第9話 聖女就任の儀(4)
祈る姿のスピカ神の彫像を見ることで、アーマンディは周囲の視線を気にしないようにして歩く。
自分が今ここにいる理由は分からない。だけど、どうかネリーだけは無事で生きられますように……アーマンディの願いはそのくらいのものだ。
自分の周囲で囁く声は聞こえないように、耳に蓋をする。外で響いていた聴衆の声と同じで、聴きたくないと思えば声は聞こえない。例えそれがアーマンディに対する美辞麗句で、聖女の就任を歓迎するものであったとしても。本人が聞こうとしていなければ、耳には届かない。
アーマンディはふと周囲とは違う視線を感じ目を向ける。するとそこには真紅の騎士服を身に纏った目にも鮮やかな美しい女性がいた。精悍な騎士服姿にも関わらず、どこか倒錯的な姿に一瞬、アーマンディは目を奪われる。自身と同じあべこべな姿にも関わらず、自信に満ち溢れた表情。同じようで違う境遇を感じて、少し寂しくもなる。
アーマンディを凝視している女性の前を通り過ぎ、そして大神官の前に立つ。だが自分が何をすべきかは分からない。言われたことは、ここで終わりだ。どうして良いか分からず、大神官を見つめていると、大神官の視線がスピカ神の彫像に向き、次にアーマンディを見て、自身の指へと動いた。アーマンディがじっと見ていると、次に大神官の指が軽く、足元を指差した。指差した先には魔法陣が描かれた台座が置かれてある。一瞬で理解し、アーマンディは台座に跪き、祈りの姿勢をとった。
それを合図に大神官が祝詞を読み上げ、唱和するように、女神スピカを讃える讃美歌が流れ始めた。
大神官の祝詞は神々の言葉、古代語だ。アーマンディは子供の頃、少しだけ習った。その知識を思い出しながら聞いていると、アーマンディが聖女として認められるようにスピカ神に祈っていることが分かった。
これが最近の怒りの原因かと思い、アーマンディは心の内でため息をついた。
ここ最近、体罰の日数も量も増えているとは思っていた。アジタートが自分を聖女と認めたくないことは分かる。自分は魔力が弱く、さらに男だ。世間ではもちろん、スピカ神も自分を聖女とは認めないだろう。聖女は神と大地を繋ぐ存在。こんな自分ができるわけがない。なれるわけがない。
長い祝詞の後に、大神官より差し出された手を取り、立ち上がったアーマンディはその穏やかな顔を見る。
以前ここに来た際にも穏やかに微笑んで下さった。そういえば、あの時脱出できたのはどうやったのだろう。逃げた道も、方法も思い出さない。そう思いながら、その先にあるスピカ神の彫像を見ると、慈愛に満ちた表情で微笑んでいる。
「スピカ神の足元にある錫杖をお取りになり、そして皆に向き合い、錫杖を右手で掲げてください。それでこの式は終わりです」
誰にも見えないように耳打ちされた言葉に、深く感謝の言葉を述べ、アーマンディは女神スピカの彫像の元へ向かった。大神官の言葉の通りにあった錫杖を手に取ると、ずしりとした重みが細い腕につたわった。歴代の聖女も握ったであろう錫杖の重みに押し潰されそうになりながら持ち上げると、鈴の鳴るような声が頭の中に響いた。
《あなたの望みを教えて……》
望み……人に言えるようなものはアーマンディの中にはない。最大の望みは死だ。だけどそうすると残されるネリーのことが頭をよぎる。
「望みは……ネリーの目に光が宿ること……」
誰にも聞こえないように、呟くとそれが本当に最大の望みのような気がしてくる。
《本当に?》
まるでアーマンディの心の内を分かっているかのように、優しい声が響く。
「本当は……」
どうしてか分からないが本心を告げたくなる自分を自覚しながら、アーマンディは誰にも言えなかった願いを吐く。ここに大勢の人がいる。告げることが危険だと分かっているはずなのに、なぜか言葉が出てしまう。
《あなたの願いは叶うでしょう。私の愛しい子……聖女アーマンディに祝福を》
優しい声と気配が消えたと同時にアーマンディに光が差した。いや、光は差したのではない。降ったのだ、天より生じた巨大な魔法陣より!
天から発せられた巨大な魔法陣は大聖堂を貫き、真っ直ぐにアーマンディの上に落ちた。あまりにもの巨大な魔力と光の本流で目が眩みそうになる自分を自覚しながら、アーマンディは後ろを向いた。周囲の視線がアーマンディに注がれているのが分かる。正確には光の柱にだ。近くにいる大神官ですら驚いて天井を見上げるばかりだ。
この暴風のように荒れ狂う魔力はアーマンディの中に留まっている。解放して放つことが必要なことは理解できるがその方法が分からず、助けを求めてアーマンディの視線は右に左へと彷徨う。
だが、いつだってアーマンディに助力するものはいなかった。幼いころから指導という名の体罰を与えられ、極寒の中で震えながら眠った日も、灼熱のような暑さの中で食事も与えられず眠れなかった日も、痛みに耐えきれず体を丸めて泣いた日も、誰ひとり助けてくれるものなどいなかった。いつもひとりで泣いて生きていた。今回だってそうだ。自分で自分を助けるしかない――そう思いアーマンディが前を向いた時、その視線の先に捉えた人物に光が差しているように見えた。
誰しもがアーマンディに落ちる光の柱の魔力に慄いている中、真紅の騎士服姿の女性は余裕な態度でアーマンディに近づいていく。その長い黒髪が光の魔力の強さでサラサラと宙に舞う様に泳ぎ、胸につけた勲章がカチャカチャと音を鳴らす。だが、まったくその事を気にしない風で近付く女性―シェリル―は、アーマンディの正面に立つ。
「大丈夫です。落ち着いて下さい。これはスピカ様のお力、聖なる光です。深呼吸をするように息を吸い込み、息を吐くようにゆっくりと力を解放して下さい」
動揺するアーマンディが分かったのか、シェリルは優しく笑い、その手を取る。さらにアーマンディの手に軽く口づけを落とすと、その唇が離れた瞬間にふたりを中心に新たな魔法陣が出現した。
「さぁ、一緒に力を解放しましょう」
「――ありがとう……ございます」
自然にでたお礼の言葉と共に、アーマンディに降りていた光の柱がふたり中心として大海に煌めく波のように広がり祈りの間に満ちる。そして壁をすり抜け大聖堂へ広がり、大聖堂を中心として円のように外へと外へと広がっていく。その淡い光の波は子守唄のような優しい波の響きと共に、中央都市ミネラウパの大地を満たし、さらにその先へ、森へ、川へと広がっていく。絶える事のない光の波は凄まじい勢いで大地を掛けめぐり、スピカ公国全土に広がっていく。
その光に触れた老いた者に力を、若者に希望を、病んだものに癒しを、そして善なる者にも、悪しき者にも心に光を灯しながら広がる優しい波は大陸の果て、国境線で淡く消えた。
大聖堂内、そして中央都市全体、スピカ公国中に歓喜の声が沸き起こる。誰しもが女神スピカと、そしてアーマンディを誉めたたえる。
大聖堂内の声が特に大きい。自分たちが奇跡を見た証言者だと、貴族たちは声を上げる。そんな大騒ぎの中、意識を失ったアーマンディはシェリルの片腕に抱き抱えられ、一粒の涙を流した。
その涙を密かに拭い、シェリルは微笑みながら自身の運の良さに感謝していた。
自分の主人になる聖女アーマンディは正常な思考を持ち、神の力を受け入れることができる程魔力の器も大きい。今までの噂はアジタートが作り上げた虚像。この方であれば仕えるに値する。
アーマンディの膝の下に片手を入れ、ぐっと力を入れ軽すぎる体を横抱きにし、聖女を待つ人々の元へと降りていく。皆の歓喜の声を受けながら、シェリルは悠然と微笑む。
そして自分は間違っていない、ヴルカンの本能は間違わない。アーマンディ様は男性だ!
その事実を胸の奥にしまいながら。
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