89・願い事

「何なの、このお通夜みたいな雰囲気。二人とも死んだの?」


 お昼の生徒会室、ものすごーく鬱陶しそうに陽子が言った。

 私だけでなくこはるも魂を飛ばしているから、何かしらあったのかもしれない。ただ、今は人のことに構ってられるほどの心の余裕がなかった。


 結局、葵とは一緒に出かける約束をした。

 あの時は頭が混乱していたのと、時間制限があったことで焦ってしまったが、これで良かったのかは今でもわからない。いや、良くはないな、間違いなく。


「もうっ、返事くらいしてよ! この空気耐えられないから、マジで!」

「ごめん。頭の中がめちゃくちゃで、一人反省会が終わらないの」

「え、何それ面白そう! じゃなくて、そういうのは人に話した方がいいんじゃない?」

「……本音が口に出過ぎでしょ」


 でも、この際聞いてもらった方が良いのかもしれない。陽子はもちろん、こはるにも。美術室で見た時は後ろ姿だったからわからなかったけど、なぜか彼女も元気がない。


「じゃあ、ちょっと相談にのって。若島さんも、よければ意見を聞かせてくれる?」


 はい、と頷くこはると、やけに張り切り顔で聞く態勢に小さく入る陽子に、ことのあらましを出来る限り整理して話した。


 準備室に葵が来たこと。

 葵と紗良が接点を持っていたこと。

 紗良が葵にアドバイスしたこと。

 昨日、紗良と会った時には、そんな素振りは見せなかったこと。

 私が葵とデートしないと、紗良を誘うと言われたこと。

 その話を受けてしまったこと。


 昨日のキスについては話さなかった。あれは事故だし、何より二人に話すのは恥ずかしい。


「ということがあったんだけど、二人の意見を聞かせてもらえれば……って、なんで陽子が頭抱えてるの!? えっ、若島さんも!?」


 さっきとは違った意味での異様な空気にたじろいでいると、「まさかここまで……」と、信じられないものを見る目で陽子が言う。いや、そんなこと言われても意味わからないんですけど!

 こはるはこはるで、さっきより明らかに高く魂飛ばしてるし、どういう反応なんだ、これは。

 困惑する私に、頭の痛そうな顔の陽子が「私が知ってる範囲で説明するけどさ」と前置きした。


「紗良ちゃんが島本ちゃんと会ったのは、私も知ってた」

「えっ!?」


 思わず前のめりになる私に、陽子が「落ち着いて、ステイ」と手のひらを向ける。


「黙っててごめん。えーっと、順を追って話すと、紗良ちゃんが高校の友達と遊びに行った時、その中の一人が島本ちゃんの友達だったらしくてね。電車の方向が一緒で、二人で帰ることになったらしいよ」

「そう」

「で、その時に島本ちゃんから、詩織と仲良くなるために協力してくれって言われたらしくてね」

「それでアドバイスしたの?」

「こらこら、最後まで聞いてよね。紗良ちゃんが言ったのはひとつ。そういう外堀埋めるようなやり方は詩織が嫌うから、仲良くなりたいなら正面からいけって言っただけだよ。ま、当たってはいるから、アドバイスっちゃーアドバイスか」


 なるほど、確かに葵は正面から向かってきた。

 外堀を埋めるようなやり口をされたら、今以上に葵に対して忌避感が強まっていただろう。


「協力したくないけど、友達の友達だから強く突っぱねることも出来ない紗良ちゃんの苦肉の策だよね」

「それはわかったけど、なんでそれを私に隠してたのかしら」

「心配かけたくなかったんだって」

「え……?」


 わかってないなぁと、陽子が肩をすくめる。


「詩織が島本ちゃんを苦手に思ってるから、自分とこういうやり取りがあったって知ったら心配かけるんじゃないかってさ」

「そんなの……っ!」


 知らない方が嫌だ。すぐに教えてほしかった。

 でも、違う。これは私の行動が招いたことだ。仮に紗良が打ち明けてくれたとしたら、私はかなり動揺しただろう。

 紗良は私を気遣って黙っていてくれたのに、アドバイスしたと聞いて勝手に裏切られたような気持ちになって……大馬鹿だ。


「ありがとう、よくわかったわ」

「どーいたしまして」


 お礼はお胸で、といつものお約束を口にして、手をワキワキさせなければ、本当によく出来た友達なんだけどな。

 しかし、それもまた私に気を遣わせないように言ってるのかもと思えば、一周してそこも長所、なのか? いや、それはちょっと認めたくないな。


「で、島本ちゃんとの約束はどうするの? 断る?」

「断るって言いたいところだけど、それだと島本さんは紗良を誘うでしょう? あの二人を近づけるのは、ちょっとね」

「そんなの、詩織から誘いに乗らないように言っておけば良いだけでしょ。何をそんなに警戒してるの?」

「何をと言われても……」


 警戒してるのは、『紗良ルート』のバッドエンド。前世の記憶を思い出してから、私が恐れているのはそれだけだ。

 葵のあの強引さが怖い。ゲームの強制力が怖い。運命が怖い。

 どんなに警戒していても、ちょっとした何かが引き金になってしまい、夢で見たあの凄惨な光景が現実になるんじゃないかってずっと怯えている。


「詩織はさ、島本ちゃんのことより自分と紗良ちゃんのことを考えなよ」

「私と、紗良のこと?」


 うん、と陽子が頷く。

 それまでずっと黙って聞いていたこはるまで、「そうですよね」と同意した。


「島本ちゃんとのこともさ、詩織が紗良ちゃんとの関係を進めようとしないんから、あの子だって諦めつかないでしょー」

「それはっ……い、一理あるけど」

「でしょ? はー、やだやだ、私と会長にあれだけ偉そうに大演説ぶっこいた人が、まさか自分のことではビビって動けな~い、なんてことないよね?」

「ぐうっ、今日はやけに煽ってくるわね」


 私だって、わかってはいる。このままじゃジリ貧だってこと。

 紗良を守るためには、葵を『詩織ルート』に縛り付けるのが確実だ。だからといって、自分の気持ちを完全に無視して、葵と付き合うなんてことは出来るはずもない。

 私が好きなのは紗良だ。紗良だけだ。

 だから、紗良が安全を確保できるまで、葵が近づかないようにルートをコントロールしようと思った。

 でも、紗良のためと大義名分を掲げ、葵の気持ちを弄ぶようなことが許されるのだろうか。そんな不誠実なことをした私に、紗良を想う資格があるのだろうか。


「あの、ちょっといいですか?」


 それまで聞き手に徹していたこはるが、控えめに手をあげ、話に入ってきた。

 まるで会議でそうするように「どうぞ」と陽子が促す。場所が場所なだけに、本当に会議っぽい。議題は恋バナだけど。


「ちょうど葵ちゃんの名前も出たし、少し私の話も聞いてほしいんですけど」

「いいよー、何?」


 軽っ! いや、別にいいんだけど。

 返事をしたのは陽子だったが、こはるはこっちに顔を向けた。何、と私が聞く前に口を開いた彼女は、はっきりと言った。


「私、葵ちゃんに告白しました」


 ひゅっと、喉から息が漏れた。

 驚きすぎた時、人は動けなくなるらしい。固まったまま言葉を失う私に、「そんなに驚かなくても」とこはるは苦笑するが、私にとっては寝耳に水もいいところだ。

 だって、『こはるルート』のトゥルーエンドで彼女が振られるのは、まだずっと先の話のはずで……ゲームのシナリオから逸脱している。


「昨日、葵ちゃんが家に来たんです。ほら、前に先輩が私と話し合うように言ってくれたじゃないですか」

「あ、ああ、そういえば……」

「急だったから驚いたんですけど、色々話しました。私が葵ちゃんから離れた理由も、それに対しての葵ちゃんの気持ちも。それで、話の流れで告白して見事に振られちゃいました」

「……そう、頑張ったのね」


 今日、葵が私に再度告白してきたのだから、結果は聞く前からわかっていた。

 でも、そうか。こはるは頑張ったんだ。結果はわかっていただろうに、きちんと向き合ってけりをつけたなんて、本当に凄い。


「先輩たちのおかげです」

「いやいや、私たちなんて全然だって。ねえ、詩織?」

「ええ、先輩らしいことなんて何もしてあげられなかったわ」


 こはるに対しては、最初こそ放っておけなくて声をかけたけれど、結局私の話を聞いてもらうことの方が多かったくらいだし。むしろ、これだけ後押ししてもらっても動けない私の不甲斐なさよ!

 だって、下手に動いたらバッドエンドの可能性だってあったんだもん! 紗良の命をかけた告白なんて、迂闊に出来るわけ…………あれ?

 こはるが葵に振られたってことは、トゥルーエンド達成した? バッドエンド回避?

 ……いや、こういう考え方ももうやめた方がいいのかもしれない。

 ここは確かに私の知る『未完成ラプソディ』の世界だけど、もういろんな状況が変わってきている。私が紗良と出会ったことも、こうしてこはると話すことも、こんなにも早くこはるが葵に告白したことも。

 この先何かあったとして、今のこはるが紗良に刃物を向けるとは思えない。


「それで、杉村先輩にお願いがあるんですけど」

「私に? なに?」


 急に水を向けられ、なんだろうと思っていると、少しだけ困り顔で、それでもはっきりとこはるが言った。


「葵ちゃんと話してほしいんです」


 意外な言葉に「さっき話したばかりよ?」と答えると、「そうなんですけど、そうじゃなくて……」と言葉を選びながら、こはるがゆっくりと話す。


「先輩が葵ちゃんを苦手に思ってることは知ってますし、葵ちゃんのあの態度じゃそうなるのも仕方ないって私も思うんですけど……」


 うん、正直怖い。

 もっとも、葵を避けてる理由はそれだけではないけど。


「先輩相手になると必死すぎて空回ってるっていうか、葵ちゃんも自分が嫌われてる自覚はあるんです。いつも笑ってるからわかりにくいけど、あれは葵ちゃんなりの武装みたいなもので……笑ってるからって、傷ついてないわけじゃないんです」

「ああ、それはわかるよ。詩織は気を持たせないようにってつもりみたいだったから何も言わずにいたけど、ちょっとかわいそうな時あるよね」

「そうなんです。振られた私がこんなお願いするのっておかしいかもしれないですけど、やっぱり大事な幼馴染でもあるので」


 だからきちんと向き合ってほしいと、こはるが頭を下げた。その姿に、胸の内で罪悪感が勢いよく広がっていく。

 指摘されてみれば、葵と真剣に向き合ったことがあっただろうか。

 私にとって葵はずっと、私と紗良、そしてこはるの三人の運命を握るキーパーソンで、紗良の命を脅かす死神のような存在だった。だからこそ、極力関わらないようにしてきたし、好意を向けられてからも突っぱねることに必死で、さっきはその恋心を利用することまで考えていた。

 客観的に見て、かなり酷い。

 紗良やこはるのことは、すでにキャラクターではなくひとりの人間として見ていたのに、葵のことだけはずっと『葵』というキャラクターとしてしか見ていなかったのかもしれない。


「わかったわ。陽子、話す時はこの部屋借りていい?」

「いいよー」


 こはるの表情が、ぱっと輝く。

 自分を振った相手のことだというのに、この子もなかなかのお人好しだ。


「ねえ、若島さん。私からもひとつお願いがあるの」

「何ですか?」


 お人好しな後輩に、私からもお願い事を。

 実はずっと前から言いたいと思っていたんだ。


「こはるって呼んでいい?」


 陽子が「あっ、ずるい!」と、自分もそう呼びたいと主張する。

 お願いされた当人は、よほど予想外だったのだろう。柔らかそうなほっぺを真っ赤にして、口元をわななかせていた。


「ねえ、だめ?」


 答えなんてわかってるし、だめと言われても勝手に呼ぶつもりだけど。

 笑顔で圧をかける私に、悔しそうにこはるが答える。


「い、いいですよ、別に。好きに呼んでください」

「ありがとう、こはる」

「っ……! 先輩、他はダメダメなのに、勉強と顔だけは偏差値高いってずるくないですか!?」

「おっ、その通りだ! もっと言ってやれ!」

「ほんっと失礼ね、貴女たち!」


 私だけが、勝手にゲームのシナリオに縛られていたのかもしれない。あれはあれで、ひとつの未来の可能性だけど、いくつもの選択を繰り返すうち、いつの間にかそのルートからは外れていたみたいだ。

 自力で運命から抜け出し、それに気づかせてくれたこはるに、惜しみない尊敬と賞賛を。そして、心からの友情を。

 言い訳に言い訳を重ね、逃げ続けてきた私だが、そろそろ変わる時がきているのかもしれなかった。

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