【こんな話も】50.5話【あったかもしれない】
※ これは本編ではありません。
50話の後半のボツ部分なのですが、このまま眠らせるのは少しもったいなかったのでifの世界線として楽しんでいただければ。
※ ※ ※ ※
「あー、もう疲れた! 汗かいたー!」
修学旅行でもやらないような本気の枕投げをクタクタになるまでやって、肩で息をした私と紗良はそれぞれ倒れ込むように布団に転がった。
髪はボサボサだし、せっかくシャワーを浴びたのにすっかり汗だくになってしまって気持ち悪い。
「あははっ、楽しかったー! 枕投げって一度やってみたかったんだ」
「私も実際にやったのは初めて。紗良が楽しかったなら良かった」
「ねえ、詩織さんは楽しかった?」
「ええ、楽しかったわよ。それに、いい感じに疲れてよく眠れそう」
いい歳してと思わないでもないが、やってみると意外と楽しいものだ。紗良が枕ごと飛んできた時はどうしようかと思ったけど。
思えば、こんなに大暴れをしたことだって、子供の頃を含めても数えるほどしかなく、新鮮な気持ちだ。
「もう寝ましょう。電気消してもいい?」
「うん……あ、待って。寝る前にお手洗い行ってくる」
紗良が体を起こし、ベッドから降りてきた。下に敷いてある布団の上に立ったその時、
「きゃっ……!」
「危ないっ!」
シーツに足を取られたのか、それともさっきの枕投げの疲れのせいか、フラついた紗良が勢いよく倒れ込んできた。
とっさに腕を伸ばし、下敷きになるようにして守ったのだが、これが良くなかった。いや、紗良が無事だったのはもちろん良かったのだけど、気づけば私は紗良に組み敷かれている状態で、目の前には何度見ても見慣れない綺麗な顔のドアップがあった。
「紗良、大丈夫だった?」
呆けている紗良に尋ねてみると、ハッとしたように縦に首を振る。
「うん、大丈夫。布団の上だし、詩織さんが庇ってくれたし……ありがとう」
「良かった。それなら、退いてもらっていい? その……近いわ」
それ以上はこの距離で話していられなくて、ふいっと横を向く。だって、近いのだ。身体は密着しているし、顔の距離は15cmくらい。話せば吐息がかかり、少し伸び上がれば口づけ出来そうな場所にあの顔が迫っているのに、平常心で真正面から向き合っていられるわけがない。
しかも、押し倒された状態で見上げた紗良は、部屋の照明の逆光効果のせいで三割増くらいに神々しい! はーっ、もう好き! 尊い!!
それにしても何ですかね、コッテコテのこの状況。百合に限らず、ラブコメでよく見られる『転んでうっかり押し倒しちゃいました☆』のシチュエーション、まさか自分が体験する日が来るなんて思っていなかった。
本やアニメ、小説でそんなシーンが出てきては、「いやいや、そうはならないでしょ(笑)」と思いながらも楽しませてもらっていた、バナナで転ぶ並みに使い古されたシチュエーションが今ここに! さすが百合ゲーの世界!!
というか、私が脳内でこれだけ一人でいろいろ考えて気を紛らわしているんだから、今のうちにさっさと退いてほしいのに、紗良はなかなか退いてくれない。
なんでだろうと、ソロソロと視線をそちらに向けると、じっと私の顔を見つめていたらしき紗良とばっちり目が合ってしまった。
「ちょっ、何見てるのよ! 早く退いてってば」
「えー、だって恥じらってる詩織さんが可愛かったから」
「かわっ……もう、またそういうこと言ってからかうんだから」
「えー、本当にそう思ってるよ。詩織さん、すっごく可愛い」
今この瞬間、この場で死ぬかと思った。
だって、考えてみてほしい。好きな人に押し倒されて、至近距離で、しっかり目を合わせて、可愛いと微笑まれたのだ。あの顔でにっこりと微笑まれて。
そんなの、殺傷能力が高すぎる。顔面の暴力だ! 暴力反対!!
「昨日と逆だね。やっぱり私、詩織さんとは押し倒されるより押し倒す側の方がしっくりくるみたい」
「しっくり来なくていいから。こんな機会もうない……か、ら」
紗良の右手が頬に当てられ、親指が唇に触れた。黙ってと言いたげなその仕草に思わず言葉を止め、改めて紗良を見上げると、さっきよりも更に顔が近い。
やばい。こんな距離、気持ちを隠し通す自信がない。さっきから顔どころか身体中の熱が上がってるし、心臓もドキドキを通り越してバクバク鳴ってる。密着したこの体勢で、紗良が気づかないはずがない。
「詩織さん、目、閉じて」
昨日の焼き直しのように、紗良が言った。
酷い。こんなの、目を閉じて頭突きをお返しされたら、私はきっと泣いてしまうだろう。引き寄せれば届きそうな薄紅色の唇に、目が釘付けにされる。
もう好きだと言ってしまいたい。言えたなら、きっと楽になれるのに。
「詩織さん」
私の名前を呼ぶその口を、震える手でそっと塞いだ。
まだ楽になるわけにはいかない。友田さんのことで傷ついている彼女が、おそらく一番信用している私からも恋愛対象として見られていると知れば、しかもお泊まりまでして一度押し倒されているとなると、絶対に大きなショックを受けるはずだ。
それだけは避けないといけない。
「お願い、紗良。もう降参だから退いてくれる?」
本気の願いが届いたのか、コクンとひとつ頷いて、紗良がようやく体を起こしてくれた。
やり過ぎたと反省しているのか、叱られるのを待つ子供みたいな顔で正座しているのが可愛い。まったく、これじゃ何も言えないじゃないか。
「これと昨日の夜のとでおあいこね」
そう言って笑って見せれば、ホッとしたように「うん、ごめんなさい」と紗良が謝った。この話はもうこれで終わりにしよう。あまりにも心臓に悪すぎる。
――とはいえ、思い出さないなんて無理な話だが。見上げた紗良の表情も、可愛いと言った声も、手のひらに触れた唇の柔らかさも、しばらく忘れることは出来ないだろう。
「ほら、お手洗い行ってきたら? 早く寝ましょう」
「はーい」
部屋を出て行く紗良を見送って、ようやく気を抜いてヘナヘナと布団に倒れ込む。疲れた。枕投げなんて比べものにならないくらい、精神がゴリゴリ削られた。私のHPはもうゼロよ。
電気は紗良に消してもらうことにして、これ以上何も起こらないうちにさっさと布団に潜り込む。
しかし、どうしよう。こんなにも疲れているのに、今夜も眠気は降りてきてくれないかもしれない。頭までかぶった掛け布団からは、紗良の匂いがするような気がした。
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