第7話 聖女就任の儀(2)

 黒い馬車には真紅の薔薇が描かれている。縁を彩る豪奢な金細工、そして大きな車輪に装飾された純度の高い金は、豊かさの象徴にも見える。その馬車を引く馬は艶めく黒い立髪をたなびかせ、誇らしげに闊歩する。

 御者の衣装はブルカン公爵家の真紅の騎士服を着用し、馬車を守る様に取り囲む騎士達と同じ物だ。


 その精悍な姿を見て中央都市ミネラウパの人々は歓喜の声をあげる。中にいる貴人を見ようと、声を上げる人までいる始末だ。


「騒がしいな……」

 そっと馬車のカーテンを捲ったシェリルは、目が合った沿道の人々に手を振った。更に歓喜の声が青い空に響く。


「シェリル……カーテンを締めなさい」

 そう嗜めたのはシェリルの母アリアンナだ。赤みがかった黒髪に、焦茶の瞳。シェリルの母はヴルカン公爵家の血筋の者ではない。ヴルカン公爵領の直轄地にある裕福な商人の娘だ。

 ヴルカン公爵家にはこの様に血統に拘らず婚姻を結ぶことが多々ある。


「まぁまぁ、シェリルも緊張しているんだ。なんと言っても自分の主人になるかも知れない人と会うんだ。仕方がないだろう」


 自慢の黒々とした顎鬚を触りながら、笑うのはシェリルの父であるイリオスだ。血の様な紅瞳を持つ現ヴルカン公爵である父は、公爵衣の上からでも分かるほど筋肉隆々の体躯をしている。その大きな身体に相応しい手で、シェリルの頭を撫でようとしたところで、シェリルに手を弾かれた。

 父親のしゅんっとした姿を見て、シェリルが大きくため息をつく。


「緊張などしていませんよ。いつまでも子供扱いはやめてください。私はもう20歳ですよ?」


「幾つになってもシェリルはかわいい自慢の子供だ。だが今回のことを受け入れてくれたと言うことは……確かに子供扱いはできんな。ありがとう、シェリル」


「……いえ」

 ぷいっと視線を外すと、横に座る兄と目があった。すると兄はにこりと笑う。


 このメンバーだと子供扱いされて居心地が悪い……シェリルはそう思い、軽く赤くなった顔を隠す様に今度は窓の方を見る。


 アーマンディの聖女就任の儀のために中央都市へ訪れたシェリルの噂は瞬く間に広まった。ここ数年のスピカ公国は魔物の出現も多く、天候も安定していない。聖女アジタートの力の衰えのせいではと市井で噂されているが、声高に言えるものなどいるはずがない。


 そんな中で新たな聖女として立つことになったアーマンディへの期待は大きい。精神薄弱で魔力も弱いとは言われているが、冷酷無比なアジタートよりはマシだと思われている節があることは否めない。


 しかも力が弱くても補える存在が当代にはいる。それがシェリルだ。ヴルカン公爵家の血統に女子が産まれる事が稀な中、何百年振りかの直系のもの。魔力も強く、更に容姿も美しくその姿には知性が光る……そうであれば足らぬアーマンディを補うには十分だと公国民は考えているのだろう。ただでさえブルカン公爵家の者が聖女に仕えた御世は栄えるのだ。十分に期待するに値する。


「シェリルは確かに大人になりました。お陰であのアジタートも疑うことなく、無事に聖女の儀を行うことができます」


「ええ……本当に大人になったこと。あとはアーマンディ様が気に入らなくても、騎士としての宣誓をすれば、一人前として認めましょう」

 兄レオニダスがのシェリルを誉めると、すかさず母のアリアンナが釘を刺す。


 この母には勝てそうにない……シェリルは聞こえないふりをして、さらに窓にかかった分厚いカーテンの隙間から外を垣間見る。


 シェリルが中央都市ミネラウパ行きを表明してから数日後、ヴルカン領にアジタートの手の者が入ったと連絡があった。アーマンディを使って自身が裏で権力を握りたいアジタートにとって、シェリルの存在は目の上のたんこぶだ。ヴルカン公爵家本家のシェリルがアーマンディの騎士になれば、その権威はシェリルの実家ヴルカン公爵家に移る。それが分からないほど、アジタートが政治に無知なわけがない。そうなると何がなんでもアジタートはアーマンディの聖女の儀を取り止めにするだろう。


 そう判断した両親や兄はシェリルに、弱者であればアーマンディの騎士はしないと触れまうよう指示した。渋々ながらもシェリルは了承し、自身の友や部下、あげく街中でもそれを言い回った。結果、アジタートは騙され、兄には褒められた。


 演技ではなく本心だから、騙されてくれたのだろう……そう、シェリルは思っている。

 弟であるルーベンスの前で格好つけるために、自分で決めたことではあったが、やはり好ましくもない相手の騎士をしたくはない。自身が4大公爵であるヴルカン公爵家の直系、しかも本家のものであることは自覚している。それは誇りでもり、それゆえに受ける恩恵もあるが、こういった時には犠牲にならなければいけない。


 本来ならば、ヴルカン公爵家の子女と聖女には互いに選択できる権利がある。彼方が望んでもシェリルは断る権利があるのだ。それは逆もまた然り。


 アジタートがアーマンディに断るように指示をすれば終わりではないだろうか?もちろん、なんらかの策は考えているのだろうが……今更ながら、その可能性に気づいたシェリルは兄をじっと見る。


 シェリルと同じ深い闇のような黒い髪、血のような赤い目。そして父に似た強靭な肉体。だがその視線は柔らかく優しい。口元は父に似て厚いが、顎にはひげをたくわえていない。自分より7つ上の兄はいつだって自分を子供扱いする。シェリルがルーベンスを可愛く思うように、兄もいつまで経ってもシェリルをそう思っているのだろう。


「なんだ?シェリル、じっと見て」

「アーマンディ様が私を断った場合はどうすれば?」

「ああ、そうなったら仕方ないな。だが、私の可愛い妹が断られるわけがないだろう?」

「はぁ?」

 まさかの無策に声を上げるシェリルに対して、兄は変わらずニコリと笑う。


「断るためには本人が公的な手順を踏み、皆の前で口にだす必要がある。精神薄弱であれば言うこと自体が難しいだろう。言えたならそうではないということだ。そして言えた場合にはふたつの可能性がある。一つはアーマンディ様自身がアジタートの傀儡になることを望んでいること。そしてもうひとつは?」


 シェリルを試すように質問を投げかける兄をひと睨みし、シェリルは正面を向いた。

 

「そうせざるを得ない状況にあるということですね」

「そうだ。さすが私の妹は賢いな」

 頭を撫でようとする兄の手を叩くと、母がクスリと笑った。


「断らせない状況は準備しているわ。これから大聖堂で行われる聖女就任の儀の後は、大神官様主催のアーマンディ様とあなたの食事会があるわ。アーマンディ様の聖女の儀が終われば、アジタートは聖女ではなくなり、本来の階位である現シルヴェストル公爵家頭首ケイノリサ様の叔母という位しかもたなくなるのがこの国の掟。そうなればヴルカン公爵家と大神官様、そしてアーマンディ様の食事会には出れなくなるのよ。前聖女ジェシカ様より引き継ぎができていないアジタートはこのことをご存知ないようだけど……ね。ふふ、浅はかな女は嫌よね?」


「ええ、本当にそうですね。聖女就任の儀の後の食事会は憂鬱でしたが、クソババアが来ないと分かると気分も良くなるものです」


「やだわ……シェリル、まだ一応聖女様よ?敬意を払いなさい。アーマンディ様が聖女になった後はクソ婆でも、頭の弱い愚かなばか女でも、権力に固執する醜い豚女とでも言えば良いわ」

「ああ、そうですね。ぜひ本人の前で言いたいものです」


 母娘の怖い笑いに父と息子は顔を見合わせ、そして苦笑いを交わす。

 その時、御者から合図が入った。


「どうやらもうすぐ到着のようだ」

「そうですか。さて、鬼が出るか蛇が出るか」


 聴衆の歓声を背に、ヴルカン公爵家の馬車は大聖堂の門に辿り着いた。

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