77・【番外編】紗良視点⑥

「ねえ、今度は詩織さんと話してみたいんだけど、少しだけいいかな?」


 詩織さんと陽子さんのところに戻った直後、友田先輩が突然そんなことを言い出した。

 詩織さんと話したいって、なんで? もしかして次の恋のお相手って話、本気だったの?

 私が驚き戸惑っている間に、詩織さんは承諾してしまった。今度は二人が向こうのベンチで話すらしいけど、もしかして口説かれるんじゃ!? と焦っていたら、友田先輩が「余計なことは言わないから安心してね」と声をかけてきたから、やっぱり違うのかもしれない。

 詩織さんは詩織さんで陽子さんに気をつけるように言うけど、私としては詩織さんこそ気をつけてって言いたい! ああ、いや、友田先輩はいい人だし、気をつけるも何もないんだけど。でも……!

 何も言えずにいるうちに行ってしまった二人の背中を見守っていると、「気になる?」と陽子さんが声をかけてきた。


「少し……」

「だよねー、私も気になる。まっ、私達はこっちでのんびり待ってようよ」

「はい」


 ニコニコと気さくな笑顔で話しかけてくれるけど、やっぱりこの人は少し苦手だ。悪い感じはしなくても、どこか探りを入れてくるような胡散臭さがあって落ち着かない。

 とはいえ、今は他に選択肢がないわけで、言われるがまま陽子さんの隣に腰掛けた。


「友田とはちゃんと話せたみたいだね」

「はい。話せたっていうか、お願いを聞いてもらったみたいな感じですけど……」

「あはは、だろうね。でも、それがわかってるなら大丈夫だ」


 そう言って、ペットボトルのお茶をぐびりと一口飲む。私も何か飲むかと聞かれたけど、ここは木陰で涼しいし、風もあるから大丈夫そうだ。

 よく考えたら、私はこの人の友達を振った相手なわけだし、あまりイメージ良くないのかもしれない。こんな暑い中、今も私のわがままにこうして付き合わせてるわけだし。


「あのっ、今日は来てくださってありがとうございました」

「ん? ああ、まあ、友田を紹介したのは私だしね」

「はい、それについてもありがとうございました」


 この人が友田さんに声をかけてくれなかったら、今の私はなかったかもしれない。結果としてこうなってしまったけど、友田先輩にも陽子さんにも感謝している。


「それも詩織に頼まれたからで、私は友田達に声かけただけだから」

「それでも、感謝してます。ありがとうございました」

「そっか。うん、どういたしまして」


 会話が終わってしまい、沈黙が落ちる。松の葉が風でザーッと音を立てるのが、耳に心地いい。

 向こうで話している詩織さん達は、なんだか楽しそうだ。何を話しているんだろう。あの二人の共通の話題なんて、私か陽子さんしかなさそうだけど。


「……詩織が私に頼み事をするなんて、初めてだったんだよね」


 沈黙を破ったのは陽子さんだった。ぽつりと溢れるような言葉に思わず「え?」と聞き返すと、少しだけ目を細めた陽子さんがこっちを見た。


「一年の時の詩織って、そりゃー自分勝手でね。人に興味ナシ。弱みは見せない。そのくせ外面だけはいい世渡り上手で、ワールドイズマインな性格だったって信じられる?」

「えっと、ちょっと想像つかないですけど、詩織さんのお母さんも似たようなことは言ってました」


 もっとも、そこまでは酷くなかったけど。これじゃ詩織さんが人格破綻者みたいだ。


「さすが母親はわかってるもんだねー。それで、そんな詩織が二年生になってから急に丸くなったんだから、こっちとしては何事!? って感じだったわけ」

「私と出会った時は、最初から優しかったですよ」

「そっかー。ほんと、何があったんだろうね。ま、その弱みを見せない詩織が初めて真面目な顔で頼んできたのが、紗良ちゃんのことだったわけだ」


 ビックリしたよ、と陽子さんが笑って肩をすくめてみせるけど、これは多分真剣な話だ。笑ってる目の奥が、全然笑ってない。


「だからね、紗良ちゃんには前から興味があったんだ。詩織が大事にしていて、変わるきっかけになったかもしれない子だから。偶然とはいえ、こうして話す機会が出来て嬉しいよ」

「えっと、大事にされてる自覚はありますけど、変わるきっかけかどうかは……」

「ああ、そこは別にいいの。でも、大事にされてるって思うなら、詩織のことも大事にしてくれると、友達としては嬉しい」


 なるほど、これが言いたかったんだな、きっと。

 こんなの柄じゃないんだけど、とちょっと苦い顔をして照れている陽子さんの横顔に、いい人だと思った。さっきまで感じていた苦手意識が、スルスルと消えていく。この人も、きっと詩織さんを大事に思ってるんだ。


「大事ですよ、世界で一番」


 自然と口をついて出た言葉に、陽子さんが少しだけ目を丸くして、破顔する。

 最初に感じた、探るような気配はもうない。詩織さんの友達として認めてもらえたのだろうか。それにしたって、世界で一番は自分で言っておいて少し恥ずかしい。重いと思われなかったかな。詩織さんには内緒にしておいてほしいけど。

 そういえば、詩織さん達はどうなってるだろうと彼女達の方を見たら、なぜか友田先輩が体をグニャングニャンと揺らしてて、よくわからない状態になっていた。一体何があったのやら……。


「あはははっ、友田も思ったより元気そうだし、良かった良かった。紗良ちゃんもさ、何か困ったことがあればいつでも言ってよ。連絡先教えとくからさ」

「あっ、はい。ありがとうございます!」


 そう言われてアドレスを交換していると、スマホを触りながら思い出したように、陽子さんが呟いた。


「詩織のこともね、何かおかしいと思ったら教えて。もちろん、言える範囲で良いから」

「はい、あっ、私もお願いします。学校とか部活で詩織さんが困ってたら、教えてください」

「オッケー、『今日の詩織ちゃん』配信しちゃうから、凹んでたら慰めたげてね」

「頑張ります!」


 ぐっと拳を握ってやる気をアピールしたら、陽子さんも満面の笑顔でサムズアップした。その様子は、最初のぎこちなさが嘘みたいだ。


「陽子さんこそ、詩織さんのこと大事にしてるんですね」


 もしかして好きなのかな? と思うのは、多分さっきの友田先輩との話からまだ頭が切り替わりきってないから。でも、そう思っても当然なくらい、陽子さんは詩織さんを気にかけてるように見えた。


「んー、大事っていうか、私は詩織に恩があるから。大事じゃないってわけじゃないけど、恩を返したいっていう気持ちの方が強いかな」

「恩、ですか?」

「うん、今の私の幸せは詩織のおかげだからね」


 詩織さん、一体何したんだろう。これは聞いてもいいのかな。

 でも、あえて詳しく言ってこないってことは聞いてほしくないのかもしれない。経験値が足りない私には、こういう時にどうしたらいいのか判断がつかなくて困る。


「紗良ちゃん、めちゃくちゃ顔に出るタイプだねー。聞きたいなら聞きたいって言ってくれていいのに。聞かれたくなければこんな話題振らないし、嫌なら内緒って言うだけだから」

「き、聞きたいです!」

「いいよー。って言っても、あんまり詳しく話せない部分もあるけど」


 そう前置きして話してくれたのは、陽子さんが百合ノ宮の生徒会長さんと付き合ってることや、それまで紆余曲折があり(このあたりは濁された)、最悪な形でお別れしそうになったところを詩織さんが引き止めて、ちゃんと向き合うきっかけを作ってくれたということ。

 大まかに聞いただけでも、詩織さんらしいと思った。


「だから恩人。学校でのことなら力にもなれるけど、私じゃ行き届かない部分もあるからさ。紗良ちゃんは癒し担当で頑張ってね!」

「えっ、私、癒し担当ですか!?」

「私、そういうタイプじゃないからさぁ」


 私だって違う! と言いたいところだけど、目の前のパイナップル柄の派手なアロハシャツを着たこの人よりはマシかもしれない。すごく似合ってるけど、癒し要素は皆無だ。


「……ガンバリマス」

「よろしく~」


 そんな話をしているうちに、どうやら詩織さん達も話を終えたらしく、ベンチから立ち上がるのが見えた。随分と打ち解けたようで、話しながらこちらへと歩いてくる二人の表情は明るい。


「あ、そうだ。最後にひとつだけ教えてあげる」


 悪戯っぽい笑みを顔いっぱいに浮かべ、陽子さんが言った。


「紗良ちゃんの力になってほしいって頼まれた時、『胸を揉ませてくれるならいいよ』って言ったら、詩織ちょっと悩んでてさー。いつもなら即お断りなのに」

「はいっ!?」

「あれは柄にもなく焦ったよねー。焦って、思わずノーおっぱいでお願い聞いちゃったけど、惜しいことしたなぁ」

「当たり前じゃないですか! 絶対触っちゃダメですからね!」


 何考えてるの、この人! いい人だと思ったのに!! 詩織さんも詩織さんだよ、もう! 私のために胸を……とか、気持ちだけは嬉しいけど!

 詩織さんの胸を揉ませるくらいなら、私の胸……は揉んで楽しめる程のボリュームないな。いやいや、対価に胸を揉ませる選択肢が出てくるのがまずおかしいから!


「ほんと大事にされてるよねー、紗良ちゃん」

「こんな大事にされ方、喜べません!」


 この後、戻ってきた詩織さんにはしっかりとお説教しておいたけど、なんだかちょっと嬉しそうだった。

 もう、私はこんなに怒ってるのに! 納得いかない!



※  ※  ※  ※



 まだ夏休みに入って3日目だというのに、思えば濃い3日間だった。

 終業式には友田先輩に告白されて、翌日には詩織さんの家に泊まりに行って。もしかしたら詩織さんが私を想ってくれているのかもしれないと思ったり、人づてに詩織さんがどれだけ私を大事にしてくれてるかを聞いたり。

 友田先輩や陽子さんとの話もまだ消化できてなくて、胸の中をまだグルグル回っている。

 ちゃんと考えなくちゃ。詩織さんが当然のような顔で優しくしてくれるから、あまり考えずにきたことを。


『なんでこんなに大事にしてくれるの?』


 ただの友達なら、きっとここまでしない。友達経験の少ない私でも、それくらいはなんとなくわかった。

 友田先輩だってそうだ。普通は、友達から頼まれたからって、ここまで気にかけてくれない。陽子さんが声をかけてくれた他の先輩達みたいに「何かあれば言ってね」って、お義理で一度声をかけて終わりだ。友田先輩みたいに、会うたびに足を止めて話しかけてくれるなんて、レア中のレアなんだ。

 友田先輩は優しい人だから、きっと最初は本当に親切で気遣ってくれていたんだろうけど、途中からは恋に変わっていたからかもしれない。今となっては、聞けるはずもないけれど。

 話しながら、隣を歩く詩織さんを盗み見る。この数ヶ月ですっかり見慣れた横顔だけど、綺麗な人だと改めて思った。

 この綺麗な人が、私を好きだったらいいな。自然とそう思った。

 自分の気持ちは今もよくわからない。でも、この人の特別な存在だったら嬉しい。大事にしてもらう価値のある自分でいたい。


「詩織さんも、女の子と恋する可能性あるの?」


 ぴくりと詩織さんの口元に力が入ったのがわかった。平静を装っているけど、瞳が揺れているのも、こっそり唾を飲んだのも。

 素直な人だと思った。そして、それ以上に可愛くて、愛おしい人だ。


「…………あるかもしれないわね」


 少しの沈黙の後、返ってきた答えに胸が鳴った。


「そっかぁ」


 じんわりと広がっていく喜びに、もう認めていいのかもしれないと口元が緩んだ。

 恋はまだよくわからない。いい印象もないし、今でも怖い。

 でも、恋をするならこの人がいい。

 ふいに、消化不良だった友田先輩達の言葉がふわりと胸の奥に溶けて消えた。

 ああ、そっか。みんなの目は正しかったみたいだ。多分、私は詩織さんに惹かれ始めてる。この人に愛されてるかもしれないと想うだけでこんなにも幸せな気持ちになるのは、きっとそういうことなんだろう。

 まだまだ未熟なこの気持ちが育って、これが恋だと確信できたその時は──


 そんな未来が、近いうちにきっと訪れる。

 その日が早く来ればいいと、クリスマスを心待ちにするような気持ちで眺める夕日は、見たことがないほど赤く美しかった。

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