第10話 食事会(1)

「アーマンディ様が来れない?」

 シェリルの言葉に、兄であるレオニダスは頷く事で返事を返した。


 アーマンディの聖女就任の儀は、公国民の歓喜の声で大地が揺れるほどだった。人々は仕事も忘れ、祝杯を交わし、今日ばかりはと宿敵とすら手を取り合って笑い合う始末だ。


 アーマンディを助けたシェリルは気絶したアーマンディを聖女の館の人間に渡し、1時間後に行われる予定だった食事会を3時間後にするように延期を申し出た。

 これには同席を予定していた大神官も快諾した。そして3時間経過し食事会の時間となった今、アーマンディの不在がアジタートより知らされた。代理で自分が出席するというのだ。


「代理?意味が分からない。もう聖女を降りた身で私達と対等だとでも思っているのか?」

 イライラした様子でシェリルがテーブルを叩くと、母であるアントノーマが真紅の扇子を開き嘆息する。


「理解できないほど、頭が悪いのかも知れないわね」


 この国には明確な階位制度がある。聖女を筆頭に、次が大神官と公国王、そして次に各公爵。次に公爵の伴侶、並びに次期公爵たる小公爵。そして次が公爵の子供。公爵の両親はその次というように。


 基本的にシェリルは階位として5位。公爵の妻である母と小公爵である兄は4位となる。

 そして聖女を降りたアジタートは現公爵の叔母。叔母ともなると更に階位は下がり10位となる。


 階位の上下では明確な決まりがあり、命令の受諾の、行事の出席の有無、細かい事では食事の際のマナーなど多岐に渡る。そのルールのひとつに、下位である者は上位の代理はできないというものがある。つまり下位となったアジタートが最上位であるアーマンディの代わりに食事の同席を申し出るなどもっての他だ。

 そもそもシェリルは現在に限っては5位ではない。シェリルはアーマンディの騎士を大神官と公国王の承認を得て申し込んだ。そうなると変わってくる。聖女の騎士となれば2位。現在聖女の騎士候補であるシェリルは3位の資格を持っている。


「下位のものが第2位である大神官様と第3位であるシェリルとの同席を申し込むなんて……マナーを知らないにも程があるわ」


「何を笑っているんですか?母上だって食事会には同席でしょう?母上だって4位です。この国に8人しかいない存在相手に――ふざけている」

 珍しく兄のレオニダスが声を張り上げる。


 今回、大神官が用意した食事会の出席者は大神官、アーマンディ、シェリル、そしてシェリルの母の4人だった。大神官がアジタートを外したのは計略ではなく、この明確なルールのためだ。二桁のものと一桁の者は原則、公的な食事を共にすることは許されない。


「アーマンディ様はご無事でしょうか?スピカ様の力を初めて下ろした聖女が人事不省なるのは良くあることです。ですが今までの例で行くと2時間程で目覚めると聞いていました」

 シェリルの疑問にアリアンナは扇子を閉じて答える。


「ええ、大神官様もそれをご存じだったから3時間後で快諾されたのでしょう。おそらくアーマンディ様はアジタートによって隠されたわね」


「失敗しました……。あのまま一緒にいれば良かったです」

「それはあの時点ではできなかったわね。シェリルはまだアーマンディ様の騎士ではなかったもの」


 下を向き、深く後悔のため息をつくシェリルを見て、アリアンナは気分を変えるように扇子で手を叩く。

「それで?大神官様はどうされるおつもりなの?」


「大神官様はシェリルの判断に任せると。今回はアーマンディ様とシェリルの顔合わせですからね」

「アジタートになんぞ会いたくない。食事会はなしだ!」


「それは短慮ではなくて?これを機にアジタートはアーマンディ様を外に出さないかも知れなくてよ?聖女の館に入ってしまえば外部からの侵入は難しいもの」


「しかし、シェリルはアーマンディ様の騎士を公式に申し込みました。アーマンディ様とて無視はできないでしょう。それを口実に呼び出せるのでは?」


「あら?私に戦術を語らせる気?時間を与えれば与えるほど、敵は準備する時間が増えると思うのだけど……その時間を与えるなんて、実に愚かなことだと思うけれど?」


「それはそうですが……」

 レオニダスは言葉が返せず、シェリルを見る。シェリルはあくまで下を向き、誰も見ようとしない。


「シェリル……ここは母に任せなさい。アーマンディ様を聖女就任祝いの夜会に引っ張り出してみせるわ。ここを逃せば、もう機会は来ないかも知れないわよ?」


 シェリルはやっと顔を上げてアリアンナを見る。アリアンナはまるで子供をあやすように言葉を紡ぎ、微笑んでいる。


 母の言う事は一理あると、シェリルも思う。聖女の館は部外者が入る事は難しい。スピカ公国第一位の位をもつ聖女が住まう館だから当然のことだ。アジタートの位が下がっていたとしても、アーマンディが望めば聖女の館で後見人として入ることは可能だ。すると階位も当然上がる。もしそれをアーマンディが望むのなら、それまでの聖女だ。仕方がないと思うだろう。


 だが、シェリルが見たアーマンディは違う。細すぎる体が満足に食事を与えられていないことを物語っていた。そして、何よりもあの全てを諦めたかのような目。誰かに縋りつきたいのに、それを諦めて生きていることが分かった。おそらくアーマンディはアジタートに虐げられている。


 本当は聖女の館の人間にアーマンディを渡したくはなかった。だが当然のようにアーマンディを引き取りに現れたアジタートや信女達を、大勢の貴族や他国の諸侯の前で無視する事はできなかった。


 あの時、手を離さなければ……今さら思っても仕方ないことを悔いるばかりだ。ましてやあの時点では、ここまでアジタートが強硬にアーマンディを隠そうとするとは思っていなかった。

 もしここで食事会を無視すれば、夜会もアーマンディは病気とでも言って欠席することができるだろう。そして今後もそれが続けば、永遠に会う機会は無くなってしまう。


 自分の最愛の人を……。


 上を向き、シェリルは息を吐く。

 正念場だ。もう子供ではないのだから、我慢することも必要だ。例え顔を見たくない相手でも……。

 

「母上がアジタートを懲らしめてくれるのですか?」

 正面のアリアンナを見据えると、アリナンナは扇子で顔を隠し、優雅に笑った。


「母に任せなさい。あなたの最愛の人を救い、更にあのクソババアに吠え面かかせてやるわ」


「ふ……そうであれば我慢しましょう。母上に全てを任せました」


「シェリル、父上にも後でお礼を言ってやれ」

「兄上?そういえば父上がいませんね?」

 今更キョロキョロしながら父を探すシェリルを見てレオニダスは深くため息をつく、


「父上はお前をアーマンディ様の騎士にするために、公国王に挨拶に行ったり大神官と打ち合わせをしたりしているんだ。各公爵とも話をしてるんだぞ?」


「え?あの腹芸が苦手な父上が?」


「そうよ、あなたの一目惚れの相手がアーマンディ様と分かってから、あの人は本気を出したわ。それまではやる気半分、できなかったら別に良い、と言った雰囲気だったのにね。本気を出したあの人はすごいわよ?それこそ一介の商人の娘を公爵夫人に迎えるくらいにね?」


 ウィンクをするアリアンナは、戯けて見せるが誇らしげだ。

 

 シェリルとレオニダスの母は、裕福ではあるが市井の商人の娘だ。貴族ではない庶民は無位でしかない。普通に考えればヴルカン公爵となるイリオスの妻となるのは有り得ない。だが、『一目惚れ』してしまえば別だ。ヴルカン公爵家では伴侶として何よりも優先される事項となる。


「そうですか……そこまで父上にやらせているなら頑張るしかないですね」


 無条件でシェリルに優しい愛を与えてくれる両親と兄には感謝しながら、シェリルは剣の柄に手を置いた。守るべきものを胸に抱く決意を込めて。

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