第5話 そして少女(老婆)は少年と出会った
視界を埋め尽くすほどの大勢の人が、その広い道を歩いている。まるで大河の流れのように――
親子が、家族が手を繋ぎ、恋人同士が腕を絡ませて、仲の良い友人たちが肩を組んで、若者が老人を負ぶって、皆一様にその道を歩いている。
時に立ち止まり、時には振り返って、そしてまた歩き出す。腕を組んでいたカップルの女性の方にふっ、と赤ちゃんが抱かれ、若者が負ぶっていた老人が静かに、幸せそうな表情でフェードアウトする。
全ての人々が、その『人生』という長い道を、幸せと不幸を繰り返しながら歩き続ける、最後の時まで。
その流れを、私はたった一人で、逆方向に歩み続けている。時にすれ違う人と声を交わし、悪い事をしようとしている人の頭を小突いて、縁あって仲が良くなった人ともやがて行き違う。振り向いてもその人は前を向いて歩き続けている、もう二度とその顔を見ることは出来ない。
後方、遥か遠くに視線を送る。
かつて共に人生を歩んでいた仲間や友人達は。もうはるか向こうに行ってしまっていて、見る事はおろか、その名を思い出す事すら出来なくなった。
運命によって引き合わされた夫も、愛の結晶でもあった子供達も遥か視線の先に消えて、もう、その顔を思い出す事すら出来ない。
辛い、悲しい、寂しい。
孤独が私を蝕み続ける。誰も私と同じ方向に歩いてくれない、世界からの疎外感。
引き返したい。走って追いかけたい、追いつきたい。彼らの元へ。
だけどこの足は、意志とは裏腹に、ただひたすら皆とは逆の方向に足を運び続ける。
私の行く先に、そのゴールに、子供たちが手を振って待っている。
他の子供たちとは違う、哀れなくらいに痩せ細った子供達が、私の到着を待っている。
ああ、あれはいつか見た夢、私を待ち焦がれてくれている、悲しい子供達。
あそこまで、行ってあげないと――
目が覚めた時、私は泣いていた。
2022年、令和4年。
私、
また、あの夢。9年前、探偵業最後の仕事を終えてから、何度となく見て来た夢。
自分が人と逆の道を歩んでいて、私の生きてきた正しい人生の仲間たちを忘れていく夢。時遡の呪いの中で出会った人たちとも、忘れて忘れ去られるすれ違い。その先に今にも死にそうな子供たちが私を手招きして待ち続けている、その世界。
「やっぱり、あの子たちが、かぶっとるんやろなぁ」
自分が若返りを始めた時、痩せこけた子供たちに『代わって』とお願いされる夢を見たのを思い出していた。そして最後の探偵業で、登紀は悪辣な金持ち共に取り引きされている可哀想な子供たちを救った。
あの子供達と夢で見た幼子たちが頭の中で被っているのだろうか、だから私は遥か昔の夢を思い出し、その古い約束を果たすために、今も時遡の呪いの道を歩き続けているのだろうか。
「ほんまに、なんなんじゃろうなぁ」
そう嘆いた跡、彼女は立ち上がり布団を畳むと、ハンガーにかけてあった真新しいセ-ラー服に袖を通す。
「さって、今日から高校生や!」
彼女は生まれ故郷の徳島に帰って来ていた。とはいえ60年の年月を経て、そこはもう自分の知る懐かしいふるさとでは無くなっていた。暮らしていた家は建て替えられて見知らぬ人が住んでいたし、友人たちと耕した畑や田んぼは住宅地になっていた。鉄道は廃止されて県道が整備され、小川は側溝になって水だけを流し続けていた。もちろんそこに自分の顔を見知っている人など、誰も居るはずも無かった。
いよいよ働いて暮らすことが困難になる外見まで若返った登紀は、学生として生活する最初の3年間をこの懐かしい生まれ故郷で過ごすことを決めた。名前も本名の神ノ山登紀に戻し、地元の高校へ受験入学し手続きを済ませた。
これから高校一年生としての生活がスタートする、三年生になる頃には15歳まで若返っているだろうが、その程度なら何とかごまかせると思っていた。元々今より栄養状態が良くない子供時代を送ってきたこの体は、時遡の呪いで若返った今も現代の若者の平均の体格より背が低かったのだから。最初から背の低い生徒という印象があるだろう故に、多少縮んでも不審に思う者もそう多くは無いと思われた。
真新しい学生カバンを下げて、アパートの一室から通学路へ出る。国道沿いの歩道には自分と同じ制服を着た生徒たちがちらほら道を歩いていた。
(ふふ、青春やねぇ)
彼らと同じ道を歩いて思わず笑みがこぼれる。自分の現役の時代とは違う、男女が並んで歩いていても叱られない、手持ちのスマートフォンを操作していても誰も咎めない、もちろん道端に竹刀を構えた教師などいるはずもない、明るい朝日に笑顔を照らして、生き生きと投稿する若人達。
(わたしもひとつ、恋でもしてみるかねぇ)
ふと、そんな年齢不相応の事を想う。自分の青春時代は恋など無縁だったが、時代の移り変わりを長く見て来て、この年頃の男女が描く淡い恋愛感情はなんとも琴線に触れるものがあった。そういった小説やドラマ、漫画やアニメを見て、そんな思いはますます強くなっていた。
だがそれに思いを馳せたとたん、私は何ともネガティブになってしまう。そう、私が恋などしても悲恋になるのは目に見えているから。単に振られるならそれでいいのだが、もしお付き合いが始まってしまえば、よくて突然の失踪、悪くすれば恋した彼に化け物扱いされる未来しかないのだから。
はぁ、とため息をつく。詮無いことを考えるもんやなぁ、と憧れを否定して、横断歩道の傍らで信号が変わるのを待つ。左右にも同じ制服の男女が数人並び、これから始まる新学期へ思いを馳せる。
ん?
登紀は隣に立つ男子生徒をちらり見やって、へぇ、と息を漏らす。頭を短くスポーツ刈りにしたその子は、学生カバンを持ったまま真っすぐに立って信号を見つめている。周囲と雑談もせず、スマホも操作せずに凛と佇むその見姿は、どこか自分の時代の若者の姿を思い起こさせる。
彼は私の視線に気づいたのか、こちらをちらりと見る。私がカバンを抱えたまま笑顔でひらひらと手を振ると、慌てて目を反らして正面に向き直る。あ、顔まっかっか、可愛いなこの子。
と、道路の向かい側に目をやると、ひとりの中年女性が小型犬を抱えて信号待ちをしていた。抱かれた子犬は窮屈なのか、じたばたと体を動かして腕から逃れようとしている。危ないなぁ、もし今あの犬が道路に飛び出したら・・・・・・
その懸念は次の瞬間、現実の光景になっていた。一瞬のスキをついて腕から抜け出したそのチワワは、地面に着地すると、一目散に道路を横切り始めたのだ!
(いけないっ!)
右方向に目をやる、車線のこちら側ではトラックが今まさにすぐそこに迫っていた。
反射的に、道路に飛び出した。
私の左側、同じように道路に飛び出し、その犬をダイビングキャッチせんとする黒い影があった――あの男の子だ!
「バ、バカぁっ!!」
私は叫びつつ、その少年の背中を庇うように後ろから抱き着いて、一緒に横倒しに地面に倒れ込んだ。このまま私が撥ねられても、この子だけは私をクッションにして死なせないようにしないと!
強烈に響くブレーキの音と、焼け付くタイヤゴムの青いスモークと、その悪臭をシーンの背景にして・・・・・・
彼は子犬を、私は彼を背中から抱きかかえたまま、道路の中央に横たわっていた。
「なんしょんじゃあ!このボケがあぁぁっ!!」
トラックの運転手が窓から身を乗り出し大声で怒鳴りつける。彼は歩道にて抱かれる挙動不審な犬をいち早く察知し、まさかと構えブレーキをしていたことで殺人者に成らずにすんでいたのだ。
当事者の1人である中年女性はこちらに駆け寄り、少年の腕から犬を取り上げて小走りで去っていく。自分達に礼も、運転手に詫びもせず、ただ犬によかったわぁ、と繰り返しながら・・・・・・周囲の生徒たちも何あれ、と呆れた声を出している。
突如、私の体が一気に引き起こされた。正確には抱きついていた少年が身を起こしたため一緒に引き上げられかけたのだ。彼も私の体重を受けて起き上がり切れずに、ヒザを落として道路に座る形になった。
「あ・・・・・ごめんなさい」
慌てて彼から身を放す。振り向いた彼は私に抱き着かれていたことを知って、あっと声を出して固まる。
「え、君、大丈夫、ケガとかしとらん?」
そう言って私の前にヒザを落とす少年。でもそれはこちらのセリフだ、私は不死身の体なのだから交通事故なんて怖くはない、でも君は生身の体、ましてやまだ人生が始まったばかりの子供じゃないの!
「なんて無茶をするの!」
「なんて無茶するんだ!!」
彼と私が同時に叫ぶ、二人の声がキレイにハモる。
少し空気が固まった後、周囲の生徒たちから、そしてトラックの運転手から、ぱちぱちという拍手と、ピーピーとはやし立てる口笛と、そして今時の子供達らしくスマホのシャッター音が鳴り響いた。
それが私が彼、
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