10・そんな展開、ゲームになかったですよね?
その話を耳にしたのは、ゴールデンウィークが明けた翌日。五月晴れの陽気が心地良い昼休みだった。自分の机でお弁当を広げていた私の正面で、陽子が少しばかり声を潜めて口にしたのだ。
「詩織の姫、困ったことになってるみたいよ」と。
『詩織の姫』という言葉に一瞬首を傾げたが、すぐに紗良のことだとわかった。というか、他に心当たりがない。実際は姫ではなく推しなのだが、わざわざそれを訂正するつもりもなかった。
「椿ヶ丘の友達から聞いたんだけど、あの子……紗良ちゃん? あの通り美人で目立つから、入学してすぐに男子生徒の人気をかっさらったらしくてね」
「でしょうね。紗良は可愛いから」
「息をするように惚気るね。で、簡単に言うと、女子からは妬まれて、男子の間で奪い合いが起きたり、振られた男の逆恨みを買ったりで、今の椿ヶ丘は紗良ちゃんを巡って阿鼻叫喚のるつぼと化しているとか。そのせいで、少し前から紗良ちゃんが孤立してるらしいんだけど……」
「何それ、聞いてない!」
紗良はきっとモテているだろう、なんて考えていたのは甘かったらしい。ざっくり聞いただけでも、かなりまずい状況じゃないか。と言うか、控えめに言って地獄だ。今朝会った時もいつもと変わらない様子だったのに、まさかそんなことになっていたとは。
しかし、言われてみれば紗良から学校の友達の話を聞いたことはない。学校の話をしていても、こんな授業があったとか、どんな先生がいるとかばかりだった。
「もちろん女子全員が妬んでるわけじゃないし、同情してる子も多いよ。あと、モテない女の妬みだけじゃなくて、彼氏が紗良ちゃん好きになって振られたとか、好きだった男の子が紗良ちゃんに告白したとか好きになったとか。そういうのが多いみたい」
「それ、紗良は悪くないじゃない」
「まったくだねー」
理由があったところで、紗良が理不尽な恨みを買っているのに変わりはない。悪いのは心変わりした男子生徒だし、片思いの相手に関しては誰も悪くない。告白すらしなかったくせに文句を言うな。
とはいえ、私だって女心のめんどくささはよく知っている。特に、中学生・高校生くらいの時期は輪をかけてタチが悪い。まだ未熟な人間性に、大人と大して変わらない身体や知識を手に入れているのだ。立派な牙も爪も持っているくせに、それを使いこなす術を知らないものだから加減もせずに攻撃してしまう。最悪な時期だ。
「詩織には心を許してるみたいだし、話聞いてあげれば?」
「そうするわ。ありがとう」
椿ヶ丘に友達のいない私は、こうして教えてもらえなければずっと知らないままでいただろう。他校にも顔の広い陽子には素直に感謝だ。
しかし、妙だとも思う。こんな話、ゲームには出てこなかった。料理や勉強の話のように、紗良が葵に黙っていただけなのか、二人が仲良くなる前に沈静化したから言う必要がなくなったのか。後者だったらいいのだけれど、色々と予想外なことが続いているので安心は出来ない。
「紗良、うちの学校に入れば良かったのにね」
だったら、私がそばで守れたのに。そうぼやく私に、「本当にそう!」と陽子が大きく頷いたが、彼女の場合は可愛い女の子をそばで愛でたいだけだろう。
私の友人は、今日もまったくブレない。
※ ※ ※ ※
聞いてみる、とは言ったものの。実際に話を聞くとなると、どう切り出していいものなのだろうか。
無愛想や不親切というわけではないが、あまり他人に積極的に干渉するタイプではない私が紗良の抱えている問題に首を突っ込むのは、なかなかハードルが高い。そもそも、話を聞いてどうするのか。他校の、しかも大人数を巻き込むような問題を私が解決できるとは思えない。本当に『聞くだけ』になってしまう。
果たして紗良がそれを望むのか。私には何も知らずに普通の友人として接して欲しいと思っているかもしれない。実際、何も相談してこなかったではないか。
更に言えば、本当ならゲームで葵と親しくなる時期には解決していたのに、私が下手に関わって長引かせてしまう可能性だってある。これが一番の問題だった。
まずいな。時間が経過するほどに考えがネガティブな方へと向かって、行動に移せなくなっていきそうだ。最近の紗良の言動に、助けを求めているような様子はなかったか。悲しそうな顔をしていなかったか。どれだけ思い出しても、記憶の中の彼女はいつだって憂いなく笑っていた。
もし話すにしても、どうせ朝の電車で出すような話題ではない。切り出すなら週末の家庭教師の時になるのだが、そもそも話をすべきなのだろうか。――ああ、また話が戻った。
私が何か行動に移しても、おそらく何も変わらない。
迷惑だと思われるかもしれない。
無遠慮に首を突っ込んで、嫌われるかもしれない。
事態を悪化させるかもしれない。
かもしれない。かもしれない。かもしれない。
いろんな可能性が心を折ろうとしてくる。
でも、私は知ってもいるのだ。
辛い時、そばにいてくれる人の温かさを。
気遣ってもらえる心地よさを。
一人で立っていられない時、支えてくれる存在の心強さを。
私は何も出来ない。今の私は、無力なただの女子高生だ。
でも、大事な人が辛い思いをしているのを知りながら、ただ眺めている存在に何の価値があるだろう。見守ると言えば聞こえがいいが、それが許されるのは見守った上で何か与えられる人間だけだ。
これが私のエゴだとしても、貴女を心配している人間がここにいるのだと伝えておきたい。その上でどうして欲しいのかは、紗良が選べばいい。
『たまには放課後に会わない?』
決意が揺らがないうちにすぐさま送ったメッセージへの返信は、五分も待たずに届いた。
『会いたい!』
簡潔でありながら凄まじい破壊力のそれに、胸を撃ち抜かれたのはもう何度目か。
ああ、そうだ。推しを守れもしないオタクに価値なんてない! そんなやつは前世どころか前前前世から出直してくればいい! オタクにだって、オタクなりの矜持があるのだから!
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