14. ”終わっていないこと” ”なかったことにしていること”
(10月21日 夕方)
家に帰ると、荷物の整理をしたりと、旅行の余韻もそこそこに後片付け。洗濯籠に洗濯物を入れて風呂場の洗濯機に放り込んで、洗剤と柔軟剤を入れてボタン一つで洗濯が始まる。水がいっぱいになって服が洗われていく様子をしばらくの間、ぼんやりと眺めていた。
ハッとなって、部屋に戻ってまた荷物整理。
今日の日没は16時46分。外もだいぶ薄暗くなってきた。
親からメッセージが届いた。
今日、いつもの麻婆茄子買っていくから、コメよろしくね。
はいはい
これは好きなだけ炊いていいんだな。知らんぞ、とニヤニヤしながら、
母方の実家から送られてきた、今年採れたばかりの玄米が入った大きな紙袋を開いて6合出して、精米機にかけて洗って、炊飯器にセット。しばらく経てば、いい香りが漂ってくるだろう。
そろそろ洗濯機が止まったかなと行くと、ちょうど、最後の脱水の回転が止まる直前。中身を取り出して部屋に戻る。干し終わって荷物に目をやると、もう一つ忘れていた。
おととい買った彩とお揃いの水着。これはこの前ホテルのお風呂場で洗ったからいいんだが、今、壁にかかっている水泳部の時の、あの水着と取り替えて、部屋に飾ろうと思った。
それから部活用の写真とその他の写真を分けたりするのに、ノートパソコンとカメラのデータ整理をする。
1枚1枚ゆっくり眺めては、効率が悪いながらも、あっちのフォルダー、こっちのフォルダーと分けていく。終わりの方で、彩と2人で撮った東京体育館前の記念写真で指が止まって、旅行の思い出としては不真面目だけど、面白いから彩にもあげようと、長居競技場で撮った写真と一緒に2組、写真用紙でプリントアウトして、一つは、自分の机にフォトスタンドに入れて、水泳部のあの写真の隣に置いた。
なんか、お腹が空いたなと、台所にパソコンを持って戻ると、炊きあがり前の蒸気を吹く炊飯器からの良い匂いで満たされている。
麻婆茄子、早く来ないかな。と、そこら辺にあった菓子パンを牛乳と一緒に食べながら親の帰りを待つ。そういえば、と、京都で買った生八つ橋とか緑茶とか、お土産を部屋から取って帰ってきた。
19時、先に父が帰ってきた。
「おお、お帰り。どうだった?」
「楽しかったよ。ちょっと、不真面目な旅行をしてきたけど。」
「不真面目?」
「うん。お茶入れる?」
「うん、コーヒーもらうかな~。」
「わかったよ。」
ノートパソコンを閉じて、ついでに自分もコーヒー牛乳を作ろうとコップを持って流しに。水を電気ケトルにセットして数分でお湯が沸く。インスタントの豆をジャラジャラとカップとコップに入れてお湯を入れて父のところに持っていく。
「はい、どうも。・・・八つ橋は勝手に開けたら、かーさん怒るだろうな。」笑
20時、麻婆茄子が到着。
親らはビールを片手に、私はどんぶり飯を片手に食べ始める。相変わらず燃費の悪い私は簡単に2合は胃袋に納めた。
案の定、食べながらでいいから写真を見せろと言ってきたので、ノートパソコンをHDMIケーブルでテレビにつないで、行程を説明。
「あんた、大阪で何やってるの?」笑
「でしょ、一緒に動くことになった人、この人なんだけど。」
「ああ、前にウインドブレーカーを借りた人ね。」
「そう、陸上部の高旗さん。長居競技場で走りたかったんだって。ナイター点いていたから、ずいぶん気分が盛り上がったらしい。」
「へぇ~。」
「実は、同じクラスにいたんだけど、この前まで知らなかった。」
「まじか。」
「そして、家も割と近くだっていう。」
「へぇ~。」
写真を送っていく。
「ほぉ、で、東京のここは?」
「東京体育館だね。」
「何しに行ったの。」笑
「泳ぎに」
「それで不真面目って言ってるのか。」笑
「陸上と水泳を自由行動に盛り込むっていう、修学旅行なんて普通、ないでしょ。」
「確かに。でも、ま、東京なんて行こうと思えば一生に何度でも行けるしな。」
写真も終わりの方に近づいて
「上野駅か。ずいぶん上野の景色も変わったな。昔は、ここの周りには段ボールがたくさん並んでいて、そこで暮らしている人をたくさん見たな。あまりキレイな景色とは言えないけど、ホームレスは大都会の景色の一つとしてあったもんだね。あと、上野と言えば、北に向かう列車の出発点で、冬になると出稼ぎ労働者の到着点、春になるとその人たちが帰っていく拠点でね、その役割がほぼ終わった今、なんか存在感がなくなったなって思った。」
「千早は千早なりに楽しい旅行だったみたいだから、なによりだと思う。いい笑顔の写真が多くて良かった。」
「卒業前にどこか、家族旅行するかね。」
「したいね。」
ご飯を食べ終えて、食器を片付けて部屋に戻ろうとすると、母が一言
「千早」
「ん、何?」
「なんか、修学旅行から帰ってきて、ちょっと変わったね。」
「そう?そんなつもりはあんまりないけど。」
「悪い意味じゃなくてね。何か、やりたくなったのなら、いつでも相談してね。」
「うん」
それから、動画サイトにおすすめされた、チェロとピアノのBGMをお風呂で聴きながら長風呂をして、布団に入って眠った。
10月22日。
昨日、壁に掛けた競泳水着が、私を呼んでいる気がして特にどこかに行こうというつもりはなかったのだが、ちょっと泳ぎに行こうかという気になって、朝ごはんを食べたらそのまま電車に乗って、あのプールへ。
城崎紡績駅に降り立つと、雪虫が数多く舞っていた。冬が近い。たいてい、この虫を見るようになると2~3週間後には初雪が降る法則がある。誰にも数週間先の気候は教えられていないのに、昆虫や動物たちは何をもって季節を知り、何をもって動くのだろうか、生物の不思議だ。
今日のプールには社会人がチラホラいたが、泳ぐのが不便であるほど人がいたわけでもないから、25mプールで周りの速さに合わせて泳ぐ。1時間くらい経つと、先に来ていた人は満足した人が多く、プールから1人、また1人と上がってジャグジーに移動していく。
東京体育館ではそこそこ加減して泳いでいたが、久しぶりに本気を出して、自分がどのくらいできるのかをやってみようと思って、クロールで200m泳ぐことにした。このプールが25mであることが悔やまれる。25mだとあっという間に反対側に着いてしまう。
見渡すと、何人か人はジャグジーにいるが、プールの中に人は誰もいないので、周りの人に怒られたらその時はその時だと思って、飛び込み台に立つ。
監視室がそれに気づいたのか、ドアが開いて、「千早ちゃ~ん、ケガしないでね~」という声が聞こえて、頭を下げて、返事の代わりにした。これで、飛び込みは黙認されたから怒る人もいないだろう。
左手のプールサイドに置かれている、大きなタイム計測用の時計に目をやる。長い青い針は15を過ぎたところだ。あと45秒。
あと30秒。前屈姿勢を取っていつでも飛び込めるよう、精神を集中させるために目を閉じる。あと10秒。大きく息を吸って、2、1、勢いよく飛び込む。
しばらく本気で泳いでいないせいもあって、水を飲み込みそうになるが、なんとかこらえて、スピードを落とさないで50、100、あと2ターン。かなり息が上がってきたが、負けるもんかと必死に腕を回し、脚を動かす。75、200、タッチ。
右後ろを振り返って、時計を見ると2分35秒を指していた。インターハイのトップは2分10秒を切るので、だいぶ実力が落ちているみたいだ。こんなもんかな、ゆるゆると今までやっていたし。
でも、これは不甲斐ない。
深いプールに移動して、潜水して水面の方を見上げ、キラキラした光を浴びながら目を閉じて考えを巡らす。
”終わっていないこと” ”なかったことにしていること”
やっぱりあるのかな。
心が締め付けられるように苦しい、、、と思ったら、単に息が苦しくなってきただけだったことに気づき、慌てて浮上し、顔を出す。
呼吸を整えてから、もう一度潜ろう。
今度は、底に着いてからは、そのまま目を閉じて自分の心の声を聴く。
小さいころから、別に何か習い事をしていたわけでもなく、やりたいと思ったこともなく、茫漠と過ごしてきた。好きなことは好きなだけ、今までもやらせてもらえた。高校に入って、部活の展示や活動紹介が最初の1~2週間開催されていて、別に帰宅部でもいいか~と、校庭を歩いて、バス停に向かっていたときに、ふと、プールの匂いがして、明らかに勧誘に慣れていないであろう口調で、ちょっと見ていきませんか、と声をかけてくれたのが仙道先輩。
実演と称して、背泳ぎの得意な先輩がプールに入って、飛び込み台の手すりのところにつかまって、足を壁につけて勢いよく後ろに蹴りだして進んでいく姿がとてもキレイで、見惚れてしまって、声も出なかったことは覚えている。
最初から水泳部に入る目的で見学しに来ていた何人かの生徒もいたが、別にお試し感覚で見に来た生徒も私のほかにもいたはずなのに、先輩は、上がったばかりで頭から指先までプールの水を滴らせながら真っ先に私のところに来て、「どうだった?」と感想を求めに来たのだった。
学校の授業以外では全く水泳をしたことがなかったし、競技手に成れるほどの実力など付けられる自信もなかったので、見に来ただけです、ありがとうございました。とも言えず、返答に困っていると、今度、一度泳ぎに来てよと言われ、自信がないと言うと、わかった。素質がなかったらハッキリ言うから、それでどうか、と言われ、流されるまま、数日後に先輩が見ているところでクロールを披露することになった。
決して、大会の入賞記録に届きそうになかったタイムだったが、形は悪くない。100mなら60秒までは必ず行くし、そこから先は、自分に挑むかどうかと言われた。
それから、5月までどうしようか悩んで、結局入部することになった。
先輩の目に狂いはなく、過去に何の経験もない私だったが、スルスルと成績は伸びて60秒を切った。部を辞めてしまうとき、まだ伸びるから、絶対大丈夫だから、と先輩は必死に引き止めてくれたのだが、私は、心残りがあるかどうかについては触れず、ただ、あのショックがツラくて、結局、スポーツをする人には論理的ではないが精神面が最後の砦となることを思い知らされた。
辞めてからは、先輩は強引に連れ戻そうとしたりすることはなく、時々、プールに誘ってくれたりして、せっかくだからと何回かに1回は運動程度に連れて行ってくれたりした。夏になってからは、スポーツ推薦の話があったりと先輩自身も忙しくなってしまって、あの時以来、誘われなくなったが。
頭の中の直感の声を聞く限りは、やはり、心残りとやり残したこと。白黒ハッキリした形で「ない」とは言えない。この前、彩に言われたあの言葉で、これは、中からの圧力で何かが噴き出してくる可能性もあることに気づく。
午前中、目いっぱい泳いで疲れたのでプールから上がって、受付のある広いホールの腰かけに座って、お弁当にと持ってきたおにぎりを食べながら、午後枠で入っている社会人合宿の練習しているプールを眺める。
「あら、千早ちゃん、まだ帰ってなかったの。」
「あ、昭野さん。」
「千早ちゃん、久しぶりに泳いでたね。あれ、本気モード?」
「タイム、ずいぶん落ちちゃいましたよね。」
「そうね、ネガティブな言い方をすればそういうことになるかもね。」
「どうしたの、急に。おばちゃん、聞いてもいい?」
:
:
「そういうことか~。」
「そういうことです。」
「何かを決めるのに、振り返って考え直すって千早ちゃんにしては珍しいんじゃない?」
「そう、ですかね・・・」
「水泳部でよくここに来ていたころ、イノシシみたいに真っ直ぐな子だなって思ったの。割とあっけらかんとしているしさ。」
「私だって、いろいろ考えてます!」笑
「うん、どうあれ、おばちゃん、いろんな団体を知っているから、チカラになれることがあったら言ってね!」
「はい、ありがとうございます。」
「うん、千早ちゃんには、その太陽みたいにカラっとしているのが似合う。」
私は恥ずかしくなって頭を掻く。
「あら、アクセサリー買ったの?」
「え、ええ、この前修学旅行で作ってきたんです。」
「青い石、キレイだね。力のある石は、千早ちゃんは力が欲しくて買ったのか、そうじゃないのかは知らないけど、試練も幸運も与えることがある。東京での千早ちゃんはきっと、今を変えるきっかけが欲しい、そう心で叫んでいたのかもしれないね。なんにせよ、人生を楽しみな。」
雪虫がたくさん飛ぶ間をすり抜けながら、私は家路についた。
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