12. 1520hPa
10月10日。連休明け。今日の授業が終わって、机の中のものをリュックにしまって部室に行こうとしていると、彩がやってきた。
「千早、今日はこれから帰るの?」
「いや、ちょっと部室に行ってから。下のバス停の5時発かな~6時発かな~って感じ。」
「あ、そう。よかった。じゃぁさ、一緒に帰ろうよ。」
「いいよ。」
「ウチも終わったら連絡するね。」
「はいよ。」
大会の後、ちょこちょこ話すようになったり、私たち存在感のない2人は昼のお弁当を一緒に食べたりするようになったが、帰りを示し合わせることになったのはこれが初めてだ。
部室で冬休み明けすぐにある写真コンクールと、年度末にある個人コンクール向けのための準備をしたり、他の部員が撮った写真にパソコンで落書きしたり、ワイワイやっていると時間があっという間に過ぎた。
千早~終わったよ~
メッセンジャーに彩のメッセージが表示される。
うん、じゃぁ、玄関に降りるね。
「さてと、バスの時間があるので、お先に失礼しますね。」
「うん、お疲れ様~」という声を背に部室を後にする。玄関に着くと、制服に着替えた彩が待っていた。
「あら、制服で帰るの?いつもジャージじゃない。」
「たまにはねっ。」
「いつも、ジャストサイズの服ばかりだけど、オーバーサイズのパーカーもいいね。」
「そう?」
「ギャップ萌えってやつかな。」
靴を履き替えてバス停に向かう。
学校の下からいつものようにバスに乗って、ターミナルで乗り換える。ここから1時間ちょっと。
「ねぇ、今度の日曜日、ヒマ?」
「昼くらいまで、ちょっと用事があるけど。開実に昼は戻れないかも。」
「あれ、どっか行く用事があったか。」
「どうして?」
「たまにはお茶でもどうかな?って思ったんだよ。」
「そうか。じゃあ、私の用事は土曜日にしようかな。うーん、でも待てよ。」
スケジュール帳を取り出して、考えを巡らせる。
「土曜日は図書館に行ってちょっと調べものをして、日曜日は電車でちょっと離れたプールに行って久しぶりに泳ごうかなって思ってて、どっちも時間がかかるんだよねぇ。」
「そのプールは、誰かと一緒に?」
「いや、ひとりだよ。」
「ウチも行っていいかな・・・?」
「別にいいけど、ちょっと変わったプールだよ?水深5mの」
「面白いプールだね。見てみたい。」
「このプール、一般向け営業日が金土日の3日間しかなくてさ。」
「迷惑じゃない?大丈夫?」
「うん、いいよ。でも、私、沈んでるだけだから、あんまり面白くないかもよ?」
「沈むの?」
「そう、たまにね、水の底って静かで何も聞こえなくて、こう、考えをまとめたりしたくなったときに、沈みたくなるの。」
「へぇ、よかった。楽しみだなー。16日からの修学旅行も。」
「だね。」
「旅行期間中の天気も、今のところ長期予報では悪くないし、でもちょっと暑いかもしれないなっていう感じだよ。」
「来週のこと、もう調べてるんだ。」
「荷物をどれだけ少なくするか、これ大事でしょ。」
「確かに。重たいと大変だもんね。私はキャスター付きだからあんまり困らないけど。」
「あー、その手があったか。」
「え~肩から下げるアレ?」
「うん。荷物が大きくなったら、順次、郵便局かホテルかで送ってしまえばいいでしょ?1000円かそこらなんだし。」
「それは思いつかなかった。」
「外国でソレをやったらFedexの送料とか大惨事になるけどね。」
「飛行機便、高いもんね~。」
「うん、そうなの~。」
「15日、どこで待ち合わせしようか?」
「開実ターミナルに8時かな~。」
「うん、わかった。」
10月15日 日曜日
「ここがそのプールか。」
「そう。城崎紡績プール。」
「大きいでしょ。」
受付の人に「やあ、千早ちゃん。久しぶりだね~。あら、お友達?」と声をかけられて「高旗さんです、プールに引きずり込みに来ました。心霊プレイです。」笑「あらあら、お手柔らかにね。」なんて雑談を交わしながら入館料、450円を払って更衣室へ。
「あ、なに彩、学校の水着?」笑
「しゃーないじゃん。持ってないもん、水泳部みたいなカッコいいヤツ。」
「実は2種類持ってきたんだ。どっちを着てほしい?」笑
水泳競技用のハイレグの水着と、胸のところに苗字の名札を縫いつけている学校の水着を見せる。
「どっちも捨てがたいな!」
「どっち?」
「いや、今日はカッコいい千早を見たいから、競技用ので。」
「はいよ。」
着替えてプールの中に。25m4レーンと20m四方のプール。飛び込み台がついている。実業団や大学生の合宿が入るプールなので、一般向けには週末の限られた時間しか開かない。特にこの水深の深いプールは7.5mと5mの飛び込み台が設置されていること、水中スピーカーが設置されていることで、アーティスティックスイミング?の合宿にも使われることがあるそうだ。
なによりも、すぐそこにある城崎紡績の工場で製造された、できたてふわふわのバスタオルも購入できて、これが合宿の選手たちにはすごくウケが良いそうだ。
「彩、何mまでのプールに入ったことあるの?」
「え?私?学校のしか入ったことないよ。」
「1m40がいいところかぁ。怖かったら無理しないでね。チョット行ってくる。」
このプールは25mプールは飛び込みが禁止されているが、この深いのはそもそも、そういう目的なので勢いよく入っても怒られないし、「千早ちゃん、事務室に引っ込むからね~ 気を付けてね~」と私たちに声をかけて引っ込んでいった。
「自由な監視員!」
「そうね、事故でも起こしたら大変だけど、ここは公営じゃないから。こんなに緩いプールはそんなにないからさ。」
そう言って私はゴーグルをつけて軽く3mくらいまで潜る。久しぶりのプール。心が洗濯されていくようで、やっぱり水の中は気持ちがいい。
1分ほど潜ったところで水面に顔を出す。
「肺活量すごいね。ウチもちょっと入ってみようかな、、、」
こっちに背中を向けてプールサイドに摑まりながらゆっくり水に入る。
「・・・うわ、底がない。」
「あ、そうだ。ちょっとカッコ悪いけど、誰もいないからヘルパー着けたら?」
「あの腰に巻く丸いの?」
「そう。ビート板じゃちょっと不安じゃない?それとも、島になるヤツ借りてこようか?」
「いや、丸いのでいいかも。」
「ちょっと待ってて」
事務室の入口のところにある籠から取り出して渡す。
「私は逆に2kgくらいの重りが欲しいくらい。」
「そうなの?」笑
「沈んでるのって結構大変なんだよ。」
「だろうねぇ・・・。」
私は潜ったり浮いたりを繰り返して深さに身体を慣らしているところ、彩は足のつかない深さに身体を慣らしている、そういった感じだろうか。
「ちょっと潜ってみようかな。」
彩がそう言い始めた。
「うん。おいで~。苦しくなったら無理しないで途中で上がっていきなよ。少しずつ慣らしてネ。私も久しぶりだからちょっと時間がかかっちゃった。」
私は潜って、一気に底を目指して両手を後ろに向けて潜り始める。20秒ちょっとだろうか、底に到着。身体が浮かないように壁際の足場のパイプに摑まって水面を見上げる。プールの明るいLEDの照明が三角波に時々反射してキラキラと光っている。
ああ、これだ、この景色だ。私が好きだったのは。
酸素ボンベがあったらもう最高なんだけど。と思いながら、すこし苦しくなったところで浮上。
ふぅ。
「千早、すごいね。あんなに深いところに。」
「どう?行ってみる?」
「行って20秒、下に20秒、上がって10秒、これ結構キツいね。先に上がるだろうけど、ちょっと行ってみようかな。」
「うん、追いかけるから先に行っていいよ。」
彩が潜ったのを見て、私も潜る。泳ぐのは私の方が当然早いから、彩の左手首を掴んで引っ張って、底まで行く時間が短くなるようにアシストする。
底に着いて、足場に摑まったのを見てから、指で上、上と合図する。
彩は手で何か合図したが、多分「感嘆詞」だと思う。何秒かしてすぐに上がっていった。酸素切れだったら困るので、私も追いかけて行ったが途中で力尽きることはなく、お互い、同時に水面に顔を出す。
「千早、すごいねアレ。」
「でしょ?」
「何も聞こえないあの感じ、私しかいないけど、周りにきちんと感じる物質の存在感、あれが好きなんだよ、私。中学の時にサイパンで見たあの景色、あっちの方が当然いいんだけど、たまにこうやって思い出したくなるんだ。」
「そうなんだ。」
何度か潜水を繰り返して、彩は普段やらないことだから少し疲れたようで、私は25mのプールに移動して、好きなクロールでしばらく泳いだ。彩はそのプールが見えるジャグジーで気持ちよさそうにしていた。
一通り泳いでから、私もジャグジーに入って暖まる。
「温泉みたいでいいね~コレ。」
「だね~。温泉ならなおいいけど。温泉があるのはこっちの方じゃないし。」
「そろそろ上がろうか。」
「そうだね。ウチお腹すいちゃったよ。」
「駅前にアンデルセンっていう、すごいハンバーグの喫茶店があるんだ。もしハンバーグで良ければ。」
「ハンバーグは好きだけど、、、すごいハンバーグ?」
「うん、すごいの」
プールを出てロビーに向かうと、「あら、千早ちゃん、もういいの?」と声をかけられ、「はい、また来ますね~。」と挨拶をしてプールを出る。
お昼。その喫茶店に入り、
「あらこんにちは。今日もハンバーグ?」
入るや否や言われる。
「はい、いつもので。」
「そちらの方は?」
「彩もハンバーグでいいの?」
「うん、いいよ。」
私は少し考えて、
「こっちには、ハーフでお願いしますね」
と返した。
はいはい、とおばちゃんが私たちの席に水を置いてから厨房に消えていく。
「は、ハーフ?」
「たぶん、彩には私の量は無理だと思って、足りなかったら分けてあげるから、大丈夫。」
ジューっという肉の焼ける音と赤ワインの香りが漂ってくる。
「お腹すいた~まだ~?」
「ここ、おばちゃんとおじさん2人でやってるから、ちょっと時間がかかるのよ。でも、味は大丈夫だから、もうちょっとの辛抱だよ。」
それから何分か待って、大きなお皿に、パンゲアのようなハンバーグにデミグラスソースがかかったものが私のテーブルに。私のがユーラシア大陸だとすると、彩のはオーストラリアくらいのサイズのハンバーグが出てきた。
「デカッ!」
彩はメニューを開いて、ハーフ600gと書かれているのを見てビックリしていた。そう、私のハンバーグは1300gあるのだ。
「千早ってさ、、、フードファイターだったの?」
「私、燃費悪いの。」
お腹いっぱい食べて、駅のベンチで一休み。
「私のあれで600円とか安くない?」笑
「社会人は1000円だよ。あれは、学生価格と私の顔の代金込み。」
「そうなの。千早は有名人だね。」
「ここら辺の人たちにも、なんか有名らしいよ。彩だって、どっかでは有名人かもしれないよ?」
「ウチ、あんまり家から出ないからねー。千早みたいにアクティブじゃない。」
「ま、それはそれ。これはこれ。」
上り電車が来て、乗って揺られていると、彩はいつもの通り私にもたれかかって寝ていた。寝る子は育つ。
私はそっとリュックから本を取り出して、読む。
私たちが降りる前の駅を列車が出るころ、「次だよ」と彩を起こした。
駅について、バスに乗って、私たちがいつも別れるy字路の時計塔のところについた。
16時を回ったところなので、明日の修学旅行の準備をするには十分、余裕を持った時間に帰ってきた。私は旅行の準備はだいたい済んでいるので、最終チェックくらいだ。
「じゃあね、また明日の朝、城崎駅でね」と言って別れようとしたら、
「ねぇ、ちょっと、、いい?」
と低い、震えた声で彩が私に言う。
「うん、どうしたの?」
彩が一歩私の前に踏み出して目の前に立つ。
「・・・千早、ウチ、、、千早のことが好き。」
交差点の信号が変わって、直線側で停まっていた車が左折と直進方向に動き出す。
彩は、たぶん、言っちゃった・・・っていう顔をしたんだと思う。まっすぐ私の目を見ていた顔は俯き顔になって、だらんと腕を垂らす。
交差点の信号がまた変わって、反対側の車が動き出す。
また変わって、車が動き出す。
「・・・千早・・・?」
私は、ニコっと笑って
「うん、いいよ。ありがとう。私も。」と言って、今日はジャージ姿の彩を私から一歩踏み出してギュッと抱く。彩も私の腰のところを掴んで、私の胸に顔をうずめて目をつぶって額を擦る。
顔を合わせると、私から
「ねぇ、チュウしようか。」
「・・・えっ?」
「だって、今日、私の誕生日。チュウしようか。」
「ウチも、今日誕生日なの。」
「私たち、同じ日に生まれたのに、どんだけ存在感ないの。」笑
クスクスと笑って。見つめ合って、傍から見たら吹き出すくらいの真顔になる私たち。
「ねぇ、ウチでいいの・・・?」
「うん、いいよ。だって、私たちの記念日じゃない。」
「うん、でも・・・」
「ここじゃ恥ずかしい?」
「・・・」
「移動したら醒めちゃうかもよ?」
「じゃぁ、ここで。・・・いいの?」
「うん・・・いいよ。」
また私たちは見つめあう。
私たちは背丈は同じくらいだけど、彩は気持ち、顎をこちらに突き出すような感じで顔が近づいてくる。スローモーションのように感じるが、実際は一瞬だったはずだ。彩が瞳を閉じたところで、私は唇を重ねる。これも一瞬だったはずだ。
「あー・・・」
彩が腰を抜かしそうになったので、慌てて支えて、ベンチに連れていく。
「よかった、千早にフられなくて。ウチ、苦しくて、苦しくて。」
「うん、いいよ。ありがとう。私、まだ彩みたいに苦しいって思ったことはなかったけど、あの大会で走る彩の写真を見ていたら、きっと、そのうち苦しくなるかもって思ってた・・・。」
彩はポロポロと涙を流して、私に抱きつく。今日のプールの匂いがした。プールのいい匂い。私は好きだ。
しばらくして、彩も気持ちが落ち着いたみたいで。ニッコリ笑顔になって、
「明日からの修学旅行、楽しみにしてるから!」
と帰っていった。
10月15日。私たちの誕生日、恋の記念日。いつかは同じ場所で2人で祝える日が来るのだろうか、それとも・・・
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