グリーンランド 4

 桶、いっぱいのお湯と、タオルで何をするか。

 目の前で湯気漂う桶は、その答えを、ゆらりと琴誇に訴えた。


 お湯につかる、という文化は。

 水源が多いからこそ、できるのだ。

 ソレこそ、垂れ流すほど余っており。

 水瓶なんてものを用意する必要もなく。

 水を使い続けられる環境があってこそ、だ。


 ガスが、安価に各家庭で、手軽に使える環境ではないのだ。

 薪も、グリーンランドとはいえ。

 毎回大量に使えば、懐事情を簡単に圧迫するだろう。


 川が見えなかったグリーンランドの水源は、井戸に依存しているのだろう。

 こうなれば、水はコップ一杯であっても貴重だ。

 くみ上げるのに、労力がかかり。

 井戸だからこそ、地下水も湧く量には、限度がある。


 生命線の飲み水を使い、薪で湯を沸かし。

 こんな桶イッパイのお湯を用意するだけでも、だ。

 毎日のことだ、相当な贅沢に見えるのだろう。


 体をキレイにするだけなら。

 井戸前か、川の水で体をきれいにするのが、一番手軽なのだから。


 風呂文化が、以外に少ないユーラシア大陸。

 イギリス・中国・ドイツ・インド等々。

 風呂に入らないのを、日本人の感覚からすると、不潔に思えるが。

 飲み水を使ってまで、体をキレイにするコトがデキないだけだ。

 体を生活にするなら、川を見つけて、水浴びするしかない。


「日本の水資源と、火山大国のありがたみを、こんな形であじわうのか…」


 日本は、世界で、まれに見るほど、水資源に恵まれている国だ。

 つまり、それだけ、山が多く、雨が良く降り、流れる川が多い。

 火山も多ければ、お湯を作らなくても、沸いてくる。


 日本本島なら、現代重機の力で、地下に掘り進めれば。

 ドコでも、いつかは温泉を引き当てることがデキるほどだ。


 全てが、全てではないが。

 各国に比べれば。

 山から流れる川の水、湧水、この数が異常に多く、水質は、かなり高い。


 大陸が大きくとも。

 この湧水や川の水がなければ、水道局のない世界で、人は生きられない。


 雨量が少なければ、井戸を掘ったところで、湧き出る水には限りがある。

 無駄にして良い理由はない。


 有り余る水源、源泉あればこそ。

 日本で、お湯につかることが文化になるのは。

 当然だった言えば、そうかもしれないが。

 四季や海に囲まれ、雨が良く降る立地なくして、得られるモノでもない。


 言葉通りの異文化。

 北大陸がどれほど大きいのか、琴誇には分からないが。

 内陸だとするなら、日本の感覚が通じないのも当然だ。


 全世界的に、平均的な内陸の、水資源の国ともなれば。

 大きな風呂が、目の前の桶に変貌するのは仕方ないこと、なのだが。


「なにが、夢の異世界生活だ!」


 数多く描かれている、異世界転生冒険譚。

 それらで活躍する主人公たちは。

 この、異常に落ちた生活レベルで生活しなければ、ならないのに、だ。

 生き生きと、生活しているように描かれている。


 それが、女子高生であってもだ。


 実際、コンナ環境に来た、現代日本人は。

 田舎に行きたがっている、都会人と同じ現実を突きつけられ。

 琴誇のように、帰れなくなるだけだ。


 トイレの扉を開けば、現実とイヤでも直面するだろう。

 悪臭放つ、紙すらおいていない、おトイレに。


 ワンルームのボロアパートが、輝いて見える室内で、琴誇は、お湯に手を浸す。


「ぬ、ぬるい」


 こんな温度のお湯で風呂に入れば、風邪をひくだろう。

 冷たくないのが、贅沢だと、言われているようである。

 ぬるさが、手の先から体の芯まで響くようだ。


「わびしいなぁ…」


 と、ドアが雑に開け放たれ。

 アリサが笑顔で、ペチャクチャと、陽気に話し始めるが。

 会話の中で理解できる単語は、「ことこ」と「たくしぃ」だけ。


 なのに、琴誇は、目の前のアリサが、なに言っているのか。

 理解できるような気がした。


 表情と、口調のイントネーションが、言葉以上に語るものは、確かにある。


 アリサという人柄を、よく知っているから。

 それが、一番大きいのかもしれない。


「このホテルが最高でしょ、って言ってるの?

 そうかもしれないね。良くわからないけど」


 すぐに、キョトンとするアリサの顔。


 またペチャクチャ言うが。

 いい加減、理解してほしい、と。

 琴誇は、ため息とともに、頭を左右に振った。


「本当に通じないのかだって?

 最初から言ってるじゃないか、アリサ」


 アリサは、口からいくつか言葉を吐き出すも、口先を迷わせ。

 ついに右手が、後頭部をかきむしる。


 もう、アリサが何と言いたいか、この一言で分かるのだろう。


「たくしぃ!」


 琴誇は、強引に腕を引かれ。

 ホテルの室内を、滞在時間・三十分未満で退場。


 桶のお湯を温めたであろう、中年男性の労力は。

 こうして無駄になるのだった。


 アリサに指さされ、馬小屋脇に停めた車のエンジンキーを回す。


 助手席側にある電子掲示板に、赤く空車と浮かびあがり。

 時代錯誤のキュピーなんて音をさせ起動する、無線機型翻訳機。


 メーター機の小さな液晶には。

 まるでSFロボットさながらの、英文で書かれた文字が、次々と浮かび上がり。


 最後に、OKと、いくつも表示され、見慣れたメーターの表示に切り替わる。


 実車を押さなければ、いつまでも時間を刻み続けるメーター機。

 そして、どういう理屈か、全く理解できないが。

 ダッシュボード上で寝ていたナビィも目を覚まし、琴誇に顔を向けた。



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