50・眠れない夜
夕飯時には、予想通りお母さんの「まだいればいいのに」という引き止めがあったが、予定通り明日には帰ることとなった。数日なら紗良も楽しいだろうが、友達の家に長期間滞在するのは気を使うだろう。娘の私でも、実は親がいる実家よりも紗良と二人で過ごす方が気楽だ。
それにしても、名残惜しそうに紗良との会話を楽しんでいるお母さんを見ていると、私が紗良に惹かれるのはお母さん譲りなのではないかという気がしてくる。私はあんなに好意を全開には出来ないけれど。
「紗良ちゃんは中学はこのあたりじゃなかったって聞いてるけど、高校はなんでこっちにしたの?」
「あ、それ私も聞いたことないわね」
ゲームの設定上、紗良が椿ヶ丘に通っているのは確定事項だと思っていたので、そのあたりはあまり気にしたことがなかったが、言われてみればそうだ。
そもそも海外赴任の両親について行かず、日本に一人残ったのも不思議な話である。中学校までの紗良の環境を思えば、ついて行きたくなるはずだろう。
「祖母の家が近いんです。叔父の家族が同居しているので居候は出来ませんけど、何かあれば頼るようにって言われました」
「そうだったの、近くに親戚がいるなら心強いわね。でも、紗良ちゃんみたいな可愛い子が一人暮らしをするのは、ご両親にも心配されたでしょう?」
「ええ、結構反対されたんですけど、なんでか残らないとっていう気持ちが強くて、頑張って説得しました!」
どや! と誇らしげに紗良が笑うが、その気持ちは百合ゲーの強制力が働いていたからではないだろうか。
紗良が海外に行ってしまえば、ゲーム上からサブヒロインが一人消えることになる。世界はそれを良しとしなかったのかもしれない。
「こっちに残る条件が、椿ヶ丘に受かることだったんです。私の成績だと落ちる可能性の方が高かったんですけど、奇跡的に受かりました」
「頑張ったのねぇ」
「はい。お父さんは無理だと思って出した条件だったみたいで、受かって嬉しいやら、離れて暮らすのが寂しいやらって言ってました」
それもやはり百合ゲーの強制力なのか、それとも紗良の努力の賜物か。これについてはどちらとも取れない。
ただ、可能性が捨てきれない以上は警戒した方がいいだろう。油断すれば、紗良が葵に惹かれて脇腹に穴が開く未来だってありえるのだ。
「一人暮らしは寂しい時もありますけど、思いきって残って良かったです。高校では友達も出来たし、詩織さんにも会えたし」
ね? と、紗良がこちらを見て微笑んだ。
二人の時ならともかく、両親が揃って目の前にいる時にそんなことを言われても、反応に困ってしまう。どうしても両親の目が気になり、曖昧な笑みで「そうね」と返すが、そこを目敏く突いてくるのが我が母である。
「あら、珍しい。もしかして照れてるの?」
「照れてないわよ」
「えっ、詩織さん、また照れてる? 可愛い!」
「もう、だから照れてないってば!」
こんなところで妙なコンビネーション発揮しなくていいから! と話を逸らそうとしても、この二人――特にお母さんがそれを許してくれるはずもなく。女三人の姦しさをお父さんに生温かく見守られながら、夕食の時間は過ぎていった。
ひとつわかったのは、紗良とお母さんを組ませてはいけないということ。頭の中で、この二人の組み合わせにはしっかりと『混ぜるな危険』のシールを貼っておいた。
多分、今後も剥がされることはないだろう。
※ ※ ※ ※
お風呂を済ませ、部屋にまた布団を敷く。さすがに今日は一緒に寝ようと言ってこないことに安堵した――のだが。
「あのね、友田先輩とちゃんと話そうと思うんだけど……どう思う?」
二人でベッドにもたれながら、まだ寝るには早いが何をして過ごそうかと話している時、「ちょっと相談していい?」と前置をして、覚悟を決めたような表情で紗良が言った。
あれからずっと考えていたのだろうか。友田さんのことはもう終わった話だと思っていたが、紗良の中では違ったようだ。
「どうって?」
「反射的にお断りしたけど、このままはやっぱりイヤだなって思ってて、でもそれは私のエゴなんじゃないかって気もするから……詩織さんの意見も聞きたいなって」
「そうね……」
ちゃんと話したいというのは、「ごめんなさい」の一言だけではなく、これまでの友田さんへの感謝や友人として大切に思っていることを、言葉を尽くして伝えた上で振りたいということだろう。
一度振られている相手から再度振られるわけだから、向こうにしてみれば傷をえぐられる行為だし、安易におすすめは出来ない。が、そういった気持ちを何も伝えずに関係が途絶えるのが悲しいという気持ちも理解出来る。
「紗良はそれを伝えて、友田さんと今後どういう関係になりたいの?」
「どういう関係に……」
「それ次第じゃないかって、私は思うわよ」
友田さんは、夏休みが明けたらまた先輩後輩として仲良くしたいと言ってくれていたらしい。それが本心からかはわからないが、もし本当にお互いがそれを望むなら、話し合う価値はあるだろう。
「今まで通りとはいかないよね。多分、最初はすごく気まずいだろうし」
「そうでしょうね」
「でも、せっかく仲良くなったのに、これでさよならはイヤだなって。少しずつでも、また話せるようになれたらいいなとは思ってる」
とつとつと希望を語る紗良がいい子過ぎて、いろんな意味で涙が出そうだ。
もし私が告白して振られるようなことがあっても、紗良は同じことを口にするのだろうか。それとも、裏切られたと思って距離を置こうとするだろうか。
高校が違う私たちは、紗良が通学ルートを変えてしまえば簡単に会わずに済むようになる。お互いに会いたいと思わなくなれば、よほどの偶然がない限り接点がなくなるはずだ。今はこんなに近くにいても、私たちの関係は実はすごく脆い。
「これを紗良に伝えるのは迷っていたんだけど、実は終業式の日の夜に陽子から電話があったの」
「え……?」
「黙っていてごめんなさい。うちに来てる間は忘れて楽しんでほしかったし、もう少し紗良の気持ちの整理がついてからのつもりだったけど、思ったより早かったわね」
「それはいいけど、……陽子さんは何て?」
どう伝えればいいだろう。陽子からの電話は、当然ながら友田さんからの報告を受けてのものだ。紹介した友人が告白したことで、紗良がショックを受けていたことが私に伝わっているかの確認。そして、私自身への心配。
話を聞く限り、友田さんは自分が振られたことを嘆く以上に、紗良に対して申し訳なく思っているようだ。紗良が恋愛を怖がっているのを知っていたのに、抑えられず告白してしまったと。
『友田はこっちで慰めとくから、紗良ちゃんをよろしく。それで詩織のメンタルがキツくなったら、また連絡してよ』
と、ありがたーい言葉をいただいたわけだが、すでに友達宣言をしてしまった後だったので軽く八つ当たりしてみたら、「見事な自爆だなー」と笑われた。解せぬ。熱い友情は生まれなかった。
「友田さん、紗良に申し訳ないことをしたって心配してるみたいよ。話しても大丈夫そうか、陽子に確認してみましょうか?」
「うん、お願い」
「わかった。返事が来たら、また言うわね」
話したいと言われて、友田さんはどう感じるだろう。大事に想われている喜びか、恋心を受け取ってもらえない悲しみか、残酷な善意への怒りか。もしくは、その全てか。
何にせよ、隣で膝を抱えて座るこの子が傷つく結果にならなければいい。
そんなことを考えていると、左側に重みを感じた。紗良が体を傾けて寄っかかってきたのだ。
「ねえ、詩織さんは女の子同士の恋ってどう思う?」
それ、この体勢で私に聞きますか!?
せっかくお風呂に入ったのに変な汗かくし、心臓がとんでもない速さでリズムを刻んでるんですけど。ああ、知らないって本当に罪深い。
「本人同士が想い合ってるなら、いいと思うけど。…………紗良は?」
「わかんない」
即答か!!
せっかく勇気を出して聞いてみたのに、がっかりだ。『ありえない』とか言われていたら、それこそ心臓止まりそうだから、少しホッとしてもいるけれど。
「他人のことなら、本人の好きなようにしたらいいと思うけど、そこに自分を当てはめたら急にわからなくなるんだよね。……例えば、私が詩織さんに恋をしたとして」
「えっ!?」
「あっ、例えば! 例えばの話だからね!?」
「え、ええ、例えばね! 例えば!」
そんな何度も『例えば』を強調しなくても……あー、びっくりした。
「今の友達の関係じゃなくなって、手を繋いだりキスしたり、それこそ昨日のことの続きをしたりするわけでしょ?」
「……そうね。昨日のことは、出来れば忘れてほしいけど」
そして、この話の流れはとてもよろしくないと思われる。最終的に、『想像つかない』とか『したいと思えない』とか言われて、告白もしてないのに振られて落ち込むやつだ!
このパターン、よく知ってる! 薄い本で何度も読んだ!
「さ、紗良、あのね……」
「手は簡単に繋げるよねー。キスとかその先は……あっ」
「な、なに?」
「私、詩織さんが相手だったら、押し倒されるより押し倒す方がいいかも」
……はい?
「体格的にも私が押し倒す側だと思うんだけど、どう思う?」
「どう思うって、えっと……」
今のこの状態がわけわからないと思っていますが!?
さっきまで真面目な話をしてたのに、どうしてこうなった!?
「よ、よからぬ想像をしてしまうので、この話はここまでにしたいと……思っています?」
今まで、そういった想像をしたことがなかったと言えば嘘になるが、紗良の口からそんなことが飛び出してくるとは思っておらず、つい本音がポロリと出た。
もう無理。深夜テンションのこんな話を紗良と二人でしていて冷静でいられるわけがない。
私の切実な回答に、紗良がおかしそうに吹き出した。
「詩織さん、顔真っ赤! あはは、やっぱり可愛い詩織さんは、押し倒される側の方が似合うよー。ねえ、押し倒してみていい?」
「だっ、だめに決まってるでしょ!」
手近にあった枕を、整った顔に向かって投げつける。見事に当たって、紗良が後ろにひっくり返った。ちなみに、後ろは布団なので安全である。
「やったなー!」
「そっちがバカなこと言うからじゃないのー!」
そこからは枕投げに突入して、人生初の枕投げに紗良が満足したところで寝る運びになったのだが、当然眠れるわけもなく。
あのまま押し倒されていたらどうなったのかとか。何かのチャンスだったんじゃないかとか。結局、紗良的に私とどうこうなるのはアリなのかナシなのかどっちなのか!? とか。頭に浮かぶのはそんなことばかり。
大体、押し倒してみていい? って何!? 押し倒した後のことまで、絶対考えてなかったでしょ!? 無責任!
それにもう、私のヘタレ! 大人しく押し倒されて、誘惑の一つでもしてみたら良かったのに! この無駄な色気は、こんな時のためのものでしょうに!
この夜。私が眠れなかったのと同じように、紗良もまた寝付けなかったのだと知るのは、ずっと先のこと。
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