第8話 聖女就任の儀(3)
大聖堂と公国王城は中央都市ミネラウパの中心地にあり、背中合わせになる形で建てられ、大聖堂が東、公国王城は西に正面門がある。聖女の館はその二つの建物の間に守られる様にある。
その聖女の館からアーマンディはアジタートとガーネットに脅されながら外に出て、真っ先に空を見上げた。
この扉を最後に潜ったのはいつだろう。いや、その前に青空を見たのもいつぶりだろうか……そう思いながらアーマンディが見上げた空の色は、目が痛むほど鮮やかに美しく青い。この美しい青色ををネリーに見せてあげたいと思うが、自分にそれだけの力がないことも分かっている。彼女の目を癒すことはおろか、外に出ることもままならない。次にこの抜ける様な青空を見れるのが何年後なのか、それすらも不明だ。
だがいつかネリーだけでもあの牢獄の様な場所から解放することができれば……それを願いつつも、その時が来た時の寂しさを思うと心が張り裂けそうになる。
「アーマンディ、付いてきなさい」
相変わらず冷たい声で命令するアジタートの後ろをアーマンディは無言でついていく。その後ろにはガーネットがいる。
聖女の館は美しい花々に囲まれている白を基本とした壮麗な建物だ。花園を抜けると人の背丈の倍ほどの高い壁があり、重く閉ざされた門が見えた。聖女の館の東門だとアーマンディは判断する。となればその先にあるのは大聖堂だ。高い門からでも大聖堂の尖塔が見える。
門を潜ると、多くの信女たちが門の先にいた。左右に並んだ信女たちは40名程だろうか。恭しく頭を下げている。見守る信女達を通り過ぎるようにアジタートが先を歩き、次がアーマンディ、そしてガーネットが通り過ぎると、後ろを信女達が4列になって歩き始めた。何が起こるか分からず、恐怖を感じながら、アーマンディはアジタートの後ろを歩く。
用意されていたドレスには女性の体形に見せる補正下着もあった。そして聖女の館を出る際には大きな深い蒼色のサファイヤのネックレスを付けられた。
宝石を触ったことがない自分でも分かるほど高価なものだということが分かる。前を歩くアジタートの胸を彩るものよりもずっと……。そして頭から地面まで長く影を落とすヴェールもなんらかの花の模様であり、ひと編み、ひと編み心を込めて作られたものだということも分かる。
冷たい物言わぬ宝石であるはずなのに、温かい感じがする。不思議な思いに満たされながら歩くアーマンディの目に飛び込んできたのは、太陽に煌めく白亜の大聖堂の5本の尖塔。そして大聖堂まで続く石畳を挟み、直立して立つ公国旗を掲げた聖騎士達だった。
さらに大聖堂に近づくと門外より怒号にも似た声が聞こえてくる。何を言っているのかアーマンディに聞き取ることはできない。ただ、恐怖で体がすくむ。
言葉を発することもできずアーマンディはただただアジタートの後ろを歩む。自分を見る聖騎士達の視線の意味も分からない。外から聞こえる声の内容も分からない。自分がちゃんと歩いているのかも分からない。まるで極刑を言いわたされに出向く罪人のような面持ちで、アーマンディは歩く。ヴェールに覆われた顔は真っ青で、唇は震えている。
何が起こっているのか分からないまま、分相応な衣装を着せ、さらに逃げ場をなくすような形で周りを取り囲こむ、この状況を生み出したのはアジタートだ。幼い頃から恐怖で抑えつけられていたアーマンディには、それがどれほど辛いことか、アジタートは分かっていてやっているのだ。自分の言いなりにするために。
それぞれの思惑を胸に、大聖堂の正面入り口をくぐり、さらに奥に奥に入っていく。そして辿り着いた先は大聖堂の最奥の場所。最重要行事しか行われない場所。女神スピカ様の美しい彫像が最奥にある祈りの場。
その扉の前でアジタートは立ち止まり、今までアーマンディに見せたことのないような美しい微笑みを見せる。その微笑みは慈愛に満ちた女神のように美しい。
「私はここまでよ。後はがんばりなさい」
意味が分からないアーマンディは目を見開く。
アジタートの越しに広がる扉の最奥には天井まで届くスピカ神の祈り姿の彫像がある。その足元にいるのは大聖堂を司る大神官。アーマンディは一度だけ会った。大神官は、優しい穏やかな笑みを浮かべている。大神官の足元から入り口までは、蒼いカーペットが長く伸びている。そしてその両側には美しい色とりどりの衣装に身を包んだ各国の代表、そしてスピカ公国の公爵またそれに類するものが立ち、アーマンディの登場を今か今かと待ち侘びている。
「あ……あの……」
アーマンディの言葉はアジタートに抱きつかれたことによって消えた。
「早く大神官のジジイの元に行きなさい。行かないとネリーを殺すわよ?」
アジタートから小声で伝えられた適切かつ、残酷な贈り物によりアーマンディの思考は途絶えた。
行くしかない、何ひとつ分からなくても、ネリーのために!
アーマンディが一歩を踏み出す決意をしたと同時に、アジタートは彼から離れ、その背を軽く押した。
行きなさい……そして恥をかくといい!アジタートは残酷な心の内を隠し、聖母のような笑みをアーマンディを待ち侘びる人々に向けた。
◇◇
「ほう……これはこれは」
祈りの間の最奥、スピカ神の彫像に近い場所で現ヴルカン公爵イリオスはため息にも似た声をもらした。
「アーマンディ様の母親、アントノーマ様は絶世の美女と名高かったと聴いておりましたが、まさかこれほどの美貌の持ち主とは……。諸侯も皆、見惚れていますね」
レオニダスの言葉に、母であるアリアンナも同意する。
「詩人の言葉を使うならば、煌めく星々の輝きを集め筆にし、さらに七色に輝く虹を溶かして絵の具にしても描き切れない美しさ……とでも言えば良いのかしら?女性の私でも惚れ惚れしてしまう美しさだわ。まぁ、なんと美しくお歩きになるのかしら。ヴェールでお隠しになるのが惜しいくらいの、月を溶かしたような輝く銀髪だわ」
「あの深い海のような蒼い瞳も素晴らしいですね。ネックレスとティアラに光る極上のサファイヤよりも美しい。シェリルもそう思うだろ?」
兄の言葉にシェリルは答えず、呆けたようにアーマンディをじっと見ている。
「あら?シェリルも気に入ったみたいね。それは重畳」
母の言葉も耳に入らない。
「これでヴルカン公爵家の行く末も安泰だな」
父の言葉も聞こえない。
食い入るようにアーマンディを見るシェリルは、その心の中に劫火のような炎を灯し、頭の中には稲妻のような轟音が鳴り響いていた。激しい動揺の中、アーマンディから視線を離すことができない。今すぐにも駆け寄ってその顔を正面から覗きたいと思いつつ、その瞳に映る自分を想像したら逃げ出したくなる衝動に駆られる。
これがヴルカン公爵家の人間にのみ起こる感情……『一目惚れ』だと分かると、笑いも出てしまう。
まさか、相手は女だぞ?心の中で自分を縛るこの気持ちを消し去るために言葉を漏らしても、それでも激しい恋慕の思いがシェリルの中で燃え上がる。
ヴルカン公爵家の人間はそういうことが多々起こる。より優れた子供を作るためのシステムだと言う人間もいるし、先祖であるヴルカン公爵が劇的に恋に落ちた相手との間に産まれた子供達だからと童話になぞらえる者もいる。
だが、それら全てが出会ってしまえば消し飛んでしまう。本能が求める相手といえばそうだ。現に父も祖父もそうだと聞いた。そして27歳にもなる兄が結婚できていない理由も、そんな相手に出会えていないからだ。だが、実際自分が出会ってしまうとは……しかも女性に?ましてや自身が騎士として守らなければいけない相手に?意味が分からない、だけど求めずにはいられない。不敵な笑みを漏らし、シェリルは目の前を通り過ぎるアーマンディを見る。
存在しているのが危ういような美しい人と、一瞬……目が合った。そんな気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます