものなのやら。

 だって、結局私はこの人の脚本の上で踊っていただけなのだから。孫悟空がお釈迦様の掌から飛び出せなかったように、私もまた彼女の脚本から抜け出せなかった。

 それはつまり、紗良とこはるを救ったのは脚本担当の彼女ということだ。

 だから私にお礼を言う必要なんてないと、そう伝えたところ、目の前の女性は呆れたように言った。


「私の脚本に、二人まとめて救われるようなルートはありませんよ」

「……え?」

「それぞれのルートで、片方だけが救われます。更に言わせてもらうと、詩織主人公での紗良ルートはまったく恋愛していません。友情エンドです」

「…………えっ!?」


 百合ゲーなんだから、てっきり恋愛するものだと思っていたら、まさかの友情エンドでした!? それに、二人ともが救われるルートはなかったってことは、こはるルートでは紗良が救われず、紗良ルートではこはるが救われなかったってこと?

 二人ともと親しくなった今では、それはすごくいやな話だ。


「つまりね、貴女が紗良を好きになった時には、とっくに私の脚本なんて飛び出していました。残っていたのは設定だけです」

「そう、だったんだ……」


 あんなに原作の脚本に怯えていたのに、散々悩んだあの時間は何だったんだ。私が勝手に気にしていただけとはいえ、出来ればもっと早く教えてほしかった。

 じゃあ、私のこの恋心はちゃんと私自身のもので、紗良がくれた言葉も脚本に縛られていない心からのものだって、信じていいんだよね? 疑っていたわけではないけれど、お墨付きをもらえたことで、ほっと胸を撫で下ろせた。


「二人ともが救われて、本当に嬉しいんです。作者にとってキャラクターは子供みたいなものだし、やっぱり幸せになってほしいですから。もちろん、貴女にも」

「私は幸せですよ、貴女が生み出した世界一素敵な女の子が一緒ですから」


 ふふっと微笑み合い、握手を交わす。

 なんとなく、彼女とはこの先もう会うことはないだろうと思った。

 ここからは、今まで以上にこの人の脚本の外の人生を歩んでいくのだから。


「さようなら」

「ええ、お元気で」


 少しずつ視界が白く染まっていく。

 薄れゆく意識の中、手を振る彼女の笑顔が見えた気がした。



※ ※ ※ ※ ※



 ゆらゆらと波間を漂い、浅瀬に押しやられるような感覚で眠りから覚めると、見慣れた自分の部屋ではなかった。

 まだぼやける視界を動かすと、少し下に明るい色の艶やかな髪が目に入った。そして、その髪の持ち主が私を抱き枕にして眠っている姿も。

 残念ながら、胸に顔を埋めるようにして眠っているため、寝顔は見えない。苦しくないのかと思うけれど、聞こえてくる寝息は規則正しく健やかだから大丈夫なのだろう。


「寝息まで可愛いのね、紗良」


 そっと頭のてっぺんに口づけて、サラサラの髪を撫でながら、さっきの夢を思い出す。

 わざわざお泊まりの日の夢を選んで現れたのは、彼女なりに気を遣ってくれたのかもしれない。あの夢を見た後、もしひとりで目覚めていたら、きっと紗良に会いたくて仕方なくなっていただろうから。


「ぅう~……」


 指通りのいいまっすぐな髪を飽きることなく撫で続けていると、胸元で小さくうなる声が聞こえた。額を胸元にぐりぐりと押しつけ、ぎゅうっと抱き枕(私)を抱きしめてから、ようやく眠そうな顔を上げる。まるで小さな子供のようなその一連の仕草にクスリと笑えば、拗ねたようにまた胸に顔を埋めて隠してしまった。

 そんなところもまた可愛いのだが、それを言ったらしばらくはベッドから出られなくなりそうだ。


「おはよう、よく眠れた?」

「おはよー。なんかねぇ、変な夢見たよ」

「変な夢?」


 さっきの夢を思い出してドキリとしていたら、ふにゃふにゃとした笑顔の紗良が顔を上げて、「うん、夢の中の私は魔法使いでね、夜の遊園地で女の人と魔法で戦ってた」と言った。


「最近やってるゲームの影響かなぁ。寝てたのになんだか疲れちゃった」

「そう、お疲れ様」

「んふー、詩織さんのおっぱいで疲れも吹っ飛んじゃう。でも、バンバン魔法使うの楽しかったな。現実でも使えたら良いのにね」

「そうね。──ねえ、もしゲームの世界に転生するなら、紗良はどんなゲームがいい?」


 夢の話をしてくれる紗良に、ふと思いついて聞いてみると、なにそれと笑いながらも楽しそうに考えてくれた。


「やっぱり『あつめろ! どうぶつの村』みたいなスローライフ系かなぁ。あっ、『ロケットモンスター』もいいな。私、メカチュウ好きなの」

「いいわね、楽しそう」

「うん。でもね、どこに転生しても、詩織さんが一緒がいいな。二人ならきっと楽しいよ!」

「──っ!!」


 百点満点の答えをくれた紗良を思わずぎゅっと抱きしめたら、胸元で苦しそうな悲鳴が上がった。

 そうね。二人一緒なら、きっとどこでだって幸せになれる。

 もちろん、この百合ゲーの世界でもね!

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