26・苦手なもの

 人間という生き物は非常に欲深い生き物だ。何か一つを手に入れれば、すぐにまた次が欲しくなる。一つ手に入ったのならそれで満足しておけばいいと分かってはいても、どうにも我慢が出来ない。残念ながら人間とはそういうふうに出来ており、そして私もその一人だった。

 つまり、何が言いたいかというと、――シュシュをつけた紗良が見たいです。


 だって、考えてもみてほしい。比較的、校則が緩いうちの学校はともかく、ガッチガチの校則で染髪どころか『華美な装飾品を禁ず』なんて書いてある椿ヶ丘に、紗良はせっかく買ったシュシュをつけていけないのだ。華美な装飾品なんていう曖昧な表現だが、基本的に明るい色のついたものはアウトらしい。黒・紺・茶色のゴム以外は目をつけられるという時代錯誤っぷりに、百合ノ宮を選んで良かったと心底思った。

 もっとも、高校受験当時の私の学力では椿ヶ丘なんて逆立ちしても受からなかっただろうが。


 そんなわけで、平日はこれを身に着けた紗良が見れない。休日、もしかしたら彼女の家で見れるかもしれないけど、どうせなら今日みたいにオシャレしてお出かけしている時につけているのを見たいというのは欲ばりだろうか。否、ファンとして当然の心理だろう。

 ぶっちゃけてしまえば、贈ったものを推しが身に着けてくれるなんて最高! 早く見たい! というのが本音である。

 なので、そうなるよう働きかけるのもまた当然だった。


「ねえ、良かったら早速つけてみない?」


 可愛くラッピングしてもらったシュシュを手渡しながら言うと、「え、今?」と紗良は驚いたようだった。そりゃまあ、そうだろう。


「つけたとこを早く見てみたいなっていうのと、今日は二人でお揃いでつけて遊ばない?」

「うん、つける!」


 チョロイン……いや、素直で可愛い。こう言えば、お揃いに憧れを抱いている紗良ならきっと乗ってくれると思ったんだ。その素直さ、ずっと変わらずに持っていて欲しい。

 意気揚々とモール内のお手洗いに併設されたパウダールームに移動した私達だが、鏡の前に立った10分後、私はまったくまとまらない紗良の髪を前にして項垂れていた。


「ヘアアレンジなんて、ネットで調べたらチョイチョイと出来るものだとばかり……!」


 『シュシュ』『髪型』で検索して最初に出てきた『誰でも簡単!ヘアアレンジ!』と謳ったサイトに書いてあるようにしても、動画ならわかるだろうと動画サイトを見ながらやってみても、無理なものは無理。

 誰か! 今すぐここに美容師さん連れてきて!!


「詩織さん、もういいよー。サイドでまとめるだけでも可愛いよ?」

「うん、紗良ならそれでも絶対可愛いんだけどね」

「あ、ありがとう。そういう意味で言ったんじゃないんだけどね……」


 櫛もゴムもヘアピンもある。しかし、腕だけがない!

 そう。何を隠そう、私は筋金入りの不器用だ。これはもう、前世も今世もそうなのだから、どちらかの能力にあやかることすら出来ない。

 運動神経は悪くないし、単純に走ったり投げたりするのは得意だけど、球技などの細かい調整が必要な競技は全然ダメ。絵を描くことはできるが、彫刻をさせれば指が絆創膏だらけになる。

 簡単と書いてあるから大丈夫だろうと思ったけど、私の不器用さの前にヘアアレンジは高過ぎる壁だったようだ。


「ごめん、紗良。私が不器用なばかりに……!」

「う、ううん! 気にしないで、私も出来ないし!! あ、私も詩織さんの髪やってみたいし、交代しよ、交代!」

「うん……」


 場所を交換して、今度は紗良が私のヘアアレンジに挑戦する。解いた髪を櫛で梳かした後、最初に見ていたサイトに書いてあるようにサイドの髪を上下に分け、慎重にロープ編みにしていき、後ろで捻って仮止め。反対側も同じようにして、最後にまとめてからシュシュを…………あれ?


「紗良、出来てる。すごい!」


 不器用仲間だと思ってたら、こんなに簡単に出来てしまうなんて。あのサイトの『簡単』はまったくの嘘ではなかったらしい。『誰でも』は言い過ぎだったけど。

 ちなみに、不器用な私が料理は出来る理由は、単に慣れだ。何年も自炊してれば、そりゃ誰でも出来るようになる。


「うん、なんか出来ちゃった。詩織さん、可愛い!なんだか新鮮!」

「ありがとう、自分でも新鮮だわ」

「えへへー、あとでプリクラ撮ろうね!」


 推しと! プリクラ!!

 私、こんなにいい思いをしてしまってもいいのだろうか。もはや前世で積んだ徳なんてとっくに使い切って、来世の分まで高利貸しに借りてるんじゃないかというレベルで幸せが過ぎるんだけど。


「私ね、詩織さんにも出来ないことがあるのがわかって、なんだかちょっと安心しちゃったな」


 私が役に立たないので、自分の髪を自分で結い始めた紗良が、笑いながら言った。


「いくらでもあるわよ、そんなの」

「えー、たとえば?」

「まず、球技が苦手。あと、ゲームも下手すぎて、子供の頃友達にもう一緒にやりたくないって言われたわ」


 これはもちろん、今世での話。

 小学生の頃、友達とゲーム機を持ち寄って協力プレイをしていたら、すぐ死んで足手纏いになるし、対戦でも弱すぎてつまらないしで、かなり嫌がられたものだ。なんとかなったのはリズムゲームくらいか。


「えーっ、意外! 初めてのゲームでもハイスコア叩き出すタイプだと思ってた!」

「そうだと良かったんだけど、残念ながらね。実は苦手なものだらけよ」

「そっかぁ。詩織さんも人間だったんだねー」

「ちょっとー、どういう意味かしらー?」


 抗議の意を込めて指先で背中をツンツン突いたら、「きゃー、今はダメ! 大事なとこだから!」と、髪の毛を握りしめて器用に上半身をくねらせる。よく見たら、確かにもうヘアアレンジは終盤にさしかかってきていた。慣れてきたのか、手の動きが最初よりかなり滑らかだ。これはもう、不器用対決は私の圧勝だろう。

 数分後、「でーきた!」の声とともに鏡に映る紗良の姿を確認すると、両サイドを編み込んでサイドに流している可愛さの化身になっていた。もちろん、栗色のその髪に彩りを添えるのはあのシュシュ。

 いつものサラサラストレートヘアも最高だったけど、この髪型もたまらない。やっぱり私の推しは世界で一番可愛い。


「お揃いのシュシュに、お揃いの髪型だね」


 まとめた髪をポフポフと弾ませながら、弾んだ声で紗良が言う。

 もう、本当になんでこう一つ一つのしぐさがどれも可愛いんだろう。さっきから、頭の中の語彙力が『可愛い』以外消えてるんだけど、どうしてくれようか。パウダールームにいる他のお姉様方がこちらをチラチラ見ているのも、きっと紗良の可愛さから目が離せなくなっているに違いない。


 紗良のおかげで髪もいい感じになったことだし、一階に降りる前にゲームセンターへ寄ろうと話しながらパウダールームから出た。ああ、今日は本当に良い日だ。紗良に喜んでもらうための日だったはずなのに、すっかり私の方が幸せにしてもらってしまっている。

 そんないい気分でアミューズメントフロアを歩いていた私だったが、残念ながら幸せは長くは続かない。


「杉村先輩!」


 相変わらずよく通る、元気いっぱいの声。

 浮かれて歩く私の背中に声をかけたのは、このタイミングで一番会いたくない相手――葵だった。

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