52・あるかもしれない

 紗良に告白はしない。

 何度もそう決めたのに、気づけばどうしたら好きになってもらえるかを考えているし、友達としか思われていないことにガッカリしている。これはもう、諦めるのは無理だと思った方がいいのかもしれない。

 今こうしている瞬間も、ベンチに並んで座って話している紗良と友田さんを見ながらヤキモキしているくらいだ。我ながら心が狭い。


「最近思うんだけど、恋愛って頭悪くなるわよね?」

「今更? 偏差値30くらい落ちるよ」

「そうよねー。というか、この会話がすでに頭悪そう」

「ははっ、言えてる!」


 陽子がおかしそうに膝を叩いた。

 偏差値はともかく、恋愛って確実に人を変える。論理的な考え方が出来なくなるし、視野は狭くなるし、心も狭くなるし、脳の容量の大半を好きな相手に占領されてしまう。

 恋愛漫画の主人公を、よくもまあこんなに四六時中相手のことばかり考えていられるものだと思っていたが、今ならわかる。気づけば紗良のことばかり考えているし、いつの間にか私の行動基準が紗良になっているのだ。


「でも、私は紗良ちゃんに出会ってからの頭悪い詩織の方が好きだよ。あ、もちろん告白じゃないから安心してね」


 私には会長がいるから~とかなんとか惚気てくれて、羨ましいことだ。二人の関係がどうなっているのか詳しく聞いていないが、どうやら上手くいっているらしい。リア充爆発してしまえ。


「詩織とは一年の時からつるんでるけど、あんまり深く付き合ってこなかったでしょ? 紗良ちゃんのことで頼み事されてから付き合いが深まったって言うかさ。今じゃ休みの日に恋バナしてるもんね」

「そうね、しかも同性を好きになるなんて考えたこともなかったわ」

「だよねー、全然そんなキャラじゃなかったし! ……あ、終わったっぽい」


 言われて目をやると、ベンチから立ち上がった紗良たちが話しながらこっちへ歩いてきていた。


「詩織が一年の時から今みたいな感じだったら、好きになってたかもね。あ、今度は告白的なやつで」

「よく言うわよ、会長追いかけて百合ノ宮来たくせに」

「私にも辛くて会長を忘れたい時期があったんですー。で、そんな時に顔が好みでおっぱいが大きくて性格も愉快な詩織が近くにいれば、フラーっと心惹かれた可能性あるかもなって」

「それ、一年の時の私の性格がよっぽどダメだったって言われてるように聞こえるんだけど……」


 あっはっはと大笑いで陽子が答えるが、それってつまりそういうことよね? いや、自分の性格に問題があったのは自覚しているけど。

 つい数日前にお母さんにも言われたところだが、見てる人は見てるものだ。恐ろしい。


「なーにー? なんか楽しそうだね」


 戻ってきた友田さんが、笑う陽子に声をかけた。


「詩織の胸が大きいから触りたいって話だよ」

「してないでしょ。まあ、聞き飽きるくらいに言われてはいるけど。あと、紗良の教育上よろしくないから、次に変なこと言ったら会長にいろいろバラすわよ」

「え~、過保護~」


 過保護で結構。ほら、サラッとセクハラ発言してくる陽子に、友田さんも紗良もドン引きじゃないか。ごめんね、友田さん。陽子の類友だなんて疑ったりして。


「紗良、ちゃんと話は出来た?」

「う、うん。大丈夫、伝えたいことは全部言えたから」

「そう、頑張ったわね」

「うん!」


 友田さんを見ると、会った時よりもいくらか肩の力が抜けたような印象だ。よほど緊張していたのだろう。私と目が合うと、少しだけ目を細めて笑った。


「ねえ、今度は詩織さんと話してみたいんだけど、少しだけいいかな?」

「え、私?」


 予想していなかった友田さんからのお誘いに、思わず聞き返すと「そう、詩織さん」と首を縦に振られる。

 私を誘うとは聞いていなかったらしく、紗良も口を「え?」の形にしたまま友田さんを見つめ、戸惑っていた。


「いいわよ、じゃあ向こうのベンチに行きましょうか」

「うん。あ、紗良ちゃん、余計なことは言わないから安心してね」

「私も紗良が困るようなことは言わないわ。あと、陽子に近づき過ぎたらダメよ。もし変なこと言われたら、こっちに走ってきてね」

「詩織、私の扱い酷くない!?」


 自業自得。日頃の行いってやつだ。不貞腐れる陽子と苦笑いを浮かべる紗良に手を振って、友田さんたちがさっき座っていたベンチへと移動する。

 友田さんの誘いは断ろうと思えば断れたけど、正直なところ好奇心が勝った。紗良に告白して振られた人が、私と何を話したいのか。何を考えてるのか。是非とも聞いてみたいじゃないか。


「急にごめんね。この機会を逃したら、しばらく会うこともなさそうだからさ」

「ううん、私も友田さんとはお話ししてみたかったから」

「そう? どんな話?」

「どんなって……そうね。私が言うのは筋違いかもしれないけど、紗良の力になってくれてありがとう。私じゃ、何もしてあげられなかったから」


 言いたいことはいろいろあったはずだけど、実際に口に出して伝えれることは案外限られている。間違っても、いっぱいハグしてて羨ましかったなどとは言えない。


「あー、そういえば元々は詩織さんから陽子経由で話が来たんだったね。あれ、最初はそこまで関わるつもりなかったんだけど、紗良ちゃん可愛かったから……」

「わかるわ。つい手を貸したくなるのよね」

「そう! もうねー、これは惚れた弱みっていうか、ずっと笑っててほしいっていうか!」


 ぐっと拳を握りしめて紗良への想いを語る友田さんには、完全に同意しかない。そう、紗良は可愛い。笑ってる紗良は特に可愛い。イコール、ずっと笑っていてほしい。

 わかるわかると頷いていると、熱く語っていた同志が自嘲気味に笑い、トーンダウンした声で言った。


「でも、焦って告白して台無しにしちゃったからさ。こうしてきちんと話す機会が貰えて嬉しかったよ」

「良かったわね。焦ったっていうのは、紗良が告白されてたから?」


 私は紗良がモテるという話は聞いていても、直接その現場を目にしたわけではない。実際に現場を目撃したり、モテているのが直に伝わってくる環境にいる友田さんの方が、そういった気持ちになるのはわかるような気がした。


「ううん、紗良ちゃんが告白されて困ってるのは知ってたから、そこはあまり気にならなかった。私が焦ったのは、詩織さんの存在」

「え、私?」


 さっきもこんな感じだったなと思いながらもつい聞き返すと、やっぱり首は縦に振られた。


「だって、紗良ちゃんが口を開けば詩織さん詩織さんって。会ったことないのに、守護霊かってくらい常に存在感あって……! 今日も初めて会うけど、前から話で聞きすぎてて全然そんな気しないし」

「え、ええ~?」

「ただでさえ同性っていうハンデがあるのに、同性としても詩織さんっていう高い壁が立ちはだかってるもんだから、超えなきゃ! って焦って自爆。もー、全部詩織さんのせい」


 いやいやいや、私のせいって。今自分で自爆って言ったじゃないの。おかしいおかしい。というか、紗良、そんなに私の話してるの? そんなの聞いたことなかったけど。

 つい口元が緩みそうになるのを慌てて引き締めたが、しっかり見られていたようで、友田さんが「ウレシソウデスネー」と棒読みで言った。はい、嬉しいです。


「やっぱりさ、詩織さんも好きでしょ、紗良ちゃんのこと」

「……っ、ええ、好きよ」

「やっぱりかー! 会ったことなかったけど、なーんかそんな気してたんだよー」


 会ったこともないのに気づいてたって……守護霊(私)、どれだけ圧かけてたの。

 あと、友田さんの動きがおかしい。「ああ~」とか「やっぱりぃ~」とか言いながら、上半身をぐにゃんぐにゃんに動かしてるのだが、これにどう対応したらいいのか。

 助けを求める気持ちで陽子と紗良がいる方に顔を向けると、指をさしてゲラゲラ笑ってる陽子が見えた。だめだ、役に立たない!


「ふー、……で? 詩織さんは告白しないの?」


 ぴたりと動きを止めたと思ったら、何事もなかったかのように普通に話し始めるのやめてもらえませんかね。やっぱりこの人、陽子の友達だわ。


「いつかはしたいけど、今のあの子はそれを望んでないと思うから」

「それって、フラれるのが怖いってこと?」

「違……わないわね。多分、それもあるわ。ただ、まだ心を許せる友達が少ない紗良が、友達だって信じてる私から告白されたら、ものすごくショックを受けると思う。私はそれが一番イヤなの」


 夢で葵からの告白に絶望した紗良の気持ちを知ったあの日から、決してそんな気持ちにだけはさせないと誓った。皮肉にも、今は私が葵のポジションに収まって、その誓いは自分を縛り付けているわけだけど。


「どうかなぁ。紗良ちゃん、そんなに弱くないよ。まあ、私が告白した時はショックだったみたいだけど、今日はしっかり立ち直って話してくれたし。陽子じゃないけど、ちょっと過保護じゃない?」

「…………そうかしら」

「うん。だってさー、もう何年もずっと女子の妬み嫉みを受け続けてきて、あれだけまっすぐ育ってる子だよ。間違いなく、芯のしっかりした強い子だって」

「それは、そうかも……」


 普通なら、とっくに人間不信だ。

 だとしたら、私は紗良を見くびっていたことになる。一番近くにいたはずの私が気づいていないのに、恋敵である友田さんが当然のように気づいていたことが悔しい。

 紗良を守らないとっていう気持ちが先行し過ぎて、陽子や友田さんの言うように過保護になってしまっていたのだろうか。


「だからさー、詩織さんもさっさと告白して私と失恋同盟組もうよ。大丈夫、一人で辛い思いはさせないよ!」

「勝手に失恋するって決めないで! ……告白はもう少し勝率上げてからにするわ」

「ヘタレ」

「戦略と言ってください」


 こんなまったく意識されていない状態で想いを伝えるのは、ただの特攻だ。せめて、ちょっとでも頬を染めてもらえるくらいには片足だけでも土俵に上がりたい。今の信頼値MAXの状態では、お話にならない。

 友田さんの提案で連絡先も交換して、話はおしまい。紗良と陽子のところに戻ると、苦虫を噛み潰したような顔の紗良に出迎えられた。


「紗良、どうかしたの?」


 さては陽子から何か余計なことを聞いたなと思って被疑者の方を見ると、イタズラが成功したようなにやけ顔がスッと視線を逸らす。あ、確信犯ですね、これは。


「ねえ、詩織さん。私のために陽子さんに胸を触らせようとしたって本当?」

「ちょっと陽子! 紗良に何吹き込んでるのよ!?」

「その反応、本当なんだ!?」

「ああ、もう! ちょっと考えただけだから! 触らせてないから!」


 ケラケラと笑いながら、「嘘はついてないよー」と陽子がうそぶく。その横で、友田さんも「何やってんの」と他人事のように見てるけど、ええ、そうですよね! 他人事ですよね!


「結局、あの時の報酬は生徒会のお手伝いって形で払ってもらってるけど、今回の仲介の報酬はまだなんだよねー。今度こそ、その魅惑のたわわで払ってもらってもいいんじゃなーい?」

「だめです!」


 陽子の普段の言動を知っている私から見れば、あれはいつものおふざけだとわかっているのだけど、免疫のない紗良は怒れるポメラニアンのように可愛く陽子を威嚇している。

 こんな紗良、初めて見る。陽子め、さては他にも紗良をからかって遊んでいたに違いない。後日のお仕置きは確定だ。

 それより、私を――というか、私の胸を守ろうと横抱きにしてくる紗良の方が今は問題だ。二の腕のあたりに柔らかいものが当たってるんですけど、私の胸より自分の胸を守ってほしい。私から。

 とにかく、これで今日の目的である紗良と友田さんの和解は無事に終わり、ついでに私と友田さんも仲良くなり、陽子に警戒心を抱かせることにも成功したわけで。

 気づけばいい時間になっていたので、解散することになった。

 友田さんと陽子に別れを告げ、紗良と帰路につく。道中、プリプリと怒りながらも陽子のことは嫌っていないらしく、どうやらクセは強いが根はいい人という認識になったようだ。まあ、大体合ってる。


「陽子さんは百合ノ宮の会長さんと付き合ってるんだよね? 女子校ってやっぱり女の子同士のカップル多いの?」

「うーん、どうかしら。私も他のカップルは知らないから。ああ、でもうちの学校の七不思議のひとつは女の子のカップルが元らしいし、珍しい話じゃないのかもしれないわね」


 地下倉庫の『キスをしないと出られない部屋』の元ネタの話をしてあげると、「そんな七不思議あるんだ」とおかしそうに笑った。


「詩織さんは?」

「ん?」

「詩織さんも、女の子と恋する可能性あるの?」

「――!」


 これは、答えに困る質問だ。

 あると答えれば変に警戒されるかもしれないし、ないと答えれば嘘になる。何より、ないと答えたらこのまま完全に恋愛対象から外されてしまうかもしれない。


「…………あるかもしれないわね」


 まさに今、貴女に恋をしている。

 いつかは伝えたいけど、それはもう少し意識してもらえるようになってからだから。今はまだ、この返事が私の精一杯だ。


「そっかぁ」


 西陽に照らされた紗良が、小さく微笑む。

 何を思ってそれを聞いたのか、紗良が同性に恋をする可能性はあるのか、もう少し深く聞いてみたかったが、私にそんな意気地はなかった。これじゃ、友田さんにヘタレと言われても文句は言えない。

 それでも、今までは誤魔化してばかりいた自分の気持ちを遠回しながらも宣言出来た気がして、心はいつもより晴れ晴れとしていた。

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