第10話 節目の演武
「お、お、おー??えーーー!?」
北村は地面に叩きつけられた時計を見て、悲鳴を上げた。
カヨは時計を何度も踏みつけている。
ショルダーバッグからトンカチを取り出し、さらに時計を打ちつけ時計は凹み、傷だらけになった。
カヨはトドメと言わんばかりに、北村の後方へ時計を投げ飛ばすと、時計は見るも無惨な姿になった。
北村はあまりのショックで、動けないでいる。
「か、カヨさん、気は確かか!?この世の宝と言っても過言ではない代物を‥‥う、うわー!!」
金縛りが解けたように、北村は髪を振り乱し、頭を抱えて絶叫した。
「先生、どうか目を覚ましてください!それに、うちの道場は最後の最期まで、誰にも傷付けさせませんよ!」
「あ‥‥あ、あなたって人はー!!」
我を忘れた北村はカヨに飛びかかった。
「まずい!理恵ちゃん!?」
暗知が振り返るとテリーの姿は無く、視線を戻すと、テリーが北村に見事な胴回し蹴りを決めるところだった。
鈍い音と同時に北村は吹っ飛んだ。
「ママさん!大丈夫ですか!?」
テリーはカヨの手を握った。
「理恵ちゃん?どうしてここに?」
「あぁ、なんて事を‥‥」
北村は四つん這いで、壊れた時計に擦り寄った。
「何事ですか!?‥‥ん?‥暗知か!?」
外で様子を見ていた暗知は、誰かに声をかけられた。道着姿の東堂だった。
「グッドタイミング‥なのかな‥‥?」
暗知は振りかえると小屋の中を指差した。
「何があった!?」
東堂が勢いよく小屋に入ってきた。
「東堂さん!」
「理恵!カヨ、あれは北村さんか‥‥?誰か、説明してくれ」
「カヨさんが忘れられた東堂館の『宝』を見つけ、北村さんの前で壊した。逆上した北村さんがカヨさんに襲いかかった所、理恵ちゃんが撃退した‥‥」
一足遅く小屋に入った暗知は淡々と状況を説明した。
「あなた、内緒にしててごめんなさい」
カヨが東堂に頭を下げた。
「カヨ、あの時計を一体どこで‥?」
「忘れたの?竜司さんが気を利かせてレプリカを送ってきてくれてたのよ?四年くらい前かしら‥‥」
カヨは東堂の袖を掴んで揺すった。
「レプリカ‥‥父さんが?」
テリーは胸を撫で下ろした。
「うーん、そうだった‥かもしれん‥何でだっけ?」東堂は両目を強く閉じた。
「『もし時計のせいで、いざこざが起きた場合、このレプリカをみんなの前で壊すと良い』って聞いてたじゃない?レプリカは先生への気付薬として使わせてもらったわ」
「何もそこまでしなくても‥‥」
東堂は遠くで泣き崩れている北村を眺めた。
「だって北村先生、時計の事で頭がいっぱいなんだから!タケシの主治医なんだし、もっとしっかりしてもらわないと‥‥‥」
「確かに、北村さんは時計をずっと気にかけていた」
東堂はカヨの言葉に小さく頷いた。
「北村先生があんなんだから、悪い噂が出てるんじゃないの?いくら噂でも、心配になるわよ‥‥」
カヨはバッグのベルトを肩にかけ直した。
「黒須病院の噂は、真実から生まれたデマだ。確かに患者の死亡数は高いが、それだけ厳しい状態の患者を受け入れているからだ」
東堂は諭すようにカヨの肩を掴んだ。
「タケシは『難病』扱いされ、病院をたらい回しにされた。黒須病院にも他の病院を紹介されたが、最終的には北村さんが引き受けてくれたじゃないか‥‥」
東堂の言葉をカヨはモジモジしながら聞いていた。
「北村さんは良い医者だ。時間を作っては、救えなかった患者の仏壇に手を合わせに行っているんだから」
東堂は北村の方へ向かって歩き出した。
「北村さん、うちの妻が、すみませんでした。息子を思う気持ちでやってしまった事です、どうか許してくれませんか?」
東堂は深々と頭を下げた。
北村は徐々に我を取り戻してきた。
「面目ない‥‥我を忘れてカヨさんに手をあげてしまった‥‥」
「先生、息子を、タケシをよろしくお願いします!」カヨはすかさず北村に駆け寄り、頭を下げた。
「北村さんには私が付き添うよ。それより、理恵ちゃん。準備は良いのかい?」
暗知がそう目配せをすると、東堂の髪が思い出したように逆立った。
「理恵!道場へ戻ろう!」
「はい!良いウォーミングアップでした!」
テリーは北村に一礼すると、東堂とカヨと一緒に小屋を出ていった。
暗知はポリ袋に壊れた時計を入れた。
「北村さん、この時計は一旦私が預かります。今後も時計の事を求める人が現れても『時計は壊れてしまった』とお伝え下さい。壊れた時計の在りかを聞かれたら私の名前を出しても構いませんので、ご連絡下さい」
壁に寄りかかって座っていた北村は、虚ろな目で暗知を見ると、微かに微笑みながら頷いた。
‥‥‥
‥‥‥‥
道場に戻ると女子団体戦が行われていた。男子団体戦は東堂館の完敗だったようだ。
「そこだ!退くな!相手の飛び込みに注意しろ!」
東堂の声援も虚しく、東堂館女子団体戦も惨敗だった。
東堂は選手に労いの言葉を声を掛けに、歩みを進めた。
「あー!テリー!いたいた!」
夏菜子だった。テリーも知らない同級生が大勢いる。夏菜子が連れてきたのだろう。
「テリーの道場、強いねー!ボロ勝ちじゃん!」
「‥‥負けた方がボクの道場だよ」
「あら、理恵ちゃんのお友だち!?」
カヨが駆け寄ってきた。
「いつも仲良くしてくれてありがとう!これから理恵ちゃんの出番なの、最後まで見てってね!」そう言いながら、カヨは焼きそばを配り始めた。
「ありがとうございます!お祭りみたいで楽しいです!」夏菜子は割り箸を口に咥えると、小気味よく割って見せた。
「理恵!準備はいいか!?」
東堂が戻ってくると、テリーの肩を叩いた。
「押忍ッ!!」
テリーは『えんじ色のハチマキ』を頭に巻いた。タケシから託されたハチマキだ。
「皆様、本日をもって東堂館の歴史も幕を閉じます。誠にありがとうございました。最期に当館を代表して『長久手理恵』による演武にて、閉会の儀とさせていただきます」
東堂のアナウンスが入ると、テリーは勝道館、東堂館陣営に一礼し、観衆を前に深々と一礼した。
「‥‥スーパーリンペェイッ!!」
テリーは披露する『型』を宣言した。
静まる道場の中、テリーのすり足だけが響く。やや低く落とした重心は周囲の視線を集めた。
ズバッ ズバッバッバッ
空気と道着が共鳴する。
時折り破裂音のような音が鳴っていた。
(‥タケシ‥見ててよ)
バッバッ スー、スー‥バッ パン!
体の動きに合わせて、道着が鞭のようにしなった。
「ハァーー!!」
テリーの力強い突きが空を切り裂いた。
パチパチ、パチパチッ!
大きな拍手と共に、ますます観衆の意識はテリーの『型』の世界観に吸い込まれていく。
「すごい、すごいよテリー‥」
夏菜子はお箸を咥えたまま、小さく呟いた。
(東堂館‥‥‥お世話になりました)
スーッ スーッ バッバッ シュッパン!
「ッィヤァーーーー!!」
正拳突き、前蹴り、肘打ち、裏拳と華麗な連撃が続いた。
パチパチ!パチパチ!「テリー!」
割れんばかりの拍手が道場内に響き渡った。
テリーは見事な演武を披露した。
強靭な体技と、17歳らしからぬ哀愁漂う拳は道場内の観衆の心を捉えたのだ。
テリーがタオルで汗を拭っていると、夏菜子達が集まってきた。
「カッコ良かったよ!テリー!」
皆、目を輝かせてテリーを讃えた。
「素敵な型だったわ!」
カヨが泣きながらテリーを抱きしめた。
「良い最期だった、ありがとう!」
東堂はテリーの頭をくしゃくしゃに撫でた。
テリーはカヨの胸に顔をうずめた。目の奥から込み上げてくる熱いものを隠すように。
そして、東堂館最期の試合は終わった。
試合後、テリーは東堂に相談した。
本物の『時計』の在りかをママさんと暗知に報告することにした。
「どんだけ探し回ったと思ってるの!」
報告を受けたカヨは東堂を責めたてた。東堂は髪を逆立たせ、耐え続けていた。
‥‥
‥‥‥
東堂館最後の試合の後、暫くしてからタケシは手術をした。術後も北村は熱心にタケシを診てくれており、経過は今のところ順調のようだ。
月日は流れ、東堂館取り壊しの日。
テリーと暗知は東堂に会いに来た。
「おー、来たか。人を活かす場所が、人を生かす場所へ生まれ変わるぞ」
東堂が自宅で二人を出迎えた。
「そんなに、北村さんを認めているんですね」
テリーは頭を掻いた。
「タケシにとっては命の恩人だからな。あの人はやっぱり優秀な医者だよ。それに、道場もたくさんの人々が救われる場所へ生まれ変わるのだから本望だろう」
三人は道場へ向かって歩きだした。
東堂は暫く柳生流の関連道場で、指導者として従事するようだ。
道場に着くと警備員や作業員が忙しそうに声を上げていた。東堂達は少し離れた位置から、道場に重機の刃が入っていくのを見つめている。
北村診療所新築工事‥‥竣工は来年、春の予定だ。
「それにしても最近のレプリカは出来がいいねー。これダイヤじゃないか?相当お金をかけてると思うよ」
暗知は壊れたレプリカ時計を回収していた。ボロボロになった時計を陽の光にかざしてみると、未だに怪しい輝きを放っている。
「まさか、壊れたのが本物だなんて事、ないですよねー!?ははは!」
テリーは無邪気に笑った。
「‥‥」
東堂は目をつぶっていた。
「‥‥‥‥」
暗知は東堂の様子を見て、苦笑いをした。
「!!そのまさかーー!?」
テリーの絶叫は建設現場の騒音に負けじと、青空に響き渡った。
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